本日もお越しいただきありがとうございます。
一国をひそかに乗っ取り、国民をだましながら、国の財を盗み続ける。そんな、巨大な陰謀の源流である田布施に触れてみたいと思います。
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P391
大室寅之佑は田布施町の生まれ。私は2006年10月、この田布施を訪れた。
光町と柳井市に挟まれた寒村の風景がそこにあった。
伊藤博文(林怪我伊藤の本家)
と、「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。
また、宮本顕治(共産党)も一族。
そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えてた河上肇も一族である。
そして、大室寅之佑の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光吾郎、
※(管理人)このひと、元首相の福田家の人びとに似ていませんか。
難波作之助が出ている。
※難波邸
また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。
あの終戦内閣の最後の内務大臣安倍源基も大室寅之佑の生家の近くである。
これは偶然でない何かがあるだろう。
以上
鹿児島にも田布施があった 小泉首相のルーツ
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P394
鹿児島にも田布施村があった。現在は加世田市金峯町というけれど、ここは昔は田布施村といった。
小泉純一郎の父、小泉純也はこの地の出身である。彼は上京して小泉又二郎の一人娘・芳江と結婚して小泉家の婿養子となって小泉姓を名乗り、義父の地盤を土江代議士となった。小泉純也は朝鮮の姓をもつが、この結婚により日本国籍を得た。
長州の田布施と薩摩の田布施、直近2代の首相が同じ田伏一族の末裔なのだが、これは偶然ではないだろう。
以上
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大室家は南朝の末裔ではない、北朝鮮系の被差別部落民
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P392
大室家が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りでは何一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。
「週刊朝日」(2006年10月6日号)に「家政婦は見た——-安倍晋三研究」がでた。
”家政婦”として40年あまりを安倍家に仕えた1人の女性・久保ウメさん(80歳)が安倍一族の真実を語った。
その中で安倍晋三の父・晋太郎について次のように語っている。
お棺に入れるときにあの人の骨格、あれはやっぱり日本人のものじゃないと思ったの。肩の幅から下までまっすぐに定規を引いたみたいな。これは完全に韓国の体形。自分で「僕は朝鮮だ、朝鮮だ」といってたけれども、なるほどこれは朝鮮だなと思った。だから、あっちですごくモテてたってよ。彼が元気で、もうちょっと本気で働ける時間があったら「北」の問題もとうに解決していたと思うの。晋太郎さんの死はつくづく国の損だった。
(略)
p397
安倍源基は明治27年2月14日、山口県ク熊毛軍曽根地方に安倍半次郎、美津子の長男として生まれた。
曽根村は前述した田布路木から上の関の方向に進んだところで、人口3000人程度の村落である。
現在は町村合併により、大野村、佐賀村とともに平生町に合併され平生町曽根となっている。
岸、佐藤兄弟の出身地として知られ、また天照皇大神官教(踊る宗教)の中心地としても知られる田布施村(現田布施町)は隣村の一つにあたる。
田布施発「天照皇大神官教(踊る宗教)」合同結婚式・人と神が合一するために無我の舞を踊る
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の開祖「北村サヨ」とは
北村サヨは、1900年の1月1日に当時の山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)の農家の娘に生まれ、北村清之進と結婚して田布施町に嫁いできました。
ある時、田布施の自宅の納屋などが放火に遭ったことがきっかけで、犯人を捜す目的で地元の祈祷師のところへ通ったりするうちに、丑の刻参りやと水行の修行などを実践し、後にその祈祷師から、彼女自身が「生き神になる」と告げられています。
その後、憑依現象を体験し、天照皇大神が自身に降臨したと周囲に話し、田布施で「天照皇大神宮教」を開教しました。
1945年に同じ田布施町出身の岸信介が、A級戦犯被疑者として逮捕され巣鴨プリズンに拘置されたとき、「10年以内に必ず内閣総理大臣になる」と予言し、岸が首相に就任した後、その予言について二人が言葉を交わしています。
昭和43年に北村サヨは孫娘の清和(姫神様)を後継者に定め、死去しています
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」とは
「天照皇大神宮教」の教え(教義)によれば、
宇宙の絶対神は3000年に一度だけ地球に降臨すると説明され、
・一度目は仏教の釈迦、
・二度目はキリスト教のキリスト、そして
・三度目が北村サヨである、と説かれています。
また、天照皇大神宮教では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、人と神が合一する」と説明し、無我の舞を踊るのが特徴となっています。
この無我の舞の踊りから、戦後社会に於いて「踊る宗教」や「踊る神様」として、一定の認識を得て注目され、人々の間に浸透し布教されていきます。
また、天照皇大神宮教では、面識がない男女の間での結婚(天照皇大神宮教の内部では「結魂」という)をすることがあり、一時、社会を賑わせた「統一協会」の合同結婚式との類似性を指摘されることがあります。
※統一教会の合同結婚式
以上
踊る神さまって何ですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412089694
正式名を「天照皇大神宮教」
山口県田布施町の農家の主婦、北村サヨさん(1900~1967)が開祖です。
近くに住む。稲荷行者の平井憲竜から教えを受け修行をしました。
1944年
腹中に何かが入ったと自覚し、腹中の神と問答するようになりました。
その神は、「とうびょう(動物霊)」、口の番頭、天照皇大神と次々と入れ替わった。
北村さんは敗戦直後から、神の独り子、救世主であるとして、神国実現を呼びかけました。
1946年
神の国開元の「紀元元年」として、既成の権威、天皇陛下までを罵倒?したそうです。
教義
稲荷信仰、生長の家、日蓮教学の影響があり、強烈な終末観を特徴としているそうです。
人間は堕落して利己主義のウジ虫になっており、このウジ虫の世の中を救い、神の国を建設するために、「天照皇大神」が教祖に天下ったそうです。
北村さんは、
「ウジ虫の乞食よ、目を覚ませ。・・・・お目々さめたら神の国、居眠りしておりょ乞食の世界」
と歌説法をし、ウジ虫も天使に生まれ変わると主張したそうです。
「踊る宗教」と有名になったのは、
1948年東京に進出し、信者さんたちが眼を閉じて、神に救われた喜びをあらわす無我の舞を演じたからです。
現在は、北村サヨさんの孫娘、北村清和さんが教主です。
「日本宗教辞典 講談社学術文庫 村上重良著」
項目「踊る宗教」より、要約しました。
以上
確実に件の教団の方が踊っていると断定できる画像や映像が拾えなかったで、どんな舞踊をするのかは不明です。
関係ないですが、こちらは韓国の舞踊。リッパート中韓米国大使が暴漢に襲われ、顔をきりつけられたとき、大使の入院している病院前での、回復祈願の舞の様子。
大変、盛り上がっているのですが、アメリカ側は、こういうことを望んではいなかったと思うんですね。
田布施とは関係ないですが、ギャグでしたね。
・暴漢が会合でリッパート大使に刃物で切りつける。
・救急車がくるも、なぜか、救急車は、暴漢をつれていってしまう。
・リッパートさん、自力で車を呼び病院へ。
・リッパートさんが入院中、病院前で市民が押しかけパフォーマンス。
・韓国側の対応は、謝罪もなく、責任もとらず、今後の対策も提示できず、おどって騒いで忘れてしまう。
・同じころ、駐日大使のキャロライン・ケネディさんは、「ハッピー♡雛祭り♡」と、笑顔で雛祭りのためのツイートをしていました。
話を田布施に戻しますが、、
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
安倍源基と大室寅之佑の生家は田布施川をはさんで、すぐ傍にある。安倍基雄はその事実を隠している。
この関係があればこそ、最後の内務大臣に天皇は最も審理できる安倍源基を任命した。
そして憲兵たちは操られ、8月14日~15日の「日本のいちばん醜い日」の演出が安倍源基の闇の力添えを得てなされたのである。
安倍源基と安倍慎太郎を結びつける系図を私は発見できていない。しかし、大室家と安倍家は確実に結びついているとみている。
安倍源基は微妙な言い回しで出自に触れている。
以上
「安倍源基は微妙な言い回しで出自に触れている。」
ザックリまとめると、、、
・安倍晋太郎、安倍能成とは親戚ではない。
・しかし家紋が同じ”立梶の葉”である。
・我が家の言い伝えはともかく、安倍の姓は愛媛、大分に多い。
・毛利に従って山口に来たというよりは、それ以前から根を生やしていた一族で、それが毛利に従ったというのが事実ではないか。
敗戦直前の内閣人事:昭和天皇は日本人より朝鮮人を信用
外相 東郷茂徳
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P395
イギリスの外交官ア―ネスト・サトウは幕末に活躍した。
アーネスト・サトウは天皇になる前の大室寅之佑とあっていた可能性が大である。彼は上司のハリー・パークス公使から日本の政情を調べるようにいわれ、鹿児島の苗代川に行く。
ここは、慶長3年(1598年)朝鮮から虜囚として連れてこられた43人の男女が、島平の浜辺に遺棄されたように、維新後、苗代川の住民は、創世記の近代日本のただなかに遺棄された。『東郷茂徳伝記』と同書の「解説」(萩原延とし)に、この間の歴史の闇が詳述されている。
いわば270余年のサイクルが回って、この村の人々は、再び島平の浜辺三達、今度はあのとき他郷に連れ去られた同朋と同じように、母国の姓名を捨て、その言語を忘れ、その風俗を改めて、新しく移住してきた土地にどうかしようとする(略)
東郷茂徳は明治15年(1882)12月10日、朴茂徳としてこの苗代川で生まれた。(略)
なお、東郷という姓は鹿児島では特に珍しいものではナウ、朴家が「入籍」した東郷家と、提督東郷平八郎の家とは関係ない。
こうして、5歳7の時から、朴茂徳は東郷茂徳を名乗るようになった。
私はどうして終戦時の外相、東郷茂徳をここに登場させたのか。その理由は3つある。
その一つは、あの明治10年(西南戦争があった)のあわただしさの中で、アーネスト・サトウがパークスの命令とハイエ、朝鮮人の被差別部落の調査報告書を作成しているというというところである。サトウは日本の国土の中に朝鮮系の人々が多数いて、差別されているのを見た。
西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。
もう一つは、終戦内閣にどうして東郷茂徳が外相として迎えられたのか、というのが2つ目の理由である。
それは、終戦にあたり、昭和天皇が最も信頼できる人物を内閣にいれたことにある。
東郷茂徳は、明治天皇=大室寅之佑と同じ出自をもつと考えられたのではなかったのか。
さらにもう一つ、東郷茂徳を起用した理由がある。それは天皇の財宝を隠蔽する役を東郷茂徳に命じた点にある。
天皇は一番大事なことをするのにおいて、日本人より朝鮮人を信用したといえる。この財宝隠蔽工作は後述する。
以上
アーネスト・サトウが、タブセを調べてていたのは、英国流というより国際記入同盟(イルミちゃんや石屋産を含む)の、支配体形にあるのかもしれません。
占領の対象となる国の一番最下層の被差別民(欧米ではユダヤ人)を使い、資金や武器を援助し、プランを与えて内部からの革命を起こしたあとは代理人として権力を握らせる。そして脅迫しながら支配する。
最下層にいる被差別民だと、その国や国民に対する慈愛もなにもないですから、裏切ることも、どんな残虐な指令をうけても実行できます。
アーネスト・サトウは、最下層にいる人間がだれかを調べ、工作員として使う人選に入ってたんでしょうね。
管理人は、人選にかなった人物たちが、鎖国中の日本を抜け出し、ひそかに渡英し英国王や国際金融同盟(イルミちゃんや石屋さんを含む)たちと会談し、忠誠を誓い、契約を交わしたこともあり得ると思っています。
「西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。」
朝鮮系被差別民が、ニセ天皇を戴き、皇室の権威と新国家の軍隊をつかって、復讐したという見方ができますね。
愛媛・山口・大分 瀬戸内海「田布施」トライアングル
p398
私はこの一文を読んではっとした、どうしてか、を書いてみよう。
「日本のいちばん長い日」、すなわち8月14日~15日までの内閣を見るとき、大分県出身の大臣や軍人の多さである。
列記する。
陸軍大臣 阿南惟幾
大分県竹田市出身
陸軍参謀総長 梅津美治郎
大分県中津市出身
海軍軍令部総長 豊田副武
大分県杵築市出身
阿部が語るまでもなく、大分県の国東半島の沿岸部と田布施や曽根は昔から盛んに交流していた。
私は安倍源基の一族も大室寅之佑も、その「家船」の興隆の中から結婚の相手を求めていたのではなかったかと思ったのである。
重光葵(東久邇宮内閣外相)
同じ国東半島の安岐町出身。
南次郎元帥
同じ国東半島ん日出町出身。
これも単なる偶然ではない気がする。
中略
内閣総合計画局長官 明永月三
大分県中津市出身(梅津と同じ)
秋永の後任の池田純久は宇佐市出身。
宇佐市も中津市も、瀬戸内海に面している。
この大分閥の存在を近衛文麿元首相は危惧していたのである。
この面からも、タブセに生まれた明治天皇の姿を見ることができるだろう。
上記のトライアングルに、西武・堤家や、白洲次郎の白洲家などのルーツである北朝鮮、長崎などの長崎の出島や、上海、香港などの白人工作員が拠点としてた港も入れたいですね。こういう土地で白人と中国人、あるいは、朝鮮系との混血児が多く生まれたんでしょう。
地図で見ると、西側の瀬戸内海は、本当に朝鮮と近いですね。
管理人は、安保法案を自らの首をかけて通した岸信介さんは国士だと思っています。孫の安倍ちゃんもそうだと思いたい。
岸信介、佐藤栄作兄弟の顔は、典型的なアジア人と白人の混血児の顔だとの指摘もあります。鼻の形からみてユダヤ系ではないかという方もいます。
たしかに安倍ちゃんの家系は、背も高いですし、顔立ちも濃いですね。
大室寅之佑=偽明治天皇も大柄でしたし、もしかしたら、大室も混血児の可能性があると思います。だからこそ、「天皇」に選ばれたんじゃないでしょうか。
追記
コメント欄より
管理人様、大変興味深い記事ありがとうございます。
そう言えば、成田空港で死体で見つかったグリーンのワンピースの女性も愛媛出身の女性と報道されていました。
このトライアングルは深堀すれば何かありますね。
以上
白人の血が入っていると思われる工作員
白洲次郎、
この次郎さん(ですよね?)、もろ外人なんですけど(笑)
苗字の白洲の「白」は朝鮮由来であるとか、、、。
そして正田富美、別名上海夫人、大陸夫人。
皮膚の白さ、ハーフっぽい顔立ちに加え、日本男性の平均身長が160センチほどだったころに、170センチ近い長身の富美。富美が生んだ3人の実子(長男、次男、次女)もまたいずれも長身です。低身長なのは堤康次郎の落胤である長女だけ。ほかにも、さがせばボロボロ出てきそうです。
正田富美、美智子は昭和天皇と、激しく対立していました。
昭和天皇に毒物を盛り、暗殺したのは美智子ではないのかとも言われているくらいです。
今までは、敗戦にまぎれて皇室に乗り込んできた工作員美智子と、伝統と皇室を守らんとする昭和天皇との死闘として捉えていましたが、もしかしたら、同じような立ち位置の同じような場所から来た同じような種類の人間同士の、派閥争いのようなものだったのかもしれません。
富美は旧姓副島といい、佐賀県の出身とされていますが、今一つ不明です。佐賀の士族の副島家に「戸籍を売ってくれ」と交渉にきたというエピソードが、伏見氏のブログのコメ欄にリークされていました。
ただ、佐賀藩士の副島という名前を知っていたということは、戸籍上の父親か、あるいは富美自身が佐賀県に居住していた可能性があります。
しかし、旧藩主の姫に向かって、「あちら」呼ばわりして罵倒する富美、皇室に対する不敬、土足での上海疎開風の生活、など、その言動から見て日本人では無さげです。あれだけの美人で名家の女性なのに、女学生の頃の写真が一切出てきません。
一時期富美が通っていた美容院の関係で、上海にいたのは間違いなさげなのですが、例えば金髪に染めて、現地では高級コールガールか、女優か、歌手か、そういう仕事をしていたのではないでしょうか。
実父とされる副島も、上海の主だった要人の中に名前がないのが気になります。実在したのでしょうか。
明治天皇の生母の中山慶子の墓に詣でない皇族たち
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P402
明治天皇の生母・中山慶子の墓が豊島ヶ岡墓所(東京・文京区)にある。ここには、彼女の父の中山忠能の墓もある。現在の中山一族の長は中山重啓である。
私はあるルートを通じて、中山重啓の情報を入手した。明治天皇の母の墓を、明治天皇はじめ、現在にいたる皇族たちの一人としてお参りしていない事実を知った。
中山重啓は高齢だといわれている。彼の執事は「御生母にかんしては箝口令がしかれていますので、一切お答えできません」の一点張りであった、と私の知人は私に伝えてくれた。
私は明治天皇が、生母といわれる中山慶子と会っていたのかを調べた。しかし、外国人の書いた本の中に一回あっているらしい場面をみつけたが、どうも疑わしい。
私は確信した。明治天皇は孝明天皇の息子ではなく、間違いなく、山口県熊毛軍田布施村麻豪郷の出身であった、と。
この人間関係の冷たさが——–たて生母でなくてもいいではないか。会えばいいではないか——日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へ突き進ませたと思えてならないのである。
昭和天皇も今上天皇も、そのほか皇族たちも、自分たちが孝明天皇の子の睦仁の血統につながらない、山口県熊毛郡田布施村麻郷での特殊被差別部落出身者・大室寅之佑の一族であることをはっきり認識していることの証にならないのか。
もし、孝明天皇の子孫と認識するなら、明治天皇の生母の中山慶子の墓を粗末にすることはないだろう。
以上
いろいろと見たくないものが暴かれてきますね。