明仁上皇の誕生日
12月23日 上皇誕生日に加茂 さくらさんの訃報
同日、共同通信が「加茂さくらさん死去」の報道
加茂 さくら
本名・大谷 照子〈おおたに てるこ〉、1937年7月16日 – 2024年12月21日)
日本の女優。東京市(現東京都港区)出身、京都府育ち。
公称身長160cm。血液型A型。
宝塚時代の愛称は本名の照子よりテル(ちゃん)
wikiより転載
訃報の報道は23日ですが、実際には21日に亡くなられたのですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
加茂さくらさんといえば、秋篠宮様の実母だという噂があるのですが、加茂さんの舞台スケジュールを考えるとつじつまが合わないのでありえないそうです。
しかし、困ったことに似てるんですね。
仮に実母が美智子でなくても、実父が皇統男系男子なら天皇即位に何ら問題はありません。
しかし、なるちゃんの場合は複雑怪奇で、天皇家の誰にも似てないナルちゃんは、ナルちゃんのママのBFとそっくりなの。その人は朝日の新聞記者で、ご成婚まえはフリーパスで正田家に出入りしてたの。困った困った。
第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばすミッチーこと正田美智子。のちの明仁皇太子の妻になる人です。女学生のころから、進駐軍とパンパンが出入りするいかがわしい街に出入りしていたヤンキーだったミッチー。
ミッチーは幼少時から、耳に穴をあけていました。中国人だとあり得るそうです。上海夫人といわれていた、実母の正田富美が中国系の人なのでしょう。
そんなミッチーを聖女化するため、マスコミが総がかりで「宮中でいじめられる美智子さま、おかわいそう劇場」「美智子さまご慈愛劇場」などの流布に奮闘し成功しました。いまだに騙されてる高齢者が多すぎるんですよね。
しかし、今にして思えば、あの必死さは、何かの秘密がバレたとき、「聖女ミチコさまのお生みになった子なら父親がだれでもいいじゃないか」に持っていくための保険だったのかもしれない。
さて、加茂さんに話を戻しますが・・・・
謎の系図「・・・とされている」
wikiより転載
別に御親類でも問題ないのですけど、「・・・とされてる」の記載は疑ったほうがいいかもしれません。
少なくとも、工作員まるだしの言動の方々の家系に関する記載は疑ったほうがいいかもしれない
某ベンチャー企業のオーナー
某ベンチャー企業のオーナーは、過去に自身のwikiに記載された「3代にわたる創価学会で祖父と父は幹部である(=半島系である)」という記載を削除させ、魚拓も削除させてます。
しかしご当人の骨格(典型的な北朝鮮系の骨格)や顔(顔のパーツが中心によっており顔の余白が少ない)から見て、削除させた経歴の通りではないかとおもうのですが、ご本人は、著名な武家の名家の子孫を称しており、wikiにもそう書かせています。しかし誰も信じていません。
徳仁天皇の妻・小和田雅子の場合
まず、皇后ではありません。これは上皇夫人の美智子にも言えますが、立后会議をしてないからです。改元時の首相が立后会議を開かなかったんですね。ミチコもマサコも、国内外のマスコミ報道の記載は、いちおう皇后としてる場合が多いですが、注意深く見ていると天皇の「私的な妻」あつかいされています。
「アキヒト天皇と妻の正田美智子」。皇后とは記載されない場合がよくありました。親しいとされてるベルギーですらこの扱い。
そして、徳仁天皇の妻・小和田雅子の父方の小和田家も、勝手に新潟の士族の小和田家の子孫を名乗ってるだけで実態はありません。
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う
あるホームページから syutuji.htm
※奇妙な写真ですね。サングラスをしたままのお寺さん、だれも数珠を持っていない。
村上藩士小和田家
・江戸時代、山屋家は代々俸禄二人扶持の下級藩士であったてことでこれはこれで間違いではないけれど俸禄二人扶持は厳密に言うと武士ではない.。
・扶持取りは原則非戦闘員なので戦の時は雑用係。平時は中間か小者だったはず。
・壬申戸籍(明治5年制定・昭和43年に封印)には「士族」ではなく「卒族」となっているはず。
小和田金吉(宮内庁が隠蔽する小和田家の歴史)
・まず、小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)が、兄弟であることには間違いない。
・新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子が勝治であることも間違いない。
・勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
・小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。
さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)の3男となっている小和田金吉。こいつがクセものである。
小和田雅子ー恒ー金吉ー毅夫ー金吉ー匡利(道蔵)
・雅子様の父が小和田恒。祖父が毅夫。曽祖父が小和田金吉。
この金吉、1867年生まれのあたりの人になるが、この人の代に村上を離れ新潟に移住した。
・だが、この人が村上を離れた年もわからない。村上にいるとき何してた人かもわからない。(足軽ということになっている)
・どうも金吉の父は小和田匡利(道蔵)となっているがそうではないらしい。
宮内庁が隠蔽してるのはこの金吉の父の名前がわからないということと、半島出身という点らしい。
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う
※1868年時点で(もし生きていたら)
・小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
・匡春(道助)の次男 勝治 48歳?
・勝治の弟兵五郎(5男として) 42歳?
・小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
・匡利(道蔵)の次男金吉 1才
金吉の戸籍がないのは明治30年代に金吉が死亡し(若死)、死亡から80年たって雅子様が嫁いだ頃戸籍は処分されたからではなくて、初めから存在しなかった。
(明治19年式戸籍ならどんな役所でも取り寄せ可能だし、19年式戸籍を廃棄している自治体はほとんどない。)
以上
新潟の小和田家はあんな人たち知らないといってます。
過去記事にも書いてますが、北朝鮮との関係が深すぎる家系であります。
住んでいた場所が、コリアンタウンでテロリストと隣同志だった
ほかにも、ご成婚まえから小和田夫妻、小和田雅子は2組用意されていたこと、一族がまるごと工作員としか考えられないほど香ばしい家系です。
小泉純一郎の父方鮫島家
小泉純一郎の実父の純也は、小泉家に婿入りする前は鮫島姓でした。
勝手に鹿児島の名家・鮫島家を勝手に詐称してましたが、実際は朝鮮部落の出身でした。wikiにも堂々と書き、家紋も勝手に使っていました。wikiを訂正したのかな?今は記載がありませんね。
しかし、万世町という名称は、朝鮮語のマンセーから来たものであり、コリアンタウンに多い名称です。鹿児島なので、豊臣秀吉の明出兵の折、薩摩藩の朝鮮半島での戦争捕虜が住んでいた町だった可能性が高いです。
半島系の方で成功した方のなかには、必死で家系の痕跡を抹消し、日本の名家の家系図で上書きしようと必死になる方が多いですね。ご当人は不思議と一橋大を卒業する人が多く、そのくせ慶応に執着があるらしく、たいてい子供たちは幼稚舎から慶応に入れたがります。面妖なことです。
その点、ソフトバンクの孫さんは、通名を使わず密入国した半島人の子孫だと堂々と公表しており、人間として一段偉いと思います。
タレントの江頭さんこそは、マサコの本物の親戚なんですが、wikiにはどこにも記載していません。「親戚」の枠に入れる人を分別をしてるらしいのです。
ちなみに正田美智子の実母の正田富美の旧姓は副島で、マサコの実母旧姓江頭優美子と同じく佐賀県です。佐賀には何があるのでしょうか。
読者様から、「正田富美は長女の美智子がお妃に決まる前、佐賀の士族の副島家を訪ねて、戸籍を売ってくれと交渉に来た。しかし副島家は断った」というコメントをいただきました。多分事実だと思う。
加茂さんのwikiに戻しますが、よくみると「皇后雅子の、母方祖母方面の遠縁」とあります。変な日本語です。この場合「方面」という言葉を使うでしょうか。
そして、出典が「週刊朝日」「雅子さんクイズ」というのが信用度を下げてると思う。どこまでのつながりを遠縁とするのかの定義にもよるのですが、マサコ側のプロパガンダの可能性が高いと思ってしまう。
話がながくなりましたが、仮に加茂さくらさんがマサコの親戚であっても別にどうでもいいんですけどね。
気になるのは訃報の報が出た日にちなのです。
12月23日の訃報
話がそれましたが、本題に入ります。
12月23日は、上皇明仁さんのお誕生日なのですが、GHQは、12月23日に、えげつないことをしてます。
東条英樹氏をはじめとする戦犯認定した方々7名、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東条英機、広田弘毅、松井石根、武藤章を、将来の天皇誕生日となる12月23日処刑しました。
GHQは、明仁親王が生涯、誕生日を迎えるたびに戦犯のことを思い出す仕掛けを作ってます。将来天皇になる明仁皇太子に対する、いやがらせであり、大日本帝国を封じるための呪いであり、警告であったと思います。
加茂さんは、実際には21日に死去されていたのですが、共同通信が、上皇誕生日の日に加茂さんの訃報を出してくるのを見て、それを思い出しました。
やっぱり、あの噂は本当だったのかもしれない。
関係ない話
オーロラの下で
Janak Jakhar@janak_jakhar
「スウェーデンのオーロラは空に青と緑の光が広がります。しかし、高度200~300kmではピンク色も見られます。下の写真はノルウェー北部で撮影したものです」
the aurora lights in Sweden blue and green lights in the sky. But you also get pink.. between 200-300km high… this one below taken in northern Norway pic.twitter.com/xEmrYl2Zdu
— Janak Jakhar (@janak_jakhar) December 22, 2024
以上
極北の自然は過酷だけど美しいですね。