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冗談のようですが、コムロコインなんてのが問題になってるんですね。
創価の王子コムロが乞食をはじめたらしい件
小室圭さんの名を騙る仮想通貨サイト「コムロコイン」に詐欺疑惑
http://bunshun.jp/articles/-/10799
このサイトは英語で、〈彼の夢を叶えるために基金で援助したいと考え、コムロコインを設立しました〉と目的が記され、設立者には、〈フォーダム大学ロースクールの2019年同期の友人一同〉とある。
ITジャーナリストの三上洋氏が語る。
「これは、ビットコインに次いで仮想通貨で2位の市場規模を持つイーサリアム(ETH)を使った独自コインです。システムの造りはしっかりしていて、実際に仮想通貨取引が行える。ETHでコムロコインを購入してもらい、支援に充てる格好です。ただ金額別の利用目的が書かれてあるのを読むと、首を傾げざるを得ません。小室さんの名前を騙っておきながら、小室さん本人にお金が渡らないのであれば、詐欺でしょう」
確かにそこには、〈$800000 彼の母がアンティークブティックを開くために皇族から借りる予定だった〉〈$5million プリンセスにカルティエのジュエリー〉〈$30000 第一子のための愛育病院にかかる費用〉〈$400000 自民党に募金〉などと書かれている。
「10億コムロを1イーサリアム(約1万6千円)で売り出していますが、1月中旬に立ち上げてからまったく取引がありません。本当にフォーダム大の学生が作ったのかも怪しいものです」(同前)
さらに、Twitter上で〈Help Kei Komuro!〉とツイートして「コムロコイン」の宣伝をしている「Deloris May」なるブロンド美女が、フォーダム大学同期友人一同の一人ではないか、ともネット上では言われているが、「週刊文春」が同級生名簿と照らし合わせたところ、そのような名前の人物は存在せず、顔写真も、海外の他サイトからコピペしたものである可能性が高いことが分かった。
現在、ネット上では「コムロコイン」に加え、小室さんが宮内庁職員になりすまして、眞子さまの欧州旅行に同行し、帰国した際の写真とされるものが拡散されるなど、さまざまな情報が乱れ飛んでいる。2月21日(木)発売の「週刊文春」では、こうした小室さんを巡る情報を「ファクトチェック」している。
以上
全く関係のない人間が起こしたサギではなく、小室の借金問題がどうのというのを解決するために、創価のチームが、王子コムロを救済するためにつくった基金じゃないんでしょうか。余命と同じ、寄付金詐欺で、乞食をしようとしたんじゃないんですか。これ。
2月21日(木)発売の「週刊文春」では、こうした小室さんを巡る情報を「ファクトチェック」している。
肝心なことは書けないんですねー。
たとえば、コムロが創価学会と関係があるとか、眞子さまが偽物にすり替わったとか、、、。
皇室の変容
明治維新後、日本は天皇制から、天皇教へと替わりました。明治維新前の天皇はあくまで、日本「人」として最高に高貴な人であり、祭祀王であったのに、天皇皇后の御真影を神棚に飾り、神として朝夕拝むなんてことは、かつてなかったことです。
大正天皇は、カルトの教祖というよりは、あくまで貴族、宮廷政治型の君主でした。ピョートル大帝型の君主になり、日本を引率し発展させようとして、政治の人事にも意見を述べていましたが、皇后と皇太子と宮内庁により、クーデターをおこされ、一方的に脳病ときめつけられて軟禁、そして亡くなります。
昭和天皇は、戦前は大元帥としてふるまい、戦後は大人しくしていましたが、カリスマ性のある人でした。しかし皇太子の妻に、正田美智子を、という圧力に屈しました。弱みをいろいろ握られていたからでしょう。
明仁皇太子の妻として、被差別民出身の正田家から美智子が嫁に入ったため、皇族の芸能人化(芸能界は巨大な風俗業界の頂点であり、その住民は昔から被差別民)が進みました。
長男は托卵であろうと思われ。
二男は、昭和天皇の弟・高松宮のように、旧宮家筋からきた養子ではないかと軽く想像。
徳仁皇太子の妻として、創価学会員で背乗り北朝鮮人でKGBのスパイだった小和田恒を父に持ち、、ヤクザと一体化していた水俣の責任者であり旧被差別民の娘を母にもつ、究極のハイブリットである雅子が嫁に入ったころから、皇室の犯罪化(ヤフオクや脱税疑惑、赤十字をつかった横領疑惑)と朝鮮化が進みました。
雅子の背景である、朝鮮創価は、愛子様を北朝鮮系の工作員とすり替えて、愛子天皇実現を目指しています。愛子さんの婿に、朝鮮人を添えれば皇統の簒奪が成功します。
某タレントが、亡くなった金正男には、日本に愛子さんと同じ年頃の娘がいると証言していました。ダブルの一人影子は、実に金正男の長男に似ています。
激ヤセしたのは、顔の細いダブルになっただけの話。
このたび、朝鮮系のコムロの縁組が成立すれば、皇室は朝鮮半島の乞食のレベルに落ちるのかもしれません。さっさと破談にして、楽にしてやれとおもいますね。中途半端にしているから、創価が期待してアホなことばかりしてワライモノになります。
眞子さまに化けている気持ちの悪い下品な河童やヒラメを追い出して、本物の眞子様をお迎えし、当初の宮内庁の予定通り、旧宮家や皇別摂家から適性な男子を皇籍復帰させて宮家を復帰させ、その宮家の当主のお妃になればいいんですから。
キムコムロと眞子さまをまとめる前に、簡単に、ざざっと画像を貼っていきます。
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この3人の宮様たち、われながら、うまくチョイスしたなあ、と。少なくとも3人いることが、わかります。
静脈を比べてみます。
加齢するとボコボコになったりするんでしょうが、静脈が這う形は変わらないと聞いています。
紀子様
中国人なみに劣化が激しいのと、話し方が中国のひとっぽいこと、上の前歯のめり込み方が異常なので、別人ではと疑いましたが、左目に涙袋のある人は、311の前あと関係なく、同じ人かもしれませんね。
会見にでてくるのは、この方ですが、「跡取り」の生母ということで、リーダー的な存在なのかもしれません。
下の歯をむき出しにして笑うところが、日本人らしくないことや、上唇を固定して、下唇を顎先に下げて話すところが、中国的なのが気になります。
そして、礼宮文仁親王
今の宮様と同じ耳ですね。六角形を半分にしたような形です。ナルちゃんもそうでしたが、耳は整形できるので、形をそろえるのは簡単ですが。
後頭部の形に特徴がありますね。頭頂から後頭部にかけてのラインが丸くもりあがっておらず、削げているような形です。
眞子さまのお父上でもなさそう。
軟骨でできているので、生涯形は変わらないと言います。
ご成婚した人=バチカン訪問、イタリアにいったひとと比べてみましょ。ちょっと違うかな、、、。
悠仁様のお父上と思われる方と比較してみましょ。ライトや、顔の角度やカメラのアングルで微妙に違ってくるのですが、、左の礼宮は耳たぶが、ぷっくりしているふうに見えます。
近いんですが、耳たぶが、礼宮時代の左のかたの耳たぶは、ぷっくりしてますね。保留にしたいと思います。
この清子さまは、黒田氏とご成婚された方ですね。口が同じです。
でも、この、古装束の清子さまではないと思うんですね。
どちらかといえば色黒、下がり眉、目じりは垂れ気味、口はへの字。下膨れの台形の顔立ち。父の明仁さんに酷似しています。
学習院に上がる前に、黒田さんに降嫁したかたに替わった可能性がありますね。清子さまの場合は、一人一人が繋いでいく、箱根駅伝タイプではないでしょうか。
堤義明の逮捕、西武の没落とともに、悠仁様ご懐妊、御誕生とつづき、この時期に、清子さまが逃げるようにして黒田氏に降嫁されました。仲の良い兄弟だったのかなと思われます。
眞子さま婚約テロ以後の清子さま
例の三女絢子さんのフェイクの疑いのある晩餐会。談笑する眞子様と清子さま、らしいのですが、、、眞子も、清子さんも、創価朝鮮プロダクションから派遣されているようです。
眉毛がはみ出している偽眞子、と、清子様、だそうな。この人たちが、内親王?嘘でしょ。このドレスのセンスは、清子さまではなさそう。
礼宮
右が成長して左になったのでしょうか。似てるんですけどね。
眞子さまの婚約前の南米公務や、美智子のベトナム訪問時もそうでしたが、やはり、皇族の公務は2人体制でやってるみたいですね。そういう制度になってしまっているようです。
※画像は掲示板よりおかりしました。
察するに、大正天皇時代から、定着したのかなと思います。
A 大室顔の「脳病の大正天皇」、おそらくは明治帝の実子。
B AとCを合わせて描かれた肖像画を写真におさめたもの
C 大隈重信顔の「気さくで文化的、漢詩をたくみにし、聡明だった大正天皇」、公認のダブル。
身長が違う大正天皇が確認できます。
悲劇の天皇
おそらくは、大室寅之助=明治帝の実子であろう、本物の脳病の大正天皇。大室は山口県の田布施の出身です。
大隈重信顔のダブルであっただろう大正天皇は、脳病であるとマスコミと宮内庁の裕仁皇太子・貞明皇后派から、クーデターを起こされ軟禁の果てに亡くなりました。大隈重信もまた、佐賀県多布施町(たぶせ)という名の町の出身です。
軟禁されなくなった大室顔の大正天皇が、裕仁皇太子やほかの弟宮たちにとって、実父ではないから、そのようなことができたのかもしれません。実際、大正天皇と妻との関係も、父天皇と皇子達とのあいだは、「天皇家の家族団らん」神話とは別に、現実では冷たかったらしく、皇子達は、ろくに父天皇の見舞いに行っていませんし、兄弟同士もなかがわるく、用事があってあうときは、喧嘩する場合が多かったようです。
妻の皇后も、看病は生母とされる柳原愛子に任せきりでした。おそらくは、大隈顔の大正天皇は、貞明の意を汲んだ柳原愛子により、毒殺されたのではと推測します。
ダブル制度の意味
明治天皇にとって親王は、大正天皇しかいませんでしたから、廃太子になると、「明治維新」という朝鮮部落民による革命で、簒奪し乗っとった皇統は、北朝伏見宮系の宮家へ戻ります。それを避けるためには、ダブルを使うしかなかったのでしょう。しかし、大正天皇を守るためのダブル制度が、ガラパコスのトカゲのように変な進化をとげて、工作員の貸座敷のようになってしまいました。
戦前は、革命があり、戦争がある波乱の時代でしたから、天皇や皇太子によくにた人物を職員にして、ダブルをおいたというのも、納得がいくのです。戦後も、大事な国家規格のレベルのイベントや公務において、主賓の皇族に万が一出れない事情がでたとき、代理ででて、式典や公務をつつがなく終わらせるということもあったでしょう。
また、メルトダウン、戦乱、テロ、転変地変、などがあったとき、本物を逃がして、ダブルがかわりに残る、あるいは、本物を逃がしている間、時間稼ぎをして、身代わりになる、というものだったはずです。
戦後も、ダブル制度が引き継がれていた可能性がたかいんですが、問題は、皇族がなくなっても別の人間がなりすましていることが問題です。その結果、変な人たちに利用されることになりました。
ご成婚した美智子が自殺した後も、それを公表せず、別人のグループが「美智子」を引き継ぎ、継続しました。
皇太子より身長が低かったのに、第二子流産後の長期御静養の後、小顔になり、脚が細く長くなり、耳が小さくなり、耳の位置が高くなり、身長が伸びました。実に面妖なことです。
高身長小顔美人で小耳のミッチー3号の美女チームが引き継ぎ、
皇太子より身長が高くなる美智子
その後、長耳4号チームになり、人民解放軍チームにかわりました。
左右の美智子は、ほぼ同時期ですが、鼻、アゴが違う別人ですね。
明仁さんと身長があまり変わらない。O脚になり、顔立ちも堤顔になります。
常に2人で動いているようです。
天皇も天皇夫人も複数で活動。
最近は、明仁さんより高くなりました。加齢の為明仁さんの背中がまるくまったということもありますが、それを差し引いても、美智子の身長が高いです。
維新とその後
全国に散らばっていた朝鮮部落の「たぶせ」のグループが、国際金融同盟=イルミちゃんの後押しで、孝明天皇と睦仁親王を殺い奉るという大逆をおこしました。
朝鮮部落の「たぶせ」のグループに選ばれた、奇兵隊の力士隊にすぎなかった、朝鮮部落民・大室寅之助が、大室が明治天皇になりすまし、、明治維新後、朝鮮部落の「たぶせ」の集団が日本を占領が完成します。天皇を暗殺するという大罪をおかしたためでしょう、大室の子供は脳病、その先もなんどか、男系が途絶えかけます。
「たぶせ」から出た人たち、大室寅之助、宮本賢治・百合子、岸・佐藤兄弟、安倍晋三、小泉純一郎の父純也、大隈重信、など、右派、左派のトップがここから出ています。気持ちの悪い話です。山口の田布施の方々は、明治天皇は自分たちがつくった、と普通に話すそうです。
しかし、日本と皇室の自浄能力は強いのでしょう。皇位を簒奪した後、皇族だったか怪しい奈良時代の天武天皇の系統もそうでしたが、皇統が続きません。
明治帝の時は皇太子が脳病、昭和天皇の時は生まれてくるのが内親王ばかり。側室をおくのは嫌だと頑として通したところを見ると、昭和天皇は、母貞明と同じく、クリスチャンだった可能性があるかもしれません。明仁さんは誰にも似ていませんので、貰い子の可能性が高そうです。
皇統の危機がおこるたびに、皇統を円満に北朝へ帰すチャンスがあったのに、常に無理をして、貰い子やダブル制度を悪用し、だらだらと続けてきました。
平成の世も、内親王、女王ばかりになり、次世代の親王は悠仁様お一人だけ。こうした場合、日本人の常識としては、旧宮家から適正な男子を皇籍に復帰させ、宮家をたてて、内親王と女王はその親王妃になる、という形になるのが常識なのですが、むりをして女性天皇、女性宮家にこだわったため、円満に皇位を返すということが難しくなりました。まだ、続けるのでしょうか。
とりあえず、文仁親王、悠仁親王が即位する形で、男系による皇統相続をキープして、旧宮家のなかで適正な方を皇籍にもどして宮家を作るべきです。
仮に、秋篠宮系が、皇統として適切でないなら、自然に絶えて、北朝伏見宮家に皇統が戻るでしょう。