美智子皇后の真実①
美智子皇后、出自と育ちと学歴、聖心女学院時代、皇太子妃候補時代、
本日もお越しいただきありがとうございます。
「皇后」美智子様。
国民からの敬愛を一身にあつめる慈愛の皇后・美智子様には不思議が一杯。
ご成婚前後では、明仁皇太子よりかなり低かった身長が、、、
第二子ご流産のあと半年の御静養のあと、突然、明仁皇太子より高くなり、
平成になると明仁天皇と同じ背丈になるという不思議。
生涯かかわらないはずの耳の位置も形も違うし、、、
ご成婚時にはハート形の大きな耳が、第二子ご流産後小さく「く」の字になって、位置も高くなり、平成になると耳が長くなって低い位置に移動する不思議な耳。もちろん、額のカーブや顎の形も違う。
同じ時期に複数の美智子さんがいるみたいだし。
※掲示板よりおかりしています。
複数の美智子様の謎に関する検証は「美智子様の影武者」で取り上げることにして、今回は、美智子様伝説の検証をしたいと思います。
皇后美智子のwikiを読んでて、あまりに、その内容のひどさに腹がたったので書いてみました。いままでの、まとめ的なものになります。
少女時代 wiki
1934年(昭和9年)10月20日、日清製粉勤務の正田英三郎・冨美(1981年(昭和56年)に富美子と改名した)夫妻の長女として東京府東京市本郷区(現:東京都文京区東部)・東京帝国大学医学部附属病院で誕生。
大和郷(やまとむら)幼稚園、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園を経て、1941年(昭和16年)に雙葉学園雙葉小学校に入学するが、1944年(昭和19年)、疎開のため、神奈川県の乃木高等女学校附属小学校(現・湘南白百合学園小学校)、群馬県の館林南国民学校(現在の館林市立第二小学校)、長野県の軽井沢東国民学校と転校を繰り返し、軽井沢にて終戦を迎えた。雙葉学園を受験する際、本郷区大和郷の俵孝太郎旧居に、一時在住したこともある。
小学生時代の性格は、担任の回想では真面目な女の子・活発で勝ち気だった・神経質な性格だったとされていて、スポーツが得意な女の子だった。また、ピアノ・絵画・料理、香道も習っていた。1947年(昭和22年)3月、雙葉学園雙葉小学校を卒業するが、当時は五反田に在住しており通学に不便なことから聖心女子学院中等科へ入学する。
wiki
1953年(昭和28年)3月、聖心女子学院高等科を卒業。
中高時代も成績はトップクラスで、当時の愛称は米国の人気子役であったシャーリー・テンプルのような天然パーマだった事から「テンプルちゃん」や「ミッチ」「ミチ」と呼ばれていた。
※雅子様大好きさまより転載です。
http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-330.html
1951年 日付は不明 従姉とテニスコートで16才の美智子様
美智子様すてき☆健康的☆
世間はマダマダ配給制で食糧難だったんだけどね☆正田さんチはイロイロいっぱいあったんだろうね☆
だからひたすら
「少女の頃の疎開の思い出が…つらかったのつらかったの…」
って言い続けるの♡だって言えないじゃん、
まさか、フツーの国民が飢餓状態にあるのに
正田サンちは軽井沢でテニスコートして子供たちは健康優良児でしたアーなんて。(ここまで)
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美智子さまの青春
15歳の頃から、親の公認で、竹山パーティーなるエリート対象の婚活パーティーで、ダンスを踊ってた美智子さま。名門女子高に通いながら、アルコールも入るだろう大人のパーティーで大活躍。
当時は女性は16歳で婚姻が可能でした。「婚活するなら若い方が有利」という、その発想は、妓生か、水商売の世界でのお話のはず。母親の出自がわかる、娘の売り込み方でした。
第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばす美智子さま。
耳には球形のピアス。この次代の女学生がピアス。この当時としては異様ですね。
この時代、ピアスをしている女性は、中華系かあるいはパンパンといわれた進駐軍相手の女性だけだそうです。
テニスでの、口癖は「やばい」。
皇太子と結婚した後、新聞記者が、美智子さまが、タバコの火をつけてくれた、と回想しているとこみると、本人が喫煙していたか、大人の男性の接待していた可能性が大木ですね。
ことばの乱れに、服装の乱れに、性のみだれ。
それを、世間ではヤンキーといいます。
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm
… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572
「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。
「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。
…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。
(ここまで)
当時、アメ横なる場所は、パンパンといわれる進駐軍さん目当ての商売されている女性が多かったみたい。美智子さまの英語は、ここで鍛えられたのかもしれません。
wiki
1957年(昭和32年)聖心女子大学文学部外国語外国文学科(英文学)を首席で卒業。
首席にしては、寂しい成績。
Aが46
Bが26
Cが4
http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/cat_802250.html?p=8
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在学中はクラスの福祉委員(ウェルフェア・メンバー)委員長、プレジデント(全学自治会会長)としても活動していた。卒業式では、総代として答辞を読んだ。
美智子自身は大学院進学も希望していたが、両親の意向もあり家庭に入る。クラブ活動では合唱部・英語劇クラブ・テニス部に所属していた。テニスでは在学中に新進トーナメントに優勝して、関東学生ランキングの第4位にランクンインした。
昭和29年度の成人の日記念の読売新聞社主催の感想文では2位に入選した。大学の卒業論文は『ゴーズワージーのフォーサイト・クロニエル』で大学卒業後にフランス語の勉強をしながら19世紀の児童文学の研究を続けていた。
お顔の変容は、整形したから?と思っていたのですが、実は別人だったことの可能性が高いようです。
「美智子さまの影武者」で検証しています。
見合いは惨敗 25連敗の末波多野という青年と婚約
第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf
<15/22>ページ
菊池委員
まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。 そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが 流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。
宇佐美説明員
非常にご立派な方で、従前にもいろいろ結婚のお申込みがあったように伺いますけれども 、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf
(ここまで)
三島由紀夫「つまらない女」
三島由紀夫とも「観劇でたまたま顔を合わせて、席がちかくなった」風お見合いもした。
三島「つまらない女」
三島祖母「母親がダメ」
お断りされてしまう。26人目が、明仁皇太子殿下。
お見合いが、ことごとく玉砕したころ、GHQから、皇室破壊工作員にならないかという、お誘いがあったのは、このころではないでしょうか。
皇太子妃に化けて皇室にもぐりこみ、「新しい皇室」をつくるため、破壊活動をおこなうという簡単なミッションです。見返りは、怪しげな家系図をもっている正田家を名家にすること、日清製粉を大企業にすること。パパもママも大張り切りでしょうぶにかけます。
wiki
同年8月、軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会にて当時皇太子だった明仁親王と出会う。
お妃候補となった時期、不思議なことに2人の美智子様がいるのです。
左:正田美智子 顔のパーツが中心によっている。額の生え際がまばら、面長な顔立ち。
右:ご成婚した美智子 横に張った丸顔、富士額、極端な猫背
正田美智子
ご成婚した美智子
テニスコートに送られ、皇太子とご成婚したのは、オカメ顔のミッチーでした。
察するに、「続・美智子様の真実」で取り上げていますが、最初から正田家から皇太子妃を出すといことは数年前から決定していたようです。
ただ、肝心の正田家の美智子が、いかがわしい街に入り浸るヤンキーだったので、皇太子妃は無理とされ、代わりに別の女性が正田美智子としてテニスコートへ送られたとみていいと思います。それが、オカメ顔ミッチ―だったのではないでしょうか。
wiki
テニスコートの誓いにちなんだ「テニスコートの出会い」として知られる。
その後もテニスを通して交際を深めたといわれる。明仁親王は美智子の写真を「女ともだち」と題して宮内庁職員の文化祭に出品したが、皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然と考えられていた時代であり、誰も彼女をお妃候補とは思わなかったようである。
美智子ありきのお妃選びと母親の出自が不明
しかしながら、最初から美智子さまありきの、お妃選びだったのね。
松平女史が、旧華族からお妃に推薦する方のお名前を挙げても、職員はスルーして、一切動こうとしませんでした。
そして、お妃選びに携わった小泉氏と正田家とは、お妃選びよりもっと前からの関係だったようです。
美智子様の母の富美の父が副島網雄氏です。この方がめっぽうあやしいのです。
※伏見氏のブログよりお借りしてます。
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/cba5252fd36c9a982081f6e77b3b9719
投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。
ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。
副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。
武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。
美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。(ここまで)
コメント欄より
美智子さんのWikiにある「中支那振興常務理事 副島綱雄の長女」 で、中支那振興が、富美さんが上海で生まれた頃には出てこないので、色々と調べてみました。
ブログに(正田家の闇だったかな)中支那振興が出てたので、クリックしてみますと、「見つかりません」ではなく「削除されました」となっておりました。
とっても臭ったのですよ。
(略)
私は何故戸籍のない綱雄さんが、中支振興常務理事になれのか不思議でした。
その戸籍のない綱雄さんの娘さんの為に、当時トップの為替銀行(横浜正金銀行)の頭取がお仲人までしてるのも不思議でした。
そしてそのトップの為替銀行の中に、富美さんの娘・美智子さんの陰謀めいた入内を決行した小泉信三さんのお父上・小泉信吉さんが、銀行の運営をしていたことも不思議でした。
伏見様のブログに依る新事実:
かつて佐賀県多久に網雄さんと言う男性がいて、若い頃上海で仕事をしてました。
1923年に、娘富美を連れて帰国。
1959年の皇太子妃婚約前に、副島家に戸籍を売って下さいと頼みに来たが、断られたので、勝手に副島を名乗った。
本当に不思議なことだらけです。
(以上)
wiki
1958年(昭和33年)、ベルギーにて開催された「聖心世界同窓会」第1回世界会議の日本代表として出席し、欧米各国に訪問旅行。
そして、美智子さんのママは、条件を吊り上げるために「嫌だ嫌だ」「皇室に嫁にやるのは嫌だ」を連呼してます。演技です。
正田富美(美智子の母)
「縁談には、どうしても一種のストラッグル(闘争)という面が出てきますものね」
「いいたいことをいわしていただいた。よくあちらさまが我慢なさったと思うくらい」
娘を高く売る交渉はがんばってたみたいね。
wiki
同年11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。
海外マスコミが第一報のお妃決定 皇室会議を得ていない貴賤婚
1959年
11月17日 ニューズウイークが皇太子妃決定の配信
「テニスコートの恋」「明仁皇太子妃に正田美智子」
11月24日 宮内庁公電をもって館林=正田家に通知
11月27日 皇室会議
1960年
02月06日 国会 昭和34年内閣委員会議事録より
「国会も何ら御結婚について知らされておりません。」
皇室会議が開かれたのは(昭和34年 注33年の誤記か?)十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。
皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。
それでも「信仰」の問題は気になった。
(岸信介元総理大臣)
国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。
結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。
要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html
(ここまで)
異教徒の皇太子妃
美智子さんが、カトリック教徒でないのかどうか、念を押されましたが、
「ちがいます。洗礼は受けていません」
カトリック系聖心女学院の総代になるには、カトリック教徒でないと無理なのに、総代になった美智子さま。小中高大とカトリック系の学校に一貫して通い、親戚縁者みなカトリック教徒。ご本人が、洗礼を受けていないなんてありえませんが、、、、。
さらに、皇室会議で審議されたわけではありません。
ようは、明仁皇太子が勝手に私的に妻にした女性であり、卑賎結婚であるということです。
そのため、美智子さんは正妃としてみなされず、明仁皇太子、明仁天皇のツマ、正田美智子という扱いです。
そもそもお妃決定は海外のマスコミのリークから始まり、ずるずると印象操作で事実化し、事実婚になってしまった結婚です。
皇室典範の範外であり、かつ、家系、信仰などの偽証があるため、この結婚は無効となるべき結婚です。少なくとも、美智子さんは、妃、親王妃、皇后ではありません。
このお写真をとったのは、朝日新聞記者の佐伯さん。
フリーパスで、正田家に出入りできたただ一人の方。多くの正田邸内での美智子さまの御写真を撮りのこしておられます。嫁入り前の娘の部屋に記者とはいえ男性を好きに出入りさせ、たくさんのお写真を撮らせる。この当時の名家とは思えないあり方です。
佐伯氏の回想より
応接間で美智子さんと母の冨美(後に富美子に改名)さんに号外を見せると、突然美智子さんが、わっと泣き崩れた。美智子さんは両手で顔を押さえていたように思う。冨美さんは「こんな格好をするのは礼拝のときのカトリックを連想させるの」
以上
あれ???
ご縁談に不満があるんじゃなかったのでは??
wiki
同日記者会見にて、記者から明仁親王の魅力について問われ「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」と回答。これは流行語にもなった。
また第一印象について「ご清潔な方」とした。
youtubeなどで当時の会見をみることができますが、日本語がおかしいんですね。
記憶する能力はあるものの、日本語の会話になれていない方のようにみえます。
wiki
清楚で知的な美貌を持った美智子の姿は絶大な人気を集め、明仁親王と美智子の巨大な写真がデパートに飾られる・「美智子さまぬりえ」が発売される等のミッチー・ブームが起こる。テレビの受信台数も急増した。
嫌だ嫌だといいながらも、でも、ママさん嬉しそう。
通説
正田家は、美智子さんの入内のために、会社が傾くほどの勢いでお金をかけたといわれています。
旧華族には、お金がない。
新興資産家の正田家には御金がある。
だから、皇太子妃の入内に相応しい費用を負担できた正田美智子さん以外は皇太子妃はありえなかった。という論調で統一されていましたが、、、、
入内のための準備
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/1.htm?
昭和34年03月23日 参 – 予算委員会第一分科会
Name 名無し 15/11/24(火)22:33ID:.gMkV5Aw No.1460398
高田なほ子君
今度の御婚儀で妃殿下になられる正田美智子さんの費用は
大体百五十万円という御説明がございました。
無題 Name 名無し 15/11/24(火)22:37 ID:.gMkV5Aw No.1460399
政府委員(瓜生順良君) われわれの方といたしましては、むだなものはお作りにならないように、必要なものだけにとどめていただくようにしております。
しかも、この式の前後に必要なものだけを今調製して、御成婚後に必要なものは、
こちらへおいでになってからお作りになればよろしいからというふうに申し上げておる次第であります。
無題 Name 名無し 15/11/24(火)22:38 ID:.gMkV5Aw No.1460400
なお、いろいろお作りになっておるもののうちで、公式の儀式に要るようなものは、
先ほど申しましたように、宮廷費という国の予算の方で作りまするが、
私的な、たとえば今の振袖なんかの中でそういう部分もあるかと思いまするが、
それからいろいろ御旅行のためにお出かけになるときの服装とか、
御参拝になるときの服装ですとか、そういうようなものにつきましては、
これはいずれにしてもこちらへ持って、おいでになりまするので、
しかもこちらへおいでになってから必要なものでございますので、
実を申し上げますと、皇室の内廷費でお作りしておるわけであります。
以上
常陸宮華子様も、紀子様も、雅子さんも、準備するための費用は国からでているのに、川嶋家だけが、国から支給されたという風にデマを流した犯人は、正田以外にありえません。
結婚後も、正田家から、援助金が振り込まれていたといううわさは聞いたことありましたが、それは、とほうもない浪費をごまかすために、流した噂でしょう。お金を入れてたとしたら、贈与税がかかるのだけど、証明できるのかしら。
かくて、嘘に嘘を重ねて、雪だるまみたいに膨れ上がっっていく、正田美智子のタレント人生が、はじまります。
本当に関係のない画像