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田布施の白山信仰、関東の被差別地域で信仰されていた白山信仰、そして北朝鮮の白山信仰を、取り上げたいと思います。
※転載させていただきます
日本の被差別民の白山信仰
【正田家再家系調査】部落民の信仰の対象だった白山神社、正田醤油敷地内の白山神社、転載フリー
2015年12月8日
*写真は、群馬県館林市の【正田醤油】敷地内の、白山神社です。
東武伊勢崎線『館林駅』前の正田醤油工場敷地内に鎮座。
館林駅西側が区画整理中で地図やナビが全く役に立ちませんでしたが、工場は目立つのでなんとかたどり着けます。あたりが醤油の良い香りがします。
神社全体像。小規模な神社です。拝殿の隣のお堂には何が祀られているのでしょうか。
昨日の記事を書く過程で、「関八州のエタ・非人頭」の弾左衛門について触れました。歴史上有名な人物の、弾左衛門、通称、浅草弾左衛門について、調べていくうちに、【部落問題研究家】の【有力な研究成果】を発見しました。
★関東地方の、部落地区には、必ず「白山神社」が有る。・・・・と言う実証研究成果です。
(根拠)ある時、弾左衛門の次男が重い病気に罹り、生死の境をさまよった時に、浅草新町の【白山神社】=【現、今戸神社】、で祈祷したら、奇蹟的に快癒した。それで、弾左衛門は、関八州(今の関東7県)甲斐都留郡(山梨県都留市)駿河駿東郡(静岡県駿東郡、清水町、小山町、長泉町)、陸奥白川郡(棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村)三河設楽郡(愛知県新庄市)の部落の「エタ頭」に対して、白山神社を断てるように命じたとあります。
神社を新しく建てる際には、勧請(かんじょう)と言って、「神様に動座してもらわなければなりません」、勧請は浅草新町の白山神社の神様にご動座願ったのでしょう。
この、白山神社が、館林市の【正田醤油】の敷地内にあります。
★これは、醤油労働者が、部落民であること、【正田醤油の社長】も部落民であることの証左であります。
明治になり、石高10万石並みと言われ権勢を振るった、弾左衛門一族も、特権をはぎ取られ、零落(おちぶれる)します。
怖い親分は居なくなったし、正田の分家はカトリックに改宗しているのだから、【白山信仰】は親分からの押し付けならば、白山神社を撤去しても良かったはずです。
神社は神官によって、決まり通りの手続きを取れば、撤去可能です。祟られることは有りません。それを今現在していないという事は【正田醤油のオーナー=正田本家】は、【白山信仰】を捨てておらず、部落民だという事です。
落民を公表しているルポライターの上原善広(大宅壮一賞受賞)が、著書「日本の路地を歩く」で、館林市目車町を踏査し、【正田醤油の敷地内の白山神社】を発見し、「ここは、部落地区で間違いない」と判断した結論は間違っていなかったのです。
★しかし、【部落地区に指定されていない】その理由を【館林市役所】に問い合わせると【この地から皇太子妃が出ているから】指定できないという回答だったそうです。
≪美智子の祖父、貞一郎は、何故醤油事業から離れ、製粉業を始めたのか≫
★答えは簡単【部落民であることを隠すため】です。
同じような例が有ります。在日企業ロッテです。
創業者の重光武雄(辛格浩;シン・キョクホ)は、事業が成功した後、インタビューにこう答えています。
記者「何故、菓子製造業を始めたんですか?」
重光 「だって、パチンコや、焼き肉屋をやったら朝鮮人だとばれるじゃないですか(笑)私は在日の連中と同じことはやりたくない」
お家騒動で揉める、ロッテですが、この重光と言う男は偉い男です。財務担当役員として、住友銀行から佃と言う重役を引き抜いていました。しかし、佃は重光の長男の宏行とことごとくそりが合わない。
思い余った佃は会長の武雄に直訴「私を取るか、ご長男を取るかはっきりさせてください。」それを聞いた武雄は躊躇なく、長男を子会社に飛ばしたそうです。普通の朝鮮人だったら息子の方を取ったでしょう。
どこか、日本人的な思考の持ち主です。朝鮮人をぼろくそに言っている、私もこの男は憎めません。
(中略)
話しはそれましたが、【部落民の白山信仰】について、注意しなくてはならないのは、部落地区&白山神社が成り立つのは、弾左衛門の支配下にあった、関東近辺だけだそうです。
関西や、中部地方の白山信仰は、部落とは関係ないそうです。ご興味のある方は、大阪の部落地区を危険を冒して、散策してみては如何ですか?
白山神社は無いと思います。
皇后の出自を暴いた、ルポライターの上原善広は、得意な立ち位置にいます。われわれ、「部落の秘密を知りたい人間」にとっては重宝な存在です。
彼が、「部落」のことをいろいろ言っても、同胞だから、解放同盟の糾弾を浴びなくて済みます。それに我々が知りたくても知れない面白い情報を山ほど持っています。橋下徹の様に「自分がカミングアウトしたからって、何をしてもいいと思うなよ(怒)」と言う同胞もいますが、【大宅壮一賞】まで取った作家ですからね。
★ただの【暴露本作家】ではないと思います。大阪府松原市出身で、父は精肉業でした。ハンマー投げの選手で、大阪体育大卒、子供のころから精神に双極性障害(躁うつ病)の持病を持ち、自殺を図ったこともある。
彼も、正田美智子同様クリスチャンで、洗礼も受けています。同じ部落出身の作家、中上憲次に師事して【部落地区を「路地」】と呼ぶようになる。
代表作、「日本の路地を歩く」を執筆し始めたころ、【部落解放同盟の幹部から】圧力を受けたが、調査してみると、その幹部は、【部落民ではなかった=えせ同和】、上原は「あなたのような一般市民から非難されるのは、「部落解放」にとって良いこと
である。是非【糾弾会】を開いてもらいたい」と言ったが、糾弾会は開かれなかった。
★皇后のルーツが群馬館林の部落地区にあることを発見したのは、東京都立大学非常勤講師の本田豊(著作「江戸の部落」)で、立場上言えないので、フリーランスの上原にリークしたと言われています。
以上
転載以上
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田布施の白山信仰
こちらの白山信仰は、日本の白山信仰ではなく、北朝鮮の白頭山の信仰っぽいですね。
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P394
大室寅之佑は熊毛郡田布施村(現在は田布施町)の出身である。
中略
まさしく私が訪れた田布施町は瀬戸内海に面しているとはいえ、その周辺の海岸線は湾曲していた。そして、山がその周辺の海岸に迫っているのであった。隣接する光市と柳井氏は、広い平坦は土地である。この両市に挟まれた田布施町の状況は今も変わらない。正直言って、住むのに悪条件だらけの土地であった。
この丹波基二の『地名苗字読み解き辞典』の中に、”布施”の字が見える。
フセの文字はほかに布瀬、伏勢、布西、などがあるが布施が原意に近い。いわゆる施しのことである。これは旅行、寺社参拝、その他の宿泊する貧しいものを無料または安価で泊める公共施設のこと。多くは土地の寄進者がいてその費用にあてた。旅行中病気になったものも介護した。全国にあったが、地名になって残っている。
類姓=布施、布世、布瀬、布生、布西、扶瀬、普勢、伏屋(以上みなフセとよむ)など。
この布施に田の字がのっている。この田が上についているのは意味があるのだろうか。
”田布施”とは、田を布施する意味から来ているのではないかと私は考える。
北朝鮮系の人々の信仰する”白山信仰”を封じるために、時の権力者が寺院に全権力を特別に与えた特殊部落の田布施という地名になったのではなかろうか。そういう視点から田布施町を観察すると、やたらと寺の多さに気が付くのである。
転載以上
田布施発の憑き物付きの巫女による踊る宗教「天照皇大神官教」、統一教会と似ているといわれるシャーマンの介在による合同結婚式など、未開な社会のまま凍結している朝鮮半島の息吹があります。
そして古代朝鮮の白山信仰が日本に渡来して、石川県の白山信仰になったという説
そして、こちらは、朝鮮の白山信仰が日本に渡来して、石川県の白山信仰になったという説。
日本におけるすべてのものを、なんでもかんでも朝鮮にルーツをもとめる傾向がありますが、古代の朝鮮と今の朝鮮は別物なんですよね。
あのころの古代史の政治情勢を考えると、半島と日本を行き来した人たちがいた事は事実であり、共通するところが多いです。
ただ、百済のころの古墳の壁画などを比べてみると、日本の方が精度がよいことから、日本から進出したというほが腑に落ちると思いますが、、、
転載させていただいてます。画像は管理人が貼っています。
北朝鮮の白山信仰・牛・天文信仰・濊族(わいぞく)
白山信仰の謎②〜「殺牛祭祀」を行う白頭山(韓国での呼称は太白山)の濊族〜
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11861997099.html
※白頭山に登頂したブーちゃん。
前田速夫によると、白とシラに共通する語幹SIRがユーラシア大陸のほぼ全域で、原白山信仰とも言うべきシラヤマ信仰が、我が国にもたらされたについては、大陸と列島とを結ぶ朝鮮半島の果たした役割が大切で、白山信仰の様々な謎を解くもっとも重要な鍵の一つは古代朝鮮が握っているという。
【江陵端午祭り】
朝鮮半島の太白山脈の東に位置する江陵の町とその周辺地域で行われます。
【濊族(わいぞく)】
※(管理人)当時の濊族の顔は、左のモンゴル軍侵略前の顔と似た風貌だったのではないでしょうか。
※(管理人)北朝鮮系といわれている人たちや、今の北朝鮮の高官たち婦人たちは、どちらかというと、左のツングース系の顔によく似ています。
※(管理人)韓流のコンサートを鑑賞する北朝鮮の高官とその夫人や子供たち
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/49503708.html
※(管理人)北朝鮮系と思割れる人たち、小和田、麻生、小泉、やはり、骨格が違う気がしますね。
小泉親子
※(管理人)岸、佐藤兄弟や、安倍ちゃんは、ユダヤ系の血が濃いかんじがするんだけどね。
彼らが天空信仰を有し、「殺午祭祀」を行っていた。
よく並び称されるのは濊族は漁撈民で、貊族は牧畜民で神社の狛犬の狛はこれにゆらいする。最近では同じ部族とみる説が有力であるらしい。
【濊族(わいぞく)の天空信仰】
濊族の習俗では、山や川を尊重していて、山や川には特別な個所があり、みだりに立ち入ることができない。
麻布を織り、桑を植えて蚕を飼い、真綿をつくっている。
※(管理人)麻と田布施の関係
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明
P391
私は田布施麻卿に行った。麻郷とは麻を作る郷ということであろう。麻から麻糸を作り、この糸を漁業関係者に売って生計を立てていたのではなかろうか。山が海に迫り、瀬戸内でありながら孤島のような感じがした。
以上
星宿の動きを占いさとり、あらかじめその年が豊作であるか凶作であるかを判断する。
常に10月を節として天を祭り、昼も夜も飲食し歌舞する。これを名付けて舞天といっている。
この祭天の儀礼は夫余 や高句麗や弁辰(後の加羅、新羅)、韓(後の百済)に伝えられ、朝鮮半島ではあまねく浸透した。
※(管理人)朝鮮半島では今もなお舞踊や祭典が盛んです。
また、虎をまつり虎を神として崇めている。
※(管理人)明治天皇に成り済ましたのは、大室「寅」之佑でしたね。朝鮮の聖獣から取ったんでしょうか。
【濊族(わいぞく)の南下】
しかし、居住区からして白頭山や太白山を聖なる山と仰いでいたのに相違なく前田速夫は、中国や朝鮮の白山部の住人がこの部族であったと述べている。
東国輿地勝覧三陟都護府編 祠廟條 太白山祠欄には、端午祭が行われる江陵町が、かつては濊族の一大拠点だった事を合わせて考えると、中国白山部から江陵を経て、朝鮮半島を南岸を南下した濊族とともに、白山(ペクサン)信仰=原シラヤマ信仰も南下し、倭と接する事となったと推測している。
この秦氏と関係がある地で濊族の血が秦氏に混入したとすれば前田速夫自身説得力が増すと記されてある。
【白山信仰と白頭山(韓国での呼称は太白山)】
「白山信仰を白頭山(韓国での呼称は太白山)と並べて論じたのは、NHK特集デレクターであった水谷慶一。白山は、たんに「色が白い山」ではなく、「日の光に照り輝く山」であろう。その聖なる太陽信仰の美御山を日夜、仰ぎ見た白山部に住む一族が、遥か日本海を東に渡ったとき、水平線の彼方に最初に見つけたのが、我が国加賀の白山ではなかったか。
☞「白山部」に住む一族とは
白頭山の中国側、旧満州の「白山部」に住む靺鞨(まつかつ)の一族をさす。
彼らは高句麗族と同じくモンゴロイドの血を混じった穢族の貊系のツングース族であり、7世紀末に唐によって高句麗が滅亡した後は全ツングース族を糾合して渤海国を建国した。
渤海の建国者の大 祚栄(だい そえい)は白山部出身で、728年から811年にかけて幾度も使節を日本に寄越している。
彼らは、航海に長じた民族であった。
金浩天によると渤海と日本の国有関係においては、727年から929年まで継承され、渤海からの遣日本使は34回、日本からの遣渤海使は13回、そのかずは、日本と唐との派遣使節とは比べ物にならない。また、唐文化の日本への伝播も渤海からの使節が大きな役割を果たしていた事は、それほど知られてはいない。
太陽信仰 「日出る国」をもとめて渡来してきたのか?
白頭山=太白山の信仰は、おそらく彼ら「白山部」の中でうまれ、日本海を渡って運ばれたものと想像される。
太白山は「巫俗の聖地」ともいわれる。すでに2千年以上の歴史を持ち、古来より祭祀を執り行ってきた天祭壇には、常に巫堂(ムダン)やパクス(=男性ムダン)など巫俗信者が訪れ、祈りを捧げている。
【白山 白峰は「牛首」の名だった】
旧名の生々しさを嫌って白峰としたのは、明治になってからだという。
牛首地名は「殺午祭祀」がこの地で行われていたことの名残からではないかと前田速夫は思量している。
「殺午祭祀」を主宰した村々の祝部(はふりべ)祝でその仕事をするのは聖職者だった。ところが仏教の禁肉食思想や血穢思想が浸透すると、彼らは被差別者と見なされるようになる。こうした事情は、韓国でも殺午を執行したのは、白丁 広大 揚水尺と呼ばれた被差別者たちだった
以上
※(管理人)「ところが仏教の禁肉食思想や血穢思想が浸透すると、彼らは被差別者と見なされるようになる。こうした事情は、韓国でも殺午を執行したのは、白丁 広大 揚水尺と呼ばれた被差別者たちだった」ここが、日本の被差別民と被りますね。
092.富士山と朝鮮半島の北斗信仰&白山信仰
http://changon99.blog.fc2.com/blog-entry-92.html
2013.6/22(土)に『富士山の世界遺産登録』されました。
おめでとうございます!
今日はそんな『富士山・世界文化遺産登録』を祝し、お話を一つしたいと思います。
古代朝鮮の『高句麗』では、北方の空に輝く北極の星座を、最高の神と信じていました。つまり北斗七星は天帝の住む場所と考えられ、北極星を『北神』としてあがめていました。これが『北斗信仰』です。
朝鮮半島北部の最高峰『白頭山:ペットゥサン』は、その星座信仰を集める中心地に高くそびえている事、そして星に最も近い山ということで、白頭山から『白山信仰』が出来上がっていったという事なのです。
ではまず、『北斗七星、北斗星信仰』について話すと、共和国(北朝鮮)の平安南道にある『薬水里古墳:やっすりこぶん』『徳花里古墳:とっかりこぶん』の壁画には、北斗七星が描かれ信仰の深さが南下していることが分かります。
やがてこの信仰は仏教と合併され、朝鮮半島を南下していきます。その痕跡はソウルにある『奉恩寺:ぽんうんさ』にも見られ、境内には『北極宝殿』まで建てられていきます。さらにこの信仰は南下し現在でも『慶尚北道盈徳郡寧海面糸津』の漁村では、『ピョルシンジェ』という祭りが行われるのですが、漢字で『星神祭』と書き、現在もいくつかの村で行われているそうです。
この『北斗七星、北斗星』信仰はやがて日本に渡ります。大阪にある『四天王寺』は朝鮮半島の影響を多く受けたとされており、毎年11月に行われる『四天王寺ワッソ祭り』は、その象徴です。
ここには聖徳太子が所持していたとされる国宝の『七星剣』が保管され、剣には北斗七星の絵が描かれています。この他『七星剣』は奈良県『東大寺正倉院』『法隆寺』、高知県中村市の『一宮神社:いっくじんじゃ』にもあります。
比叡山延暦寺を建てた『最澄:さいちょう』は朝鮮半島渡来人の子孫であり、彼もまた、この北極星や北斗七星の信仰を、自分の宗派である『天台宗』で取り入れています。
その後の弟子、江戸時代の『天海』は徳川家康の墓を日光に祭り、日光東照宮の陽明門は、その頭上に北極星が登り中心になるように建てられています。
((o^-‘)b
さて、それと同時に日本には『白山信仰』も石川県や富山県、岐阜県などを中心に浸透されていきます。
この白山信仰で特徴的なのは、三重県津市白山町八対野2470にある、『八ツ山神社』です。
由来は「北斗七星を象徴する七羽の白鷺が降り立ったところへ、白山神社が建てられた」と言われています。町の名も『白山』と付くところが、なんとも関わりのある話と思えてなりません。
白山神社は全国に、数百社あり、特に富士山周辺に白山神社が多く、富士山の本名は、白山岳とも言ったようです。そして現在、富士山の火口を『白山』と呼んでいるようです。
静岡県だけで『白山神社』は58社もあり、山梨県は10件あり、これも朝鮮半島の白山信仰が浸透したと考えられます。富士山に最も近いとされる白山神社は『富士市天間875-1』にあり、これまた朝鮮半島と関わりがあったように思えてなりません。
富士山の白山は、元祖が白頭山の白山から来ているというお話でした。
PS:お時間ある方はお読みください。
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/rennmenn/p002.html
以上
そして瀬戸内海トライアングル
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英昭
p398
私はこの一文を読んではっとした、どうしてか、を書いてみよう。
「日本のいちばん長い日」、すなわち8月14日~15日までの内閣を見るとき、大分県出身の大臣や軍人の多さである。
列記する。
陸軍大臣 阿南惟幾(大分県竹田市出身)、陸軍参謀総長 梅津美治郎(大分県中津市出身)、海軍軍令部総長 豊田副武(大分県杵築市出身)
阿部が語るまでもなく、大分県の国東半島の沿岸部と田布施や曽根は昔から盛んに交流していた。
私は安倍源基の一族も大室寅之佑も、その「家船」の興隆の中から結婚の相手を求めていたのではなかったかと思ったのである。
以上
田布施の方々の婚姻相手は、日本海を越え、朝鮮からも迎えていたのではないでしょうか。
当時の技術であっても、船を操る人たちにとって、瀬戸内海をでて、日本海を横断し半島と行き来するのは、難しかったとは思えません。鎖国時代といいながら、朝鮮の済州島から、伊勢まで海女の出稼ぎに来ていた記録も普通にあるそうです。大名のなかには、密貿易で隠し財産を為した藩もあるでしょう。薩摩、長州は確実にやっているともいます。
ちなみに、遭遇したばかりの言葉のちがう異民族と交渉したり工作員を送り込むとき、時間がかかりますが、混血児をつくることが近道のような気がします。
たとえば、日本に住んでいる女性と、国際金融同盟の工作員との間に生まれた子供であったら、両親の双方の言語を習得できます。そうしてできた子供の子孫が、やたらと、混血児臭い容姿の白洲次郎や、岸信介、佐藤兄弟や、その子孫の阿部ちゃんなのかなと思ったりしました。
しかしながら、田布施と北朝鮮と、今の偽皇室の関係は深そうです。婚姻は主に同種で引き合い成立しますが、天皇家という日本最古にして最高の日本人の家系の嫡男・明仁さんと、旧被差別部落民の正田家の家に貰い子となった朝鮮系ヤクザの落胤の娘・美智子との縁組が成立したこと。
これ以下はないという小室圭と、筆頭宮家の長女との婚約が成立しかけたことが、妙に納得がいくこの頃でした。やはり同種で引き合うんですね。
皇室にはいくつかの派閥があり、
①明治:北朝鮮系田布施閥
大室=偽明治天皇の「宗家」、大正、昭和、明仁天皇、などの田布施系、
②大正:中国「洪門(キリスト教系・フリーメイソンと連携)?」閥
①に②が合流したのかもしれません。
正体不明の朱テイメイ、
一昔前、日本の石屋(フリーメイソン)の代表が皇室関係ときいたことがあります。三笠宮が存命中のことでので、三笠宮かな、と当時は想像していました。
久子を3男の嫁に選んだところを見ると、テイメイの4男三笠宮もこのグループではないでしょうか。
朱貞明=貞明皇后、母方が貞明と遠縁と自称している高円宮久子、ともに中国系と思われます。
➂昭和:CIA西武グループ堤・正田閥
戦後から平成までの正田美智子たち。GHQ,カトリック、CIA,堤家とのつながりが濃厚でした。
「正田美智子」が生んだ男児たち。消えた徳仁1号、2号、
上段:徳仁1号、下段:徳仁2号、
堤康次郎が亡くなってから、文仁親王が誕生しています。
2代目が逮捕され堤家が没落してから、「お許しを得て」秋篠宮家に悠仁さまがご誕生となりました。
関係がありそうです。
➃平成:中国人民解放軍閥
昭和の美智子達のあと、中国工作員の美智子、あるいは、立ち位置をアメリカから中国へ移した『美智子たち』が天下を取りました。
堤家の顔、長耳、ガリ股、猫背の平成以後の正田美智子たち、こちらも複数いますが、、、
➄中国・カトリック閥
311のあと、白髪の宮様御一家が消え去り、代わりに秋篠宮家として登場したのが、この人たち。
秋篠宮家を背乗りしたバチカンと南米にゆかり深い黒髪の宮様一家、
ヘタレの長身の黒髪の宮様と低身長の紀子さん。
釣り目の悠仁様。
中国訛り話す歯並びの悪い紀子さん、
中国訛りの眞子さん、今は行方不明です。創価閥のヒラメ顔の眞子さんに背乗りされてしまいました。
⑥ 平成:北朝鮮・創価閥
皇太子の妻に雅子が決定したあと、正田グループに取って代わった勢力グループ。
小和田家、東宮家・小和田雅子・徳仁・愛子、
愛子の影武者の影子たち、
学習院影子、激ヤセ設定期に登場しました。同級生と思われます。
通称・金影子、メインの影武者です。
北朝鮮のつながりが強そうです。
創価であろう、小室圭、ヒラメ顔の偽真子、創価の巣窟・外務省、宮内庁
①~⑥のそれぞれが、天文学的な資産と、それをもたらす皇室特権の争奪をめぐって死闘を繰り広げているように見えます。
そして、日本派が、、、
⑦カトリック会津閥
故秩父宮妃、協力者としては大山捨松などのクリスチャン。
そして、斜視の宮様、宮様と結婚した会津藩にゆかりのある川嶋紀子さん。
そして、斜視の宮様ご夫妻も、二人の間に生まれた本物の眞子様も、行方がわかりません。
白髪の宮様御一家と垂れ目の悠仁様。
管理人は、白髪の宮様は宮内庁公認のダブルという説を支持します。
そして垂れ目の本物の悠仁様。
御誕生時は吉祥(愛子誕生以来失敗続きだった神事が成功、彩雲、龍の雲、宮様御手植えの蘭プリンセス・キコが開花など)が続出しました。このことから、白髪の宮様は北朝男系宮家の男子であったかもしれず、あるいは、垂れ目の悠仁さまは、男系宮家の男子の種(例えば、東久邇宮が実父といわれている故秩父宮の冷凍精子で作った、など)で作った子である可能性もあります。
こちらの眞子さまは、斜視の宮様の眞子様の公認のダブルではないでしょうか。白髪の宮様の家族写真に、斜視の宮様の眞子様と交互に収まっています。
斜視の宮様の御一家も消息不明。白髪の宮様の御一家も、黒髪の宮様一家とすり替わり、311を後に今は行方不明です。
⑧北朝宮家
戦後皇籍から追放された北朝の宮家。本物の皇統。
日本皇統を守ろうとしていたのが、⑦カトリック系の秩父宮妃の会津閥、そして、皇籍から放逐された⑧北朝の宮家ではないでしょうか。
北朝宮家の中には、キリスト教臭かったり、妙にフリーメイソン臭かったりする人もいますが、、、。
①~⑥の外人+被差別民チームは、放逐していただき、⑦の本物の秋篠宮家の復帰がかなわないのなら、皇室・皇族は、⑧北朝宮家の中から、適正なかたを選抜して再構成していただきたいと思います。