⑤ 偽皇統だよね
昔のお写真からは、A・大柄で脳病の大正天皇、と、B・小柄で聡明な大正天皇、が確認できます。お妃の貞明皇后も2人かくにんできます。普通に維新前から宮中にはダブル制度があり、それが存続していた可能性が高そうです。
鬼塚英昭氏の著書で有名な話ですが、長州の朝鮮部落(半島のユダヤ系だった可能性大)である田布施の大室寅之助が明治天皇になりすまし、東京の旧江戸城に住み着きました。それから1世紀を超えたまま、いまだ、国民は騙され続けています。
鬼塚英昭氏は陰謀論者ではなく、当時の文献、日記、など一次ソースを元に、明治以後の天皇家と支配層の正体を論証してみせた作家さんです。文献には2種類の陸仁親王が確認できるとされています。
➀ 小柄で歩行困難で背負ってもらわないと移動できなかった陸仁親王
② 相撲を自ら取る相撲大好きの、身長180センチの大男
なぜ、幕末のどさくさに、➀が②になるのでしょうか。こたえは一つしかありません。別人だからです。
当時の公家の日記には、「血まみれの白い布でぐるぐる巻きにされて母の実家に送り付けられた陸仁親王のご遺体」の話が書かれてあるそうです。京都の方々は、代々伝わってる話がたくさんあり、いろいろと知ってるのでしょう。
序列を重んじる世界で、天皇が格下のお古を使い続けるということもありえない
そして、明治天皇は元々は日本人ですらない外人か、国内であっても異国のコミニティで育った人でしょう。天皇が「格下の武家の徳川家のお古の住処」を皇居とするってのは、あのころの常識では考えられないんですよね。祭祀王の天皇のお住まいは神殿でもありますから、ケガレのない誰も使ったことにない真新しい土地に、風水を駆使して作るのが普通です。仮御所にするなら一時的に神社仏閣を使うと思うけどなあ。
明仁天皇、ナルちゃんは、東京に高御座を自衛隊のヘリを使って運ばせ、正殿の儀をもって即位しました。でも、京都御所で即位しないと意味ないと思うんですけどねえ。
管理人は、明仁さん、徳仁さんたちは、即位した人が別人偽物であること、京都御所で即位しなかったので、平成と令和は空位であり、今もまだ昭和が続いてると思ってます。
偽南朝vs北朝
鬼塚史観によると、田布施の大室寅之助は、南朝の末を詐称して、陸仁天皇を殺い奉り、なり替わったとされています。もちろん南朝云々は嘘です。彼は朝鮮部落の奇兵隊の出身でした。井沢満さんをはじめ、半島系の方の中には、妄想を抱くうちにそれが現実だと勘違いしやすい人たちがいます。講談などで聞きかじった南北朝の物語が、いつのまにか、自分達のことだと思いこみ、時間が立つと、事実に昇華した可能性があります。少なくとも、天皇家、天皇制度の枠組みの中で育った人とは思えない言動が多いんですね。
日本の本当の黒幕(上)』鬼塚英明著より
公卿の三条実美と土方久元(土佐脱藩者)が計画し、中岡慎太郎と坂本龍馬が長州の輝度行員と薩州の西郷隆盛を動かした薩長連合は、大室寅之佑なる者を天皇として新政府を樹立するという密約でもあった。彼らは武士というよりも下層階級、郷士格であって、武家社会で大手を振っていきていける身分ではなかった。「西郷南洲」という芸名は、南朝の菊池氏からきているという。しかし、西郷、大久保利通、樺山資紀、大山巌たちは、鹿児島の加治屋町(現在は鹿児島市加治屋町)という部落で、汚物の処理や清掃、葬式を生業としていた。武士とは名ばかりの、最下層にいる人々であった。
薩長連合は、そうした彼らが長州、薩摩、土佐の大名とは別行動をとったクーデター計画であった。
島津久光は西郷と大久保利通が大室寅之佑を連れてきて、「この男が天皇になります」と告げられた時とき、刀で斬りかかりそうになった。しかし、西郷が「すでに睦仁は死んでおります」と告げたので刀を降ろした。
この逸話は、鹿児島の郷土史家から直接私が聞いた話である。真実だろうと思う。この薩長、そして薩土の秘密連合がクーデターを起こして明治政府が出来上がるのである。大室寅之佑は藩主毛利忠親の知らない間に天皇になっている。いわゆる事後承諾というやつである
(略)
明治の新政府ができてまもなく、十六歳の少年天皇が、我儘をして”元勲”たちのいうことをきかないと、西郷隆盛は「そんなことではまた昔の身分にかえしますぞ」といってしかりつけた。すると天皇はたちまちおとなしくなったという話が伝えられている。
転載以上
薩摩藩の西郷隆盛は南朝の菊池家の子孫を称していましたが、他国人が閉鎖的で独自の訛りの言語をもつ薩摩藩に住み着くことは、ありえないそうです。普通に考えて、西郷も大久保や小泉家と同じく、朝鮮征伐で連れ勝った半島の捕虜が住んでいた朝鮮部落出身だったという説のほうが自然でしょう。
明治以後の皇統は、日本人ならわかっていることが、いろいろわかってないところで、どうも、日本人ではなさげですね。維新後のエピソードの中には、すり替わり説に納得がいくものが多いです。李王家に嫁いだ梨本宮方子さんは、ご自身が「北朝だったので宮中では苛められました」、と生前、証言してますね。まあ、そういうことです。
鬼塚氏の著書に詳しく書かれてますが、当時の女官や皇族の証言や日記からみて、大正天皇の第二皇子・秩父宮の実母は貞明皇后ですが、実父は北朝宮家の方、第三皇子・高松宮は北朝の有栖川宮家からの養子だと推測されています。
管理人は容姿がに過ぎていることから、第四皇子・秩父宮も有栖川宮家からの養子だと思ってます。
三笠宮崇仁親王と有栖川宮幟仁親王
三笠宮の三男の長女・高円宮承子女王と、有栖川宮威仁親王。
おそらくは、維新の折に、偽南朝と北朝の宮家との間に、契約かなにかがあり、いちおう大室を征服者として受け入れ、天皇として認めるが、次男以下の親王など、皇位継承権圏内に北朝から養子を入れる、というものがあったんじゃないでしょうか。
秋篠宮様と山科宮家
読者様からのご指摘で、ああ、なるほどと思いましたが、秋篠宮様が山科宮家の方に酷似してるんですね。
イギリス人の血が入ると長身になりやすいそうな。山階宮はたしか英国留学の経験があったと思います。秋篠宮様が、幼少時からご成婚後も一貫して両親や宮内庁からいじめられ続けていること、御兄弟の中で御一人だけ長身であること、などを考えてみても、実父は明仁さんではなく、実母は美智子ではないかもしれませんね。
陰謀論の一つに、メルケル首相は、ヒットラーの冷凍精子とエバ・ブラウンの妹の卵子で作った御子さんだというものがあります。真偽は不明ですが、あのころ、冷凍精子を保存するという技術や、冷凍精子で子供を作るという手段があったことは確かなようです。
昭和の頃、昭和天皇の冷凍精子を使って生まれた男子がいたというスクープがありました。内容は、男児は皇族として認知されず、一般社会を流転し、取材した時点では地方の風俗店に住み込んでいるというものした。普通ならトンデモ本でおわるところが、政府側の本気の弾圧で廃刊においこまれ、編集者には刑事罰が科せられ投獄という本気の制裁が「何か」を意味していると思われます。
悠仁さまは、お顔のパーツは、母方の祖父君の川嶋教授に似てますが、デザインは昭和天皇の次弟の秩父宮に、似てらっしゃいますね。悠仁様が、曽祖父の弟君と似てることは、遺伝上、別に変ではないんですけどね。
話があちこち飛びましたが、結論を言うと、
➀明治以後、正統なる皇位継承者は、弾圧されてきたということ、なので秋篠宮家がその可能性が高いということ。
②田布施皇統側は維新後、隠れ養子や托卵やダブルを使いながら、偽皇統を今日まで持ちこたえてきたということ。
北朝旧宮家復帰
いきなり丸ごとの復帰はさせないみたいですね。予算のこともあると思いますけどね。皇統男系男子が120名ちかくいるのは結構なことなのですが、全員が皇籍復帰となると国家予算に無理がでてきます。
2020年に本物の眞子様が完全に消え、翌年2021年3月に再開した有識者会議により「旧宮家から養子がとれる案」に替わりました。森、小泉、福田、安倍の清和会政権+民主党政権の「女系天皇=皇統断絶ありきの案」から180度転換した内容です。
最終案は、徳仁天皇→文仁親王→悠仁親王の皇位継承順位はゆるぎないものとすること、男系維持を続けるという前提のもとでの改案となっています。女性宮家、女性天皇、女系天皇案は泡と消えました。
「皇族の数の減少にともなう皇統の危機を解決するための」案は、
➀女性皇族が結婚後も皇族として公務をすることができる案、
②旧宮家から宮家が養子をとれる案、の2案に絞られました。
②の養子になる皇統男子には、皇位継承権を与えないという一見意味不明の案なのですが、創価の王女である愛子さま潰しだと思えば、当分はこれでいいのかもしれません。
奈良時代も天皇制廃止、皇統断絶の危機が起こりました。
偽皇族の天武天皇の皇統が称徳女帝を最後に断絶した後、臣下に下って官僚となっていた本物の皇統の天智系の男系男子が皇籍に復帰してて即位して皇統をつなぎ、かつ、正統な皇統に戻したというウルトラCの例があります。今回もそうなるでしょう。
旧宮家の男系男子が皇籍に復帰ができれば、秋篠宮皇統が仮に北朝でなくても、時間がたてば、自然に皇統が本来の北朝へ戻るでしょう。
偽天皇のアレ@待ってるよ