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正田家から皇太子妃
正田家から皇太子妃をだすということは、戦後すぐにGHQやカトリック工作員たちは、決めていたようですね。占領政策の一環だったと思います。
・最下層の最低の家の最低の女を皇室に入れて、皇室と日本の国体を破壊すること。
・アメリカの小麦を日本にかわせること
・天皇家をカトリックに改宗させ、日本の国教をカトリックとし、バチカンが日本の総所得の10パーセントをゲットすること。
全てを備えていたのが、カトリックで新平民で製粉会社を経営していた正田家だったのだと思います。おまけに妻の富美は大陸時代からのアメリカの工作員です。
バッチリすぎるほどバッチリですね。
富美の情夫もまた、富美と同じ工作員だった堤康次郎。
性豪の堤は落胤がアホほどいる男でした。工作員として使える人材はアホほど豊富。
正田富美の亡くなった長女の代わりに堤の落胤の娘たちで更生される、チーム「正田美智子」を作り工作員として育て、ゆくゆくは皇太子の妻にする、そういう計画だったのではないでしょうか。
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正田家から皇太子妃をだすための準備の一つが、1946年、正田貞一郎を貴族議員になっています。
はたして、新平民だった正田が貴族議員になれるのか。
なれるんですね。内閣の推薦があれば。
貴族議員
【勅撰議員】
国家に勲労ある者又は学識ある者の中から、内閣の輔弼により天皇が任命しました。終身議員。人数は125名以内。
カトリック仲間の吉田茂が、半年後、貴族院が廃止されることを見込んで動いたといわれています。
その吉田茂首相ですが、スパイだったというもっぱらの評判です。
日本のCIAエージェント
※お借りしてます。
★吉田茂
幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。
天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁=麻生太郎の祖父。
★麻生太郎
第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に置き、日本を暗黙の「監視下」 に置いた。
その任務を担ったのが、初代CIA日本支局長ポール・ブルームであった。
ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持ち、その近所には2008年現在の麻生太郎元首相の生家があった。
当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父であり、麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田首相は、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合った。
やがてブルームは麻生太郎を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。
(ここまで)
転載しませんでしたが、岸首相や笹川良一も、このリストの中にあります。
傍系宮家へのカトリックの布石
傍系宮家に皇統が映った時のために、カトリックで取り込んでおこうとしてたみたいですね。
【夜明けの鳥さんからの情報提供】三笠宮百合子妃殿下と近衛寧子(長女元内親王)について – 伏見顕正の政経塾
【夜明けの鳥さんの情報提供②】赤い長老の長女は赤い公家(近衛家)に嫁ぐ;拡散希望 – 伏見顕正の政経塾
三笠宮崇仁親王の妃の百合子さんは、カトリックで工作員だった入江の姪。
三笠宮家の長男・三笠宮寛仁妃は麻生信子さん。政治家の麻生太郎の妹。
麻生家はバリバリのカトリック教徒。
信子さまの身心の不調は、もしかしたら信仰の違いからくる罪悪感もあるのかもしれませんね。
続きます。
電車で爆睡している、おっちゃんにしかみえない