信子妃・吉田茂・麻生家・白洲家の謎と疑惑の維新⑬
コメント欄より
Hiromi様、いつも目から鱗が落ちるような記事をありがとうございます。
信子さまがご成婚の頃から常に憂いがおで写真に納まっておられるのが印象に残っています。 単純にも、家風の合わない昔気質のおうちに嫁がれ、おまけに旦那さんが酒飲みで苦労されているのかしら、とお気の毒に思っていましたが・・・。
一族の、更にその背後の力からのミッションを背負っての工作員としてのお輿入れだったのかもしれませんね。
麻生家の菩提寺は真宗、明治の初めに火災で麻生家の過去帳焼けていますね。
やはり過去帳には人に見てほしくないお戒名やメモ書きがあったのでは?と疑ってしまいます。 (過去帳にはお戒名の他、どこのどんな身分の誰から養子にもらったとかの記録が書いてあることが多いのです)
菩提寺はその後麻生家の寄進で立派に再建されています。
阿漕なことと慈善事業とのバランスを上手く取って家運が落ちないようにしていたユダヤ・白人系の知恵をここで活用してるのかな、と思いました。
コメント欄より
寛仁殿下がお亡くなりになった頃、寛仁殿下とスキーを時々ご一緒する方と話をしたことがあります。 その方が寛仁殿下とスキーをする時に、SPがかなり威張った態度で追い払ったので、寛仁殿下はお詫びとして食事に誘って下さったそうです。
寛仁殿下はとても気さくで優しいお方で、お互いに喉に癌があることもあり、癌は段々下に下がってくるよね。と色々な話をしたそうです。
そのなかで、信子妃の話もあり、食事は作らないし家に全然帰ってこない。とかなり怒っていらしたそうです。 当時私は、信子妃はどこに滞在してるのか不思議でした。
今思うのは、麻生家が信子妃を引き取り拒否したのは、皇室の内情を報告する人間が必要だからかということです。彬子様に関して、色々と下げることがネットで書かれていますが、鵜呑みはできません。 日本の伝統文化を懸命に繋いでいこうと努力されてる姿をみると、やはり、信子妃とは皇族として許しがたい何かがあったのかな、とも思います。
皇族を根絶やしにしたい勢力は、1滴でも皇族の血が入っていれば根絶やしにし、利用できそうもなければ、社会的に抹殺するのみです。
寛仁殿下が信子妃をかみさんと呼び、妃が結婚理由を「私はトモさんという一人の男性と結婚するの」と話したことをインタビューで答えていたこと。
この妃の言葉が、寛仁殿下にとって大切な思い出だったのだと思います。 様々な事情があるにせよ、信子妃には皇族として皇室を守ってほしい。と思います。 長文失礼しました。
コメント欄より
サザエ家の謎ならぬ麻生家の謎に迫るシリーズ、ご企画ありがとうございます。
連日拝読しております。 麻生信子さんの近影を見てびっくり、韓国ドラマのおばあさん役の常連キム・ヨンオクにうりふたつです。本家の奥様同様、加齢とともに先祖帰りしてニダ顔全開。
私は個人的に寛仁殿下のことは、理由は詳しく明かせませんが、あまり好きになれませんでした。ただし立派な功績を遺され人気者だったことは確かですし、DVの話は殿下から直接信子さまへの肉体的暴力はないというお嬢さま達の証言は本当だと思います。 火のない所に煙が立った原因として、夫婦仲が悪いことは言語や態度での精神的攻撃は双方で交わされていたと(要するに夫婦喧嘩)、各所から聞こえていました。
またその流れで韓国ドラマあるあるの物への八つ当たり(机や棚の物をガサーッと落としたり、持っていた物を投げたり引きちぎる等)で、たまたま暴れた後始末をした人が、オーバーに言いふらした可能性があります。
前にもお話ししましたが、皇太子「負債」が二人揃って御所の清掃ボランティアへ挨拶のお出ましをしたのは、結婚して二十年以上経つのに後にも先にもたった二回きり。
そのうちの一回の高校生が、二人も三笠宮家の職員として就職しているんですよ。怪しくないですか?
お嬢さま達からしたら信子さまが軽井沢へ静養に行ったのは、DVからの避難で寛仁殿下が亡くなるのを待った、みたいなことになっていることもかなり腹立たしいでしょうね。降嫁してしまうと信子さまが三笠宮家を占有するのが嫌で、二の足を踏んでいるのでは? だからと言って女性宮家の創設とは、男系男子の旧皇族に婿入りでもしていただかないことには、無理なことだと思います。
政略結婚になるのかも知れませんが、ダブルM子という下賤な嫁をゴリ押しされたことを思えば、まだ真っ当なことと評価されるでしょう。
それでも大切なお世継ぎは悠仁さましかいらっしゃらないですけどね。
長々書いて失礼いたしました。連休最終日だったもので、ついついおしゃべりが過ぎました。
(以上)
ありがとうございました。
三笠宮信子妃殿下
wiki
聖心女子学院初等科、中等科を経て、イギリスの花嫁学校ロスリンハウス・カレッジへ入学した。卒業後は、彼女自身も通っていた松濤幼稚園に英語講師として勤める。
1972年(昭和47年)2月、16歳の時に寬仁親王(当時26歳)から求婚されたが、当時はまだ高校生で若すぎるということもあり、8年後の1980年(昭和55年)4月18日の皇室会議を経て婚約して、同年の11月7日に結婚した。同日付で勲一等宝冠章を受章した。
翌1981年(昭和56年)12月20日に長女彬子女王、1983年(昭和58年)10月25日に次女瑶子女王の女子2人を出産した。
あー、つまんねーという感じ。
ご不満があったのでしょうか。
実質中卒の同和出身の成金が嫌々嫁ぐほど、親王妃とは価値の低いものなんでしょうか。親王妃になるのがお嫌なら、さっさとほかの御曹司とご婚約すればよかったのに。本当は英国貴族に嫁ぎたかったのかな。でも叶わなかったので、帰国してすべりどめの親王妃におさまったのかな。
ずっと、寛仁親王にストーキングされてたそうですね。
「何度も断ったのに」
「あまりにしつこいから」
「仕方なく結婚してあげた」
ストーリーは、美智子も雅子も使ってますね。
実は、信子さまは美智子や雅子とよく似ています。
・異教徒であること
・「仕方なく結婚してあげて親王妃に、嫌々なった」こと
・「古い皇室になじめなくて、お可哀そう」伝説
・「皇室にはもったいない」伝説
・数世代にわたる工作員の実家
・実家は人権侵害、もしくは公害にかかわっていた企業
麻生家=炭鉱、美智子の次妹の嫁ぎ先が新潟水俣、雅子の祖父が水俣、
・実はあんまり成績がよくない
信子さま=中学卒業後英国の花嫁学校へ、
雅子=実質中卒
美智子 低偏差値の女子大でもBとCがいっぱいの成績
・母親の婚家さきへの干渉がすごい。日本人ばなれしている。
コメント欄より
血筋のお話、興味深いです。 とても分かりやすく、読ませていただきました。
大久保さんの、のし上がり方が凄まじいです。
出身地では、西郷さんは好かれているそうですが、大久保さんは嫌われているそうですね。 地元で嫌われている情報を調べると、銅像を設立するときにも、少々揉めた話も出てきました。 設立しようとなったきっかけが、西南戦争百周年の機会と有りますが、その頃、西郷さんと大久保さんの友情を描くドラマがあったそうです。 単純に名前を調べると、閣下と同じく最高の政治家として、大久保さんを上げる情報も出てきたり。
銅像設置後、信子様はご結婚されたりと、不思議な偶然です。
明治天皇様は西郷さんを、とても信頼されていたと聞いたことがあります。 西郷さんの言葉をいくつか見たことがありますが、その心のありかたや、指針は人として尊敬できる方ですね。 続きが待ち遠しいです。
(以上)
「西南戦争百周年」大久保の印象操作のドラマ⇒大久保の銅像の設置⇒信子さんのご成婚
つながりますねー。
吉田茂が正田貞三郎を貴族議員にねじ込む⇒成績の悪い正田美智子を聖心の首席に⇒皇太子妃候補に正田美智子
に通じるものがあります。
維新を書く作品は、ことごとく大久保と西郷どんとの友情が強調されてますね。西郷どんはなんでも受け入れる人でしたが、実際はどうだったんでしょう。
関係した人間を土台にしてのし上がり、さらには恩をあだで返すが如く恩人たちを破滅させ続けたのが大久保でした。
ネットでは、CIAに粛清された中川元大臣と、麻生閣下との友情が強調されています。実際はどうだったんでしょ。
中川氏が暗殺される直前に会いに来た親しい人は誰だったんでしょ。気になりますね。
あくまで推測ですが、、、
英国系(ロス茶系)CIA工作員:麻生信子と麻生や吉田一族?
米国CIA工作員:正田富美&美智子(昭和時代)と正田、堤一族?
中国共産党系(米国ロック4世系?)工作員:朝鮮族中国人の美智子(平成)?
北朝鮮系工作員:小和田雅子と小和田一族と池田創価学会?
北朝鮮の金一族の直属工作員:愛子様の影武者影子たち?
愛子さまに似ているダミー愛子を影武者からおろし、愛子さまに似ていない金影子を、あえてメインにしつづけています。金正男の長男と、金影子、この二人は、シンプルに異母兄弟だと思います。
じゃないのかなー。
史観の見直しの必要
日本に話を戻しますが、日本の歪みは戦後から始まったのではなく、維新から始まっていますね。史観の見直しは戦後からではなく維新からやらなくてはならないようです。
ただ整然と起こったことの事実を並べていく、それだけで今までとは違った近代史になるでしょう。
絶対的な神託としてのテレビやマスコミの力が弱くなってくるに従い、明治維新自体が外国の財閥が計画し指導した詐欺的な革命だった、志士たちのエピソードもおかしい、辻褄があわない、という検証もでてきました。
戦後から、毎年毎年NHKの大河ドラマなどで繰り返し、維新の志士たちを神格化するための印象操作には余念がありません。でも、志士たちのエピソードは真相とは違っているようです。志士たちをささえた財政はどこからきたのか、なぜ、明治維新にいたるまでの経緯がフランス革命と似ているのか、ロシア革命とにているのか、同じ勢力の人間が脚本を書いたと考えれば納得がいきます。
考えれば考えてるほど、維新には不思議がいっぱいですね。
結局、海外の財閥や資産家たちの援助を受けた最下層の貧困の武家たちが、最高位にある天皇を抱き込み、中央を俄かに制したのが明治維新だったようです。
志士たちの妻もまた、最下層の武家の出か、あるいは花柳界の女性でした。
ようは、賤民の男女が海外の財閥の応援を受けて成り上がったのが明治維新でした。
成り上がった最下層の男と風俗業界の女性がはべり、料亭で政局が決まる。それは、東京に政権がうつっていらいの東京時代の伝統になったようにみえます。能力しだいで支配層になれる民主制といえばそうなのですが、たかり続ける性根、今のうちに取れるものを取っておこうという最下層の生き方に通じるいじましさのまま、国の中枢に座り支配しているふうにみえます。
幕末に来日した外国人が、江戸幕府の役人が賄賂をを受け取らないと愚痴を述べています。江戸時代も宴席がもうけられましたが、幕僚の公私のけじめは厳しくあり、ここまで露骨ではなかったと思います。
不自然に最下層から成り上がった家は、相続や家族構成もみだれている風に見えますね。
ルーピーの母は朝鮮人、父は鳩山一郎とされているが、ルーピーは何故か笹川良一に酷似している。
実母は朝鮮女性だったのは確実としても、実父は鳩山一郎ではないのではないのか、だとしたらいったい誰なのか。
正田美智子は堤康次郎の隠し子であり、亡くなった正田富美の長女を背乗させて育てた。
吉田健三の相続人である吉田茂の実母は不詳、5男茂の生母を隠し続けたことから生母は部落か、実父が朝鮮鉄道に関わっていたことから生母が朝鮮系の可能性が高いですね。
日本男性の平均身長が160センチあるかなしかのころ、180センチ近い身長や彫の深い顔立ちの白洲次郎。
二親のどちらかが英国人である可能性が高い。にもかかわらず商家の白洲家の嫡子として育った。
正田美智子の母、正田富美(旧姓副島)も母不詳。戸籍上の父副島は大陸で工作員をやってた可能性大。当時の女性としては異様な高身長と混血のような顔立ちと肌の白さから白人との混血児ではないのかと思われる。
小和田恒の長女雅子は、池田大作と妻の優美子との間の不倫の子。
おおざっぱですが、維新後、最下層から最上層へ急激に成り上がった人たちには、ほぼ同じような特徴があるようです。
①間違いなく、外国の工作員であったこと、
②ほぼ間違いなく、一神教のキリスト教、実質一神教の異教に改宗している
③ほぼ大方の出自とルーツが、同和地区か朝鮮系であること
④その中には、他人の子供を相続人にしている場合が多い
これらが「彼ら」から援助をうけるための条件だったのでしょうか。
最下層から脱出するために嬉々として飲んだのでしょうか。