続・眞子様(91)金塊と美智子とご公務➀

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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ブータン訪問の眞子様と金塊と美智子とご公務➀

2017年06月03日

拙ブログへ、お越しいただきありがとうございます。

眞子様、ブータン国王夫妻と面会

【ティンプー=共同】ブータンの首都ティンプーを訪問中の秋篠宮家の長女、眞子さまは2日(日本時間同)、国王執務室や行政機関、僧院が集まる建物「タシチョゾン」で歓迎行事に臨み、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻とも面会された。

国王執務室や僧院などが集まる建物「タシチョゾン」で、ワンチュク国王夫妻と面会された眞子さま(2日、ティンプー)=ブータン王室提供・共同
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国王執務室や僧院などが集まる建物「タシチョゾン」で、ワンチュク国王夫妻と面会された眞子さま(2日、ティンプー)=ブータン王室提供・共同
眞子さまは淡い黄色に松や梅が描かれた振り袖姿。中庭に敷かれた赤じゅうたんの上を、伝統的な楽器の演奏や歌、踊りの先導を受けながら緊張した面持ちで歩かれた。

国王夫妻との面会は非公式に約40分。通訳を入れずに英語でやりとりされた。眞子さまは「訪問できて大変うれしい」と話し、「日本とブータンの友好関係がますます進むことを希望します」という天皇陛下からのメッセージを伝えられた。

国王は「今回の訪問で、友好関係がさらに強化されることになる」と応じたという。国王夫妻とはその後、近くの王宮で昼食も共にされた。

〔共同〕

 

今回も美智子と金塊と北朝鮮の話です。

【M女史告発;天皇家の脱税疑惑①】小和田スイス軟禁は、今上陛下と堤美智子の相続税対策、無限拡散 – 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」

私は、昨晩遅く記事をアップして、ベッドに入ったが「悶々」としてよく眠れなかった。

大変、貴重な情報を頂いたが、記事にするのを禁じられた情報も多く、「ハノイの件」の様にぼかされて教えてもらえなかった重要ポイントも多かった。

記事にした後、物凄い「消化不良感」に襲われたのである。

それで、期待はしていなかったが、お昼前に思い切ってこちらから電話してみることにした。以下はその電話のやり取りである。

私「伏見です」

元高官「おお!どうした(笑)」

私「おくつろぎの所、申し訳ありませんが、昨晩の件で追加の質問が有りまして・・・」

元高官「ああ、構わないよ。今日は家内も銀座に買い物に出てるところで、私も暇つぶしに読書をしているところだ。まあ時間的に余裕はあるが、答えられないことは答えないからね(笑)」

私「承知しております」

元高官「で、聞きたいことって何だい?」

私「昨晩、記事に書き忘れたのですが?「ハノイの「ブツ」の件、重要だと思うので書いてよろしいでしょうか?」

元高官「ああ、例の、「ハノイで政府専用機2機に「重いもの」を一杯に積み込んで帰国した」と言う箇所だね。別にそのままの表現なら構わないよ。でもそれ以上は現時点では答えられないね。」
私「御許可有難うございます。」(転載以上)

※続きはこちらから

 

コメント欄より

>徒歩圏の富山駅から)新幹線をつかって東京駅まで行けば、お家は目の前ではないですか? なんのために、(車で20分の)富山空港から羽田に飛ぶ必要があるのでしょう?ちっとも時間短縮にならないのに… このルートのために、警備も分散し、人手も経費も倍増せねばなりません。

ニュースで報道されない情報、ありがとうございます!!

皇居に近い住民なので、ご指摘その通りだと思います!

東京駅が近い区民にとっては、「羽田は遠い」と感じます。 それを、時間短縮にもならない上に、膨大な費用のかかる飛行機(特別機+護衛機!!!まで)を飛ばさせるなんて、本当に本当に異様です!

行きは、「豪華な列車に乗ったから、帰りは違うことしてみたーい!」のでしょうか? あるいは、皇太子の「大バッグ持ち京都御所通い」のように、「飛行機でしか運べない何かを移動させている」のでしょうか?富山新潟は、北の工作員が潜伏する入り口にしているそうですが、何か関係があるのでしょうか?!

これまでも「何を考えているか分からない!」尋常でない皇室の言動には、恐ろしいほど辻褄の合う計略が行われているせいだと、分かってきました。

今回の想定外の「特別機使用」にも、隠された理由があるようにしか思えません!何が目的だったのでしょうか?

「年を取って公務が大変だから辞めたい」と言いながら、日本中歩き廻っていったい何を密かにやっているのでしょうか?!

以上

 

コメント欄より

皇室の話題と直接かんけいないのですが、最近「金塊」の話題が多いですよね。

日本は消費税8%の分だけ儲けも多くなるとか。

運び屋の某国籍の運び屋おばさん集団の逮捕、漁船から密輸、福岡での強盗の集団の名古屋での逮捕。警察の操作情報漏えい。 容疑者との親密交際芸能人(今写真があがっているのはお二人)。

全部つながっているんですね。 富山の帰路の飛行機、匂います。 奇想天外な話と言われそうですが・・。

以上

 

コメント欄より

富山空港のウェブサイトを見てみましたところ、国際線がありますね。

http://www.toyama-airport.jp/flight/international-transit

先日の金塊密輸事件、香港から金塊を身と出すことは非課税で、日本に入港してから、税関の検問を受けない乗り継ぎを利用して、トイレで金塊の受け渡しをしたとか。 富山空港には香港直行便があります。 まさかとは思いますが…ね。

 

美智子と金塊と北朝鮮

金塊事件が続くのが気になりますね。発覚してつかっまたケースもありますが、まんまと成功しているケースもありそうです。これ、美智子に関係あるような気がしませんか。

昔、金丸という自民のエライおっちゃんの家に捜査が入った時、金庫から北朝鮮の金塊がでてきたという話を聞いたことがあります。

今回の金塊の事件、これ、北朝鮮からの資金ではないのでしょうか。もしかして。

今、北朝鮮と組む人間は限られています。

同和、在日、共産党、左翼、創価、統一教会などの半島系宗教団体、、、

受取人は、やはり、美智子でしょう。美智子は、この犯罪としかいいようのない方法でしか資金を集められない状態なのかも。つまり、資金が枯渇しているのではないのでしょうか。

 

ミッチーズ ・正田美智子たち

いうまでもなく、「正田美智子」は対皇室プロジェクトのコードネームでした。

もともとは、西武グループの創立者の堤康次郎の婚外子たちによるチームだったと思われます。堤康次郎は生涯に作った子供は3桁を超すといわれています。葬儀には、堤に似た子をつれた女性が100人ほどおしかけて収拾がつかなかったとか。

その堤康次郎の婚外子の娘の一人を、友人の正田夫妻の娘が死んだので、娘の戸籍に背乗りさせて育て他と思われます。

吉田茂たちは、早くから、正田美智子を皇太子の妻に決めていたみたいですね。

すくなくとも「テニスコートの恋」より4年前に皇太子妃は決定していた。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/792.html

■「テニスコートの恋」の真実

1957(昭和32)年、軽井沢のテニスコートにキューピットが舞い降りた。その舞台をつくった3人の人物がいる。昭和天皇(迪宮裕仁 1901-1989)、カトリックに近い聖公会信徒であり、長く慶應義塾塾長を務めた小泉信三(1888-1966)、そして、死の直後にカトリックの洗礼を受けることになる吉田 茂(1878-1967)

(略)

■皇太子妃を巡る暗闘があった

10日に一度くらいの割合で昭和天皇に会っていた吉田 茂が、この皇太子外遊の年に小泉信三(1888-1966)に手紙を書き送っている。吉田と小泉は1942(昭和17)年からの知り合いで、信頼出来る友人同士にして互いのブレーン役を務めていた。小泉は皇太子外遊に部分的に同行し、一足先に帰国していたのだ。

この手紙は1953年10月4日に、吉田によって書かれている。外遊での皇太子の態度が感泣するほど立派だったと書きながら、それも皇太子の教育掛を務めた小泉らの指導のお蔭としている。

注目すべきはその次で、皇太子の結婚問題に関する小泉の手紙を松平信子夫人に転送しつつ、熟慮を促したとある。

この前年、朝日新聞が1952年7月29日の朝刊に「御意思、十分に尊重 まず北白川、久邇家の順に選考」という四段の囲み記事を掲載し、皇太子妃を巡る報道合戦の口火を切った。ここに「悲劇の宮家」北白川宮家の名前が挙がっていたことを覚えておいてほしい。

(略)

さて、宮内庁次長の瓜生順良(うりゅう のぶよし ?-1957)が、記者会見でお妃問題に対して初めて公式に言及したのは1955年(昭和30)年9月である。

この時、瓜生は「新憲法で決められた結婚の自由を尊重し、出来るだけ広い範囲から選ぶ方針である」と述べている。

1972年発行の『毎日新聞百年史』にも「宮内庁が皇太子妃の本格的選考に入ったのは(昭和)30年頃からである」と書かれている。

しかし、こうした通説が誤りだったことを『吉田 茂書翰(しょかん)』(中央公論社 1994年刊行、加えて『吉田 茂書翰 追補』吉田茂国際基金 2011年刊行)が見事に証明している。

女子学習院の同窓会組織である「常盤(ときわ)会」会長で東宮御教育参与を務めていた松平信子(1886-1969)が、皇太子妃は旧皇族または華族から選ぶべきだと主張、愛国団体を動かしての御婚儀反対工作を行うまでしながら、正田美智子(1934-)との結婚に反対していた。

不思議なことに、この吉田の手紙は、天皇皇后両陛下の軽井沢テニスコートでの「初めての出会い」があった1957年8月19日より4年も前に書かれている。つまり、4年前の時点で既に小泉と松平の対立があったことを明確に示している。

旧皇族や華族以外からも皇太子妃の候補を挙げるという路線が決まっていたのだろうか。

いやむしろ、この手紙が書かれた1953年10月4日の時点で、皇太子妃候補が或る程度絞られていたと考えるべきだろう。

ただ、正田夫妻が育てた堤康次郎の婚外子の美智子はヤンキーで下品でとてもとても、皇太子妃になれそうにもないので、代わりに、よく似た(堤の娘の可能性が大きい)別の美智子がテニスコートに派遣され、ご成婚しました。

ご成婚前の「美智子様」の顔が2通りあるのはそのためです。

正田夫妻が育てて、顔のパーツが中央によっている、生え際の穢い邪眼のヤンキー美智子。聖心女学院に通っていたと思われます。

富士額のオカメ顔の美智子、ご成婚した人です。

別人と思われます。

「正田美智子」に共通するのは、ピアスです。

この時代、耳に穴が開いている女性は中国系かあるいはパンパンだったとか。

母の富美(ミッチーズを監督)が上海夫人といわれた人でした。

正田邸は土足の生活をし、正田家が呼ばれる食事会では中華が選ばれたとか。

富美は出自が不明で、戸籍がない人だった可能性があります。

当時の日本男性の平均身長が160センチあるかないかのころ、この人は170センチちかい長身でした。アジア人にしては極端に白い肌、堀の深い顔立ちから、おそらくは、白人と朝鮮系との混血と思われます。そして、富美のさまざまな言動から見て、とうてい堅気の女性ではなく、大陸で欧米人相手の高級コールガールをしていた混血女性と思われます。

彼女の若いころの写真が出てきません。大陸にいたころは、金髪に染めていた可能性もあります。その富美の趣味がミッチーズに、影響しているのかもしれません。

また、パンパンに共通するファッションは異様なまでに張った肩パットだとか。

ご成婚した正田美智子や、ミッチ―ズの何割かは、米軍のパンパンあるいは、オンリーさんの経験がある人だった可能性があります。

耳が変わる美智子

身長が違う、耳が違う、顔がちがう、、、冷静に見れば美智子は複数いることに気が付きます。

身長が変わる美智子

ご成婚美智子<明仁親王(左)

第二子流産後の美智子>明仁親王(中央)

平成の美智子=明仁天皇(右)

ご成婚前から、今の今まで、複数の女性が美智子になりすましチームを組んで活動しています。80代より若い美智子もいます。

この、ミッチーズ、複数の美智子の力を支えていたのが、

(1)天皇家の権威

(2)報道

・共同通信をはじめマスコミ全般

(3)資金

①GHQ、のちのCIA、

②西武グループの堤家からの資金、

③赤十字に集められる寄付金の横流し、

④内廷費、

(4)暴力

①CIA

②堤家につながる暴力団

③部落解放同盟

でしょうか。

雅子が長男と結婚してからは、これに、創価、創価の暴力装置だった後藤組、北朝鮮が加わります。

いちおうは美智子の実家とされている日清製粉の正田家、妹の婚家先の安西もありますが、たぶん資金はそれほど出せないと思います。

・堤家や工作資金としてアメリカから流れる豊富な資金

・気に入らない人間は暴力団に消させる、

・報道は美智子様御可哀想、美智子様は素晴らし報道をファシズム国家なみに報道させ非難を封じる、

・権威は天皇家の権威にまもられやりたい放題

昭和の美智子は無双でしたが、平成になって、事情がかわりました。

 

ミッチーズの誤算

まず、ミッチーズは親アメリカから、親中国へと立ち位置を移動していますね。覇権が中国へ移るとみてたのでしょう。これによって、アメリカを失いました。たぶん。

メインになるダブルが変わったのかもしれませんが、正田美智子の母親であり、同時に工作員ミッチーズをまとめる役であった正田富美が、平成に入ってすぐに亡くなっています。おそらく消されたのでしょう。これ、ミッチーズが、アメリカ・CIAから人民解放軍に立ち位置が移動したことの結果ではないのでしょうか。

平成に入って、ミッチーズは、アメリカからの妨害も受けない代わりに、協力を得られていないように見えます。

しかし、アメリカのエリートにもいろいろ派閥があるらしく、ロックさんとこの4代目のジェイさん、この人はバリバリの親中派でした。日本のICUに留学したこともあり、日本語も中国語もペラペラだとか。

将来的にアジアをぐちょぐちょに混ぜたうえで経済圏をつくり、そこに君臨する夢をもっていたんでしょ。とにかく中国とのつながりが濃い方で、中国共産党と一体化しているらしいです。あくまで噂ですが。

戸籍を闇市で買った朝鮮人・小沢とも仲良しで、小沢の本に寄稿しています。

この関係から、当然、朝鮮妓生をあてがわれていた可能性があるとおもいますね。

2000年以降、やけに朝鮮人がブイブイいわせているところをみると、ジェイさんなどアメリカのトップの支配者に妓生をくい込ませ子供を作ってたのかな、と。

今も、ジェイさんの影響のある都市で、慰安婦が莫迦でかい顔でのさばってますね。関係あるんじゃないでしょうか。

「これからは中国の時代だよ」という風潮のころ、新聞のインタビューで、「アメリカの支配層と中国の支配層の関係は深い、深すぎるほどに深い」とアメリカの要人が述べていて、両国の支配層どうしの婚姻をにおわせていました。混血児をつくりまくってたんでしょうか。

中国のエライサンが、1995年ごろ、日本は20年で消えてなくなる、と宣言していました。もちろん、ジェイさんをはじめ、ロックさんたちもそのつもりだったんでしょ。

もちろん、中国系の工作員たち、美智子や雅子たちも、その通りになると思ってたのでしょう。なので、ティアラなどの皇室財産を堂々と横領し売っぱらう事が出来たのだと思います

ところが、中国はガラガラポンになりました。

ロックさんやイルミちゃんたち、おそらく、あそこまで中国が莫迦だとは思わなかったのだとおもいますね。あけてビックリ、ガラガラポンです。

約束は守らない、嘘はつく、あつかましい、仕事できない、仕事しない、たかることしか頭にない、想像を絶するアホ、、、、、

欧米人は、一昔前までは、アジア人は皆同じだとおもってたみたいですから、日本人を見て東アジア人を評価していたと思われます。

日本人の10倍人口が多い国、日本みたいに発展する、ヒャッハーとしか考えてなかったんでしょうね。欲に目がくらんで予想が曇り、中国からの、ハニトラ、贈賄、あと、通婚したりしてウハウハな夢を見てたのではないのでしょうか。

ジェイさんが応援したオバマ元大統領さん。

オバマさんの嫁の兄弟、ほとんど中国人と結婚してますね。ジェイさんは、そういう閨閥だったから安心して後援したんでしょ。

しかしながら、オバマさん、最初は親中派でしたが途中で方向をかえましたね。

オバマさん、結局、親日派に進路を変えて、安倍ちゃんとも仲良しになり、スポンサーではなくアメリカの将来と国益を優先させました。

なんでも、ジェイさんは、「オバマが最近いうことをきかない」と愚痴ってたと、某サイトにかかかれてましたが本当臭いですね。

オバマさんは花道を広島訪問で飾りましたが、アメリカのロックさんの持ち物である新聞やマスコミでは評価は散々です。ということは、オバマさんは、アメリカにとっていい大統領だったのだということです。ちゃんと評価されるといいですね。

ジェイさんを「いい人」といっているのは、フルフォードなどですが、たいていアメリカの悪口はボロカスに言うが、ロシア、朝鮮、中国はスルーしている人ばかりです。

三笠宮家を赤い宮家と呼びますが、ロックさんとこの本流は赤いロックさんなのかもしれません。

アメリカを支配してるのがウオール街ですが、基準通貨をドルから元に移行させるために、中国が立ち上げたAIIBの件で、中国に対してぶちぎれます。

英国がAIIBに参加を表明した後、ウオール街が激昂し、ハゲタカさんたちがバサバサ上海を襲います。

そして、2015年、中国金融がクラッシュしました。

そして、2015年、ジェイさんは突然引退します。

理由はよく知りません。なんででしょう。

くしくも中国要人が「日本は20年後なくなる」と宣言した20年後の年が2015年でした。ブーメラン炸裂です。

 

堤家崩壊・そして悠仁さま誕生

美智子の誤算の一つは、正田美智子の実父だった堤康次郎の跡を継いだ2代目義明が没落したことでしょう。

2005年、正田美智子の真の実家であった堤家が没落し始めます。ほとんど治外法権にあった堤家が、あっけなく起訴されて逮捕されています。

そのすきをついて、佳子様ご誕生後、美智子と雅子に「子供を作るな」と産児制限を強いられていた秋篠宮妃殿下が産婦人科を受診され「次のこを考えています」と相談されました。そして、ご懐妊されます。

いかに、西武の堤が皇室にとって悪だったかがわかりますね。

秋篠宮妃ご懐妊の報をうけて、女性天皇を認める法案の審議がストップし、白紙になりました。

2006年09月悠仁親王がご誕生。そ堤義明は完全に西武を失いました。同時に美智子も、強力な後ろ盾を失いました。

 

創価無双・創価無罪の終わり

2012年02月 ダヤン氏によるとこの日が、雅子の実の父である池田大作の死亡日だとか。とある書き込みで、やたらテレビの創価系のタレントたちが喪服を思わせる服を着てた時期があったと書き込みがありました。それが2012年02月20日のころなのかは不明ですが、ある時期に創価会員にとって、なんらかの不幸があったようです。

重いので別けます

 

 

ニセモノが天皇に即位?