信子妃・吉田茂・麻生家・白洲家の謎と疑惑の維新⑦曽祖父たちとジャーディン・マセソン商会
続きです。
曽祖父・竹内綱
・板垣退助の弟子。
・非嫡出子の5番目の息子・茂を養子に出す。
・土佐藩士時代には、財政再建に尽力したとされるが、正格には土佐藩士ではない。宿毛藩の藩士と自称していた。実際は正規の藩士ではなく坂本龍馬と同じ郷士と思われ。
・明治維新後は自由民権運動に奔走、衆議院議員となった。
・高島炭鉱の経営に従事。
・朝鮮半島鉄道の経営などに従事。
・正妻の間にうまれた4男を養子に与える約束をしていたが、可愛いので反古にし、かわりに「長崎の女郎が産んだ」5男の茂を養子に出した。
・茂の生母が今を持っても不詳。実子かどうかもあやしい。
養曽祖父・吉田健三
左:吉田健三、右:妻の士子(ことこ)
・吉田茂の養父。親友竹内綱の非嫡出子・茂を養子にした。
・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長
※お借りしてます。
http://fushimi.hatenablog.com/entry/2017/04/03/000000
先ず、養父の吉田健三は香港のイギリス資本のジャーディン・マセソン商会横浜支店長でした。
この会社は明らかにロスチャイルド系の会社で戦後は、有名なキャセイパシフィック航空も経営しています。
養父の健三はマセソン商会横浜支店長で日本政府相手に軍艦や武器、生糸の売買で巨利を稼ぎました。
健三自身もイギリス系の工作員だった可能性が大です。
3歳の時、吉田家に養子に出され、11歳の時に養父が亡くなり、56億円の遺産を受け取りました。養父が亡くなるまで8年間でしたが、吉田家に出入りする社員や幹部にも工作員が多かったことは想像に難くありません。
(以上)
ジャーディン・マセソン商会とは
サッスーン財閥との抗争と和解
※こちらからまとめさせていただいてます。
18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪一族。オスマントルコ治世には財務大臣を務めた。
デヴィッド・サッスーン
サッスーン財閥
・アヘン王。バグダッドに生まれ、インドに進出。1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住。
・上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人。
【1773年・英国がアヘン専売権を武力で獲得】
・イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得。
・東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらした。
【1842年・アヘン戦争】
・中国が敗北香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意。
・アヘン戦争から得た莫大な富を取り扱う銀行が必要になり、できた会社がHSBC。
【1868年・英国最大の銀行HSBC(香港上海銀行)設立】
・アヘン貿易で得たお金で創立された銀行。
・最大の株主はアヘン王・デヴィッドの5男のアーサー・サッスーン。
・出資者は、サッスーン一族を中心に、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに関係する役員で構成。
アルバート・アブダラ・サッスーン
デヴィッドの長男・アルバート・アブダラ・サッスーンが「サッスーン・ドッグ」をインド西海岸にドッグを建設。インドを足場に海運事業を興こし、「インドのロスチャイルド」と称された。
エドワード・サッスーン
アブダラの息子。妻の名はアリーン・ロスチャイルド。
紅茶と麻薬の栽培と販売
・英国紅茶の元締め→片岡物産が代理店
・紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていた。
【1864年、太平天国が滅亡】
・メーソン・ロッジが上海に林立。
・ロンドンで植民地協会が設立。
・4年後、同協会は、英国王室の後ろ盾によって、王立直轄植民地協会と改名。
・この王立直轄植民地協会によって創立された金融機関が、HSBC(香港上海銀行)。
HSBC出資者
・デビッド・E・サッスーン商会、
・エヴリン・ベアリングのベアリング商会、
・ディン・マセソン商会、
・バークレイズ銀行(ロスチャイルド人脈の役員によって構成)、
全員が高位フリーメーソンのメンバー。
東インド会社の蛮行が世界の非難を浴び、正式に東インド会社は消滅。
↓
HSBC(香港上海銀行)へ改名、
・サッスーン財閥、
・ロスチャイルド財閥、
・ジャーディン・マセソン商会
などが引き継いだ。
ジャーディン・マセソン商会
【1832年設立】ジャーディン・マセソン商会
・中国のマカオに設立された貿易商社。
出資者
ウイリアム・ジャーディン
元東インド会社の船医でマニアック商会の共同出資者であるスコットランド出身のユダヤ人ウィリアム・ジャーディ。
ジェームズ・マセソン
スコットランド出身のユダヤ人。カルカッタで貿易商として独立し、マニアック商会の共同出資者。
・アヘンと紅茶をあつかい、東インド会社後期の利権をめぐって、サッスーン財閥と激しく抗争。アヘン戦争後、1941年に本社を香港へ移行。
【1862年・グラバー商会設立】
・ジャーディン・マセソン商会の代理店。長崎に設立。
・トーマス・グラバーはフリーメーソンのメンバー。長崎に設立。志たちを援助。
・倒産後は三菱の岩崎弥太郎の顧問となり仕える。
【1865年・亀山社中設立】
・ジャーディン・マセソン商会は、アメリカ南北戦争が終わり売れ残った武器を上海で取扱い、維新軍に「グラバー商会」を通じて、銃や軍艦なども輸出。
・その取引のダミー商社が坂本龍馬が長崎に設立したのが亀山社中」。
・「亀山社中」は、後に「海援隊」と改称。
・竜馬の死後、利権を受け継いだのが岩崎弥太郎。
・破産した後、グラバーは岩崎家に仕える。
・岩崎は海援隊の事業を引き継ぎ、三菱財閥を創った。
【1877年・サッスーン財閥とジャーディン・マセソン商会の和解】
・ケズウィック(ジャーディン一族と婚姻)の仲裁で、ジャーディン・マセソン商会と、サッスーン=ロスチャイルド連合が和解。
・ジャーディン一族のウィリアム・ケズウィックはサッスーン一族(ロスチャイルドと親戚)が最大株主であるHSBC(香港上海銀行)の取締役に。
・ジャーディン家・マセソン家・ケズウィック家・ロスチャイルド家・サッスーン家は複雑に婚姻関係で結ばれてゆく。
スカル&ボーンズについて
・エール大学の秘密結社
・ブッシュ大統領を排出
創立者と名門大学の資金
・ウィリアム・ハンティントン・ラッセルと、従兄弟のサミュエル・ラッセルが1832年に設立した。
・従兄弟が中国のアヘン戦争の引きがねとなる世界最大のアヘン密輸企業のジャーディン・マセソン社と手を組んでいた、ラッセル・アンド・カンパニーの経営者。
・名門エール大学も、その資金は中国のアヘンの利益から得ていた。
【明治維新】
・明治維新で伊藤博文、井上馨ら長州5傑(Choshu Five)が、グラバーの仲介で、イギリスに密航しロンドン大学に留学。
・そのときの船はジャーディン・マセソンのもの。
・彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソン。
このように、明治維新は
①フリーメーソン、
②ジャーディン・マセソン商会、
③サッスーン財閥、
④ロスチャイルド財閥が深くかかわっていた。
この秘密結社の人脈と陰謀、アヘンと武器で巨利をえていたジャーディン・マセソン商会横浜支店長が吉田健三。
この吉田健三が、養子にしたのが友人の竹内綱(が女郎に産ませたらしい)の息子の吉田茂。健三は30代で死去。今のお金で50数億の遺産を養子の茂に残した。
吉田家はもとより、吉田の妻の父の牧野伯爵の代、おそらくは、その前の大久保もカトリック教徒だったのでは?
続きます。