入院中の教皇、平穏に夜を過ごされる
バチカンの公式サイトより

前日3月12日(水)夜の声明は、以下のとおり。
「教皇の臨床状態は、複雑な全体像の中で安定している。
昨日行われた胸部X線検査で、ここ数日見られた改善が放射線学的に確認された。
教皇は、日中は高流量酸素療法、夜お休みになる間は非侵襲的人工呼吸を継続している。
本日午前、教皇は、バチカンのパウロ6世ホールからの中継を通して黙想会に参加された後、聖体を拝領し、祈りの時を持たれ、次いで運動理学療法を受けられた。
午後、教皇は、教皇庁関係者の黙想会に参加した後、祈りと、休息、呼吸理学療法を続けられた。」
https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2025-03/il-papa-gemelli-informazioni-sala-stampa-0313am.html
以上
Wikiには、「ホルヘ・マリオ(教皇)は幼少期に感染症により右肺の一部を摘出している[」とありますね。
病気が肺にくる体質だったんだろなあ。
フランシスコ教皇=ホルヘ・マリオ・ベルゴリオの履歴
フランシスコ教皇になる前、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはナイトクラブの用心棒、清掃員、化学技術者などさまざまな仕事をしていました。1958年にイエズス会に入会する前には化学を学び、研究室で働いていました。これらの初期の仕事は、彼があらゆる種類の人々と関わり、謙虚な性格を形成するのに役立ちました。
1969年に司祭になり、後にブエノスアイレス大司教となり、貧しい人々のために働き、公平さと謙虚さを重視しました。2013年に教皇に選ばれ、イエズス会士として、そしてアメリカ人として初めて教皇になりました。
それ以来、彼はよりシンプルで、より親切で、改革された教会の実現を推し進めてきました。


以上
教皇の静脈、保存しとこ。

フランチェスコ教皇の履歴
Where is this?@CsabaSzekely7
左に写っているフランシスは、弟のオスカーとともに、1936 年 12 月 17 日に生まれました。彼は、アルゼンチンに移民したイタリア人のマリオとレジーナ・ベルゴリオの長男でした。

以上
双子だったってことかな??
ウィキには記載がないですね。
Detective Tiger’s Stories@TigerDetective
彼は用心棒としての経歴や、それがローマカトリック教会の長という現在の仕事にどのような影響を与えたかについては詳しく語らなかった。 彼は、それまで一度も会ったことのない司祭との告解を経て、聖職者への召命を発見したと語った。

以上
教皇の履歴、
ナイトクラブの用心棒、清掃員、化学技術者等を経験。
1958年にイエズス会入会
入会前は化学を学び研究室に勤務。
1969年に司祭に、後にブエノスアイレス大司教、
2013年に教皇に選抜
・・ ・・めっちゃ、工作員の履歴っぽい。
そもそも、簡単に化学技術者になれるもなんでしょうか?
MKウルトラみたいな研究だったのかな?
アルゼンチンはナチスの亡命先として有名ですが、その子孫が、オランダ王妃です。
ちなみに、ナチスの科学者たちは、マインドコントロールの被写体として「双子」にものすごく関心を持っていたらしい。血縁関係がなくとも2人で1組のチームを組ませ互いに監視させあってたらしい。
左がフランチェスコ教皇、右が弟のオスカー、が正しいとしたら、

成人したフランチェスコ教皇の耳(数字の3に似てる大耳)は、耳の形だけ見れば、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオよりオスカーのほうに似てる。

今の教皇も、美智子や雅子やイーロンのように、最初から姿かたちが似た人を集めて複数で構成されたプロジェクトだったのかもしれませんね。
関係ない話
うちの子、見ませんでしたか…?

以上