小池百合子|もうひとりの小池家の娘・小池咲子さん(上)

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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本日もお越しいただきありがとうございます。

何かと話題になっているユリコちゃんですが、石井妙子氏の著書『女帝 小池百合子』によると、ユリコちゃんには、従姉妹がいたそうな。お名前は咲子さん。

天然の美人さんですね。品があります。パクるしか能のないユリコちゃんと違い、無から有を生み出すクリエイターの才能があった方です。咲子さんは、レコードを出しています。デビュー作は「AIRPORTS」。

 

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AIRPORTS

世界の大空港 国際線スチュワーデス 小池咲子さんがご案内する世界の大空港

1・プロローグ/新東京国際空港(成田)/アムステルダム:スキポール空港(オランダ)

2・フランクフルト空港(西ドイツ)/メキシコ空港(メキシコ)カイタク空港(香港)

3・ロスアンゼルス空港(アメリカ)

M1:「涙のカノン」/M2:「高度1万メートル」/M3:「青春の光と影」

実況録音

<エスコート>小池咲子

咲子さん

咲子さんは、日本の中学を卒業すると神戸のアメリカンスクールに進学し、本格的に英語を身につけます。アメリカンスクールに1年通い英語を会得した咲子さんは、英国のパブリックスクールに留学します。しかし、お父さんがなくなったため、学業を断念し、オランダ航空のスチュワーデスになります。

咲子さんは、仕事で訪れる大空港や現地の「音」を収録し、自身が散文調のナレーションをいれ、レコードにしました。外国旅行も稀で、ネットもない時代、しかも、美人さん、そして、国際線のスチュワーデス、とういことから、レコードより咲子さんにスポットが当たり、話題になったようです。

1978年の年末 1枚目の咲子さんのレコードがキングレコードから発売。

1979年4月 ユリコちゃんが、竹村健一氏の番組のアシスタントに抜擢。

週刊誌や女性誌が「現役スチュワーデスのレコードデビュー」と大きく取り上げましたが、ユリコちゃんのデビューはほとんど話題になりませんでした。

2枚目のアルバムは1980年「サラート」。咲子さんはラジオドラマにも出演します。

 

https://aucview.aucfan.com/yahoo/f117604196/

 

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≪おもな内容≫
★ファッション提案特集/日常着として皮を着こなす
★ファッション徹底特集/ニット・コーディネーション
★都会派のショートコート
★今、必要なスカート、ベストチョイス

「巻頭特別企画/長期調査シリーズ:モア・リポート女の生と性」(9P)

「インタビュー/宇崎竜童」(6P)

「ノーベル賞受賞経済学者・話題の著”選択の自由”の共著者/ミルトン、ローズ・フリードマン夫妻にきく」(4P)

「世界の音を集めたスチュワーデス/小池咲子」(2P)

 

 

売り切れになってますが、

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同じ時期に、ユリコちゃんは、ルックルックこんにちは、の竹村健一さんのアシスタントに抜擢されましたが、あまり、話題にはなりませんでした。

 

【連載】ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー 第3回『~砂漠のレコード~サラート(祈り)』

※http://webneo.org/archives/22208

当時、「KLMオランダ航空スチュワーデス」の肩書でメディアにも登場していた小池咲子の、前年の『世界の大空港』(未入手)に続くプロデュース第2弾。アラビアの風景を題材にした画家・藤沢章の個展に刺激を受けて「この絵を“音”にしよう!」と思い立ち、アラブ首長国連邦のドバイを拠点に録音した。そう、ライナーノートで自ら解説している。

(中略)

つまり、フンイキ勝負。異国ムードあふれる絵画のイメージを、現地録音を主な素材にして(一番のセールス・ポイントにはしつつ)作り上げた、音のフィクション、幻想(幻聴)の旅なのだった。

(中略)

 

1979年の“気分”を表現したレコード

それに、リリースされた年が79年、昭和54年だってことを、僕は特に面白く感じている。

(中略)

こうした(エネルギー不安を巡る)アンビバレンツな感情が、中東の再認識=異国への憧憬のかたちで思い切り振れたのが、79年の久保田早紀の大ヒット曲「異邦人」であり(あのイントロの旋律を思い出されたし)、そして、セールス的には比べるべくもないだろうが、『サラート(祈り)』だったのだと思う。「NHK特集『シルクロード』」も、初回の放送は80年だが、撮影と大がかりな前宣伝は79年から始まっていた。

さらに言えば、前年には女性のめざましい社会進出で「キャリアウーマン」が流行語になり、国際線が、成田の新東京国際空港(現・成田国際空港)に移転した。

国際線スチュワーデスとしてホントに「翔んでる女」だった小池咲子による『サラート(祈り)』は、今、僕が考える以上にキャッチーな、時流を穿つレコードだったのだ。

 

 

※重いので分けます。

もうひとりの小池家の娘・小池咲子さん(下)

ニセモノが天皇に即位?