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鬼塚史観と皇室問題|会津の娘 貞明皇后と紀子妃

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会津の娘 貞明皇后と紀子妃

本日もお越しいただきありがとうございます。

明治維新後、政府軍による会津征伐がありましたが、その陰惨さから今までの日本の戦争ではないような印象を受けますね。

白虎隊の悲劇にスポットがあたりがちですが、まるで、欧州のローマ劫略や、中国大陸で城塞都市が陥落した時に展開する、徹底した強◯、略奪、破壊行為、のような有様だったとか。

それまでの日本の戦争は、支配階級とその配下のプロの戦闘員同士の合戦が行われた後、敗者側が降伏し自殺するなりすれば、家臣も領民も助かるのがふつうでしたし、領民が被る損害も少なく、領地も荒れることはなかったはずです。

さらに、戦後の処理も寛大で、支配層や管理人が勝者に変わるにせよ、領民が戦争でくたびれているし民意を得るためもあり、3年ほどは無税にするのが普通でした。

しかるに、会津藩士や藩民に対する処置は、寛容さなどかけらもなく、野蛮な強盗が被害者からむしり取れるだけむしりとるのににた有様で、苛酷な土地に強制的に移住させたりして酷いものでした。

維新前後から、いつもの日本とは何か違うものになったように感じます。

 

紀子妃 会津の娘

川島紀子様。

しつこく疑惑があるのが、紀子妃の片親の家系が被差別民ではないかという疑惑と根強い噂があります。

お父様の川嶋教授が経済であるにもかかわらず、部落の研究をしている(研究をされている方は、本人かあるいは配偶者が旧被差別民である場合が多いそうな)ことから、そうではないかという説もありました。

 

管理人は、こうした説を信じていませんでしたが、偽物とはいえ長女の縁談の相手(在日、母は韓国人、父方は”おんぼ=墓地の管理”をしていた被差別民である可能性が高く、父と祖父は保険金殺人で母に殺された疑惑があり、本人は学歴職歴詐称、正体不明)をみていると、その可能性があるかもしれないと思うようになりましたね。なんだかんだで、ご縁談は同種で引き合い結ばれますから。

 

しかしながら、噂通り家系が旧被差別階級に繋がる部分があったからといって川島紀子さんの品位や評価が落ちるわけではありません。

少なくとも秋篠宮ご夫妻は3組いるようにみえますが、初代の紀子様は、美智子や雅子のパワーハラスメントに耐えながらも、笑顔で真摯にご公務をされていたことは国民は知っています。ご立派なことです。江戸時代の階級制度からは解放されている今、ご本人がご立派であるなら、被差別地域にルーツがあったとしても問題のないことだと思っています。

被差別階級の血を汲んでいるのではという疑惑のほかに、紀子妃は家系的にカトリックではないのかという噂もあります。あくまで噂です。

文仁親王にキャンパスで見初められて親王妃になった、という国民に信じられているシンデレラではなく、じつはカトリック系が用意した女性ではなかったかという疑惑もありました。

秋篠宮家は、おそらくは3組あり、今の秋篠宮家は311を境にまるごとすり替わっている可能性があります。

 

1斜視の宮様:学習院政治学科卒業

斜視の写真がおおくのこっているので本物かなと思うのですが、、。

 

2白髪の宮様:ナマズ研究?

垂れ目の悠仁さまの親御さん

 

3黒髪の宮様:家禽研究?紀子さんの身長が低い。

釣り目の悠仁さまのご両親かもしくはレンタル家族

皇太子夫妻を差し置いてローマ教皇と会談していること、秋篠宮家の公務先が南米などカトリック国であることからみて、今の黒髪のヘタレ宮様が親王役をしている秋篠宮チームは、カトリックチームではないかと思う節もあります。

斜視の宮様う⇒白髪の宮様⇒黒髪の宮様チームとメインがすり替わりましたが、そのまえの白髪の宮様の時は、民主党議員に罵倒されたり、小和田恒が日本に帰国しているときは週刊誌がバッシングしたりしているところをみると、白髪の宮様は朝鮮チームではなく、カトリックチームだったのかなとおもうんですけどね。

まだ2人の内親王が小さいころから、複数の「文仁親王」「紀子様」「内親王」が確認できます。

不気味なことです。

 

会津閥

ご本人の淳良なご気質もあったとおもいますが、紀子妃は会津藩士の子孫であることもあり、そのご縁で紀子妃は会津藩主の子孫である秩父宮妃に可愛がられていました。

秩父宮妃が薨去されたとき、宮妃の死後は宮邸を秋篠宮家が使用するようにと遺言されました。そのため、平屋の職員住宅を宮邸としていた秋篠宮御一家が、やっと宮家に相応するお住まいに住むことができました。このとき、おそらくは宝飾品も秋篠宮妃へと遺贈したとおもいますが、美智子がティアラを、雅子がネックレスを、久子が指輪ががめたのは有名な話です。

浮世風呂様より転載させていただいています。

http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/f2519504838ba6e271d8740c69233313

在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち、教育を受けていた。

アリスの「幼馴染み」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、「侵略者ペリー」と、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子と九条節子であった。

九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

転載以上

仮に貞明皇后がクエーカー教徒だとして、アリスがカトリックだったそうで、のこる秩父宮妃の母上だけクリスチャンではないとは考えにくいんですね。

北白川女官長や入江侍従長など、歴代の女官長、侍従は雅子の創価朝鮮閥が幅を利かせるまではクリスチャンでリレーしていたと聞いています。熱心に神道の祭祀を推進していた香淳皇后の信頼の厚かった女官を「魔女」と誹謗し解雇に追い込んだのも、このクリスチャングループでした。ちなみに、松平信子さんは、貞明皇后の御用掛を14年、東宮職参与を25年務めています。

アリスは工作員でしたが、工作員の家系だったといった方が正しいと思います。工作員の家系の吉田茂の妻は雪子といい、雪子はアリスに師事しました。吉田茂の妻の雪子は大久保利通の孫であり、父は牧野伯爵で宮内相を務めた人物です。バリバリのクリスチャンでした。牧野は、貞明皇后と姦通の疑いがもたれるほど頻繁に面会していることや、貞明が皇后という立場を超えて牧野の前で涙を流して泣いたり愚痴を吐いたりして感情をあらわにしていることから、鬼塚氏は三笠宮の実父がこの人ではないのかと推測されています。

似てないんですけどね(笑)。

管理人は、鬼塚氏の著書の内容を100%信じているわけではないのですが(特に美智子に関する記述)、氏の著作は膨大な資料と聞き込みや取材をもとに構築されているので、陰謀論扱いされていません。図書館大賞も受賞しています。

アリスに話を戻しますが、アリス・ペリーは、長じてグルー氏と結婚し、アリス・ペリー・グルーとなりました。

夫のグルーが駐日大使になるにしたがい大使夫人となり駐日大使夫人となり夫と日本に居住しますが、吉田茂が御前会議などの情報を漏らし続けた相手がアリスの夫でした。当然「仲良し」の貞明や秩父宮妃の母上からアリスへと情報は漏れていたでしょう。

鬼塚氏は、何度も著書の中で貞明皇后は会津出身のキリスト教がらみの縁で皇太子候補に引き上げられた会津に関係のある正体不明の女性だと書かれていました。

そして、公卿の九条家とは何のかかわりもない女性だと。実際、学習院の名簿に九条節子の名前がなく、実際に学習院に通ったのかは不明だそうです。

貞明皇后の出自は美智子なみに不明ということになります。

さらに、生活スタイルも、皇后は生涯において着物を嫌い、未亡人になったあとは黒いロングドレスを着つづけており、その実態からみてクエーカー教徒だった可能性が高いとのこと。

「大正天皇に子だねがなかったので、別の男性の種を使って皇位継承者を作る必要性もあり、皇后に男性をあてがい4人の親王を作った」と東久邇宮が証言しているそうです。

皇位継承者を製造するという義務以上に「日本の貴族の女性とちがい多くの男性と交わり」「男狂いだった」ことから、鬼塚氏は貞明皇后は中国人だった可能性があるのではと疑っています。

千代田遊郭と朱貞明

裏付けする資料がないものの出自にかかわる噂の一つとして、明治帝や志士たちが遊ぶ施設「千代田遊郭」に中国から贈られてきた少女「朱貞明」だったのではないのか、という噂もあるそうです。千代田遊郭には没落した旧支配階層の旗本の娘たちが仕える施設で、えりすぐりの美女が揃っており、西郷隆盛も大久保も、伊藤博文も、そして明治帝もここで遊んだそうです。基本的には金書記が所有しつつも、必要とあればゲストに歓楽を提供する北朝鮮の喜び組のような組織だったのかもしれません。

千代田遊郭とは無関係であったとしても、出自が不明なこの少女は、最初はお妃候補の一人としてあらわれ、そして、ほかのお妃候補はどの姫も健康に難がなかったのにもかかわらず「健康上の理由」など難癖をつけられては退けられ、最後にのこったのが九条節子となり皇太子妃に内定しました。美智子やまさこが皇太子妃となった経緯と驚くほど似ています。

九条節子は、いったん皇太子妃候補のなかにあげられたものの、「皇族でないうえに不器量」という理由で反対もあり、皇太子妃には宮家の姫が内定しました。

が、その後、根気強く大山巌と伊藤博文を説得したのが大山捨松だそうです。

大山捨松

旧姓山川。会津藩家老の末娘、咲子。

10年間の米国留学を命じられた。そのとき、母は捨松と改名させた。

渡米後、キリスト教徒になって帰国。大山巌と結婚。鹿鳴館で活躍。影響力のある高官夫人として活動する。

この人物が、夫の大山を動かして内定していた宮家の禎子女王の内定をつぶし、夫や伊藤博文に働きかけ九条節子をねじ込んだと推測しています。

山川健次郎

大山捨松の兄。帝大総長。最後の会津藩主の六男である松平恒雄と、最後の鍋島藩主の娘の松平信子との間に生まれた松平勢津子を、秩父宮妃の妻にするため働きかけ成功した。

会津閥も頑張ってたわけです。気になるのは、主だった会津閥がクリスチャンだったのか、なんですね。

そういう意味で、川島紀子様も、もしかして、と思うこともあります。あくまで想像です。

貞明皇后が中国人説

疑惑の一つが、貞明皇后が中国人ではなかったのかという疑惑ですが、そうかもしれないと思わせるエピソードがあります。

日本は大陸を開拓して投資し、満州国を世界一の工業地帯にしました。この満州国の皇帝として、清王朝の末である愛新覚羅溥儀をたてました。そして、満州の実権は日本が握りました。

満州皇帝溥儀の立場を、傀儡にされた皇帝とするか立憲君主とするかは微妙ですが、溥儀は不満をいだいてたようです。

愛新覚羅溥儀が日本に来たとき日本の皇族が歓待しました。このとき、貞明は息子と年齢の近い溥儀を、わが子のようにかわいがったそうです。秩父宮などの実子が、「おたあさまは、われわれより溥儀さんのほうが気があうようですから」と皮肉られるくらいでした。

溥儀には英国人の家庭教師がついていましたし、貞明皇后も英語が話せたと思います。たぶん。

しかし、貞明皇后が溥儀に自分は中国人であることを告げ、中国語を流ちょうに話すことができたゆえに、貞明と溥儀の2人の関係が母子のように親密になったのかもしれないと想像できます。あくまで想像です。

溥儀は日本が降伏したあと日本への亡命を希望し、弟の妻であった嵯峨侯爵家の令嬢の浩(ひろ)にも、「日本に亡命したい、皇太后に会いたい」と言っていたそうです。浩さんは、普段から溥儀が母のように貞明を非常に慕っていたことを著書のなかで触れています。溥儀は日本人が嫌いでした。が、貞明を100%信頼していました。それは、同じ中国語を話す中国人だったからではないでしょうか。

今の偽物の紀子さんに、中国語のアクセントがあることがコメント欄にて指摘されていました。また、話すときに、下唇を顎先に押し下げて話す癖があり、これは発音上、中国人、朝鮮人だとこうなりやすいそうです。徳仁親王のダブルたちや、蓮舫にもこの癖があります。いまの紀子さんは、中国人である可能性があると思います。

話を会津藩士の子孫であり、文仁親王とご成婚した川島紀子嬢に戻しますが、紀子嬢は川嶋教授の仕事の関係でご成婚までの年月の中で多くの時間を海外で過ごした帰国子女だったので、英語とドイツ語は堪能でしたが日本語が苦手だったとか。その紀子嬢に、はたして感性や感覚でうけとめる日本の精神風土や宗教観を理解できていたかは不明です。

常陸宮家と近衛家、赤い閨閥

コメント欄より

続けて、すみません。

華子妃殿下のご実家、津軽家及びその周辺の系図のサイトです。

(コピー禁止となってますので、検索項目からのサイトです。)
http://episode.kingendaikeizu.net/17.htm

津軽家・肥後細川家・近衛家との関係が

非常に深いのがわかります。

明治維新では、近衛家の奔走で急遽官軍側に立ち、功臣となってます。

『東日流(つがる)外三郡誌』と言ういわゆる偽書と言うものがあります。

津軽の有力者安東氏やその周辺の歴史、そして津軽家による弾圧を綴る書物の様です。

学界的には結論が出ていますので、多分偽書なのだと思います。

ただ、藩祖の津軽為信の出自は、ほぼ不明に近いです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E7%82%BA%E4%BF%A1

だからどうなんだ‥‥と言うのではありませんが、思考・嗜好は育った環境や遺伝に沿いますので、近衛家・細川家と近いかもしれ

ません。維新後、恐山周辺に会津藩から強制移住させられた方達がいたと聞きました。

1万人くらい?)

非常に環境厳しく、飢餓で倒れた方が多かった様です。多分、津軽家出身の華子妃殿下としては、紀子妃殿下の出自はあまり歓迎す

るところでは無かったのでは無いかと思います。

以上

 

ながく秋篠宮家が孤立していた背景は、皇室内の派閥の強弱があったのかもしれませんね。クリスチャン・会津閥は押され気味だったのかもしれませんね。

なぜ、常陸宮家は秋篠宮家をかばう気配がないのかが不思議ですが、背景にしている派閥が違うのかもしれません。華子様はご立派な方でご尊敬申し上げていますが、近衛家、細川家には黒いというか、赤いイメージしかありません。

近衛さんとこの奥さんは、三笠宮崇仁親王の長女で常磐会会長ですが、学習院の赤化を止めようともせず、(偽物とはいえ)秋篠宮家内親王を守ろうともしませんでした。

過去の皇族妃の決定にいたる経緯や閨閥をみていると、紀子様が親王妃になったのは偶然といえるかどうか怪しいな、という印象をうけました。親王妃におさまる女性は、なんらかの勢力を背景にしないと潰されてしまい、ご縁組は成立しないのではないでしょうか。

「学習院のマドンナだった紀子様が、親王に見初められてキャンパスの恋が実り、親王妃になった純愛ものがたり」という、シンデレラストーリーとは違う面があるのかもしれません。

 

コメント欄より

以前から、幾度かコメントに書こうと思っても、何故か動作不良で文章を消してしまい書けなかった事が有ります。

隠れキリシタンで有名な九州、N県のG島、そこに赴任されていた方から聞いた話です。

何かの話ついででしたが、

“あそこはねぇ‥‥、○人事件が○人事件にならない土地だから。”

昔話では無く、平成も最近の話です。

イエズス会の『血の宣誓』をご存知でしょうか。

(以下参照。↓↓)

 「私は機会ある限り密かに、あるいは公然と、指示されたとおりに、すべての異教徒やプロテスタント、自由主義者をこの地上から根絶させ撲滅するまで、徹底的に戦い続けることを誓い、宣言する。相手がどのような年齢や性別、健康状態でも決して容赦しない。忌まわしき異教徒をつるし上げ、疲弊させ、茹で上げ、皮をはぎ、首を絞め、生きたまま地に埋める。女の腹と子宮を裂き、子どもの頭を壁に打ちつけて砕き、呪うべき者たちを永久に根絶する。

   公然と行えないときは陰に隠れ、毒を持った杯を、短剣の刃を、絞殺のためのロープを、鉛の弾丸を使う。相手の地位や品格、権威にかかわりなく、彼らの状況がどのようなものであれ、公私にかかわらず実行する。私は常に教皇の、また聖なる修道会であるイエズス会の長の代理人の命じるままに動く。」 

(参照終わり。)

イエズス会ってこんなところ。。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/79776312

太閤秀吉殿、権現家康公、、禁教令はとても正しかったです。

有難うございました。

以上

 

ありがとうございました。

今の法皇さん、イエズス会のかただったと思うのですが、やはり上記の血の宣誓をしたのかしら。

 

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