【皇室】戦後あらわれた19人の偽天皇と大室天皇

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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本日もお越しいただきありがとうございます。

鬼塚英明氏は、「幕末、孝明天皇と睦仁親王を暗殺し、明治天皇になり替わったのが大室寅之助である」という明治維新の真相と正体を検証されていましたが、その大室の正体と出自について、

大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。

むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。


「日本のいちばん醜い日」鬼塚英明

 

管理人も、大室をはじめとする田布施部落系の人たち、それに協力した薩長などの大久保や西郷などの下級武士(実際は被差別民)、維新のプランを立てた英国に本拠地があったであろう勢力もふくめ、明治維新というクーデターに参加し企画し実行した中に日本人はいなかったと思います。

 

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日本人と非日本人

基本的に「日本人」にあって「朝鮮人、中国人」にないものは、「恥」と「穢れ」の観念だと思います。

もちろん、人格や思考は、育った環境が大きく影響しますし、住んでいる地域や国、階級などにより、個人差があると思います。

わざわざ言葉にしなくても機能しているほど、「恥」「穢れ」の思想は、日本人の一部になっています。そういう国は日本だけではないでしょうか。

言葉にしないので、外人にはわからないですね。

大室寅之助=明治天皇とタブセ部落系が、日本人ではないとわかる一番大きな理由としては、東京に遷都したこと。

しかも、徳川家の江戸城を「皇居」としたことですね。

江戸城は大きいから、便利だから、という理由もあるでしょうが、天皇が格下の家臣の「おさがり」「お古」をつかうことは普通は絶対にありません。それは「恥」になります。死者を多く出し、敗者の怨恨で「穢れ」た土地をわざわざ選ぶのも変ですね。日本人にあるはずの「穢れ」に通じる「祟り」にたいして恐れがないことがわかります。

 

天皇のお妃がご懐妊し、実家で出産するときも、新しく生まれた親王、内親王の産湯でつかう水は、だれも使ったことがない新しく掘った井戸から汲んだ、最初の水でなければならず、そのためわざわざ井戸をほるのが決まりでした。

仮に「遷都」し、天皇の「御所」を作るとなると、そこは、平安京や平城京のように、真新しい土地でなければならないはずで、ここに結界をはり、風水や遁甲をとりながら建築するのが「常識」だと思います。天皇の住まいは神殿でもあるからです。

その間、「仮御所」として一時的にどこか別の場所に一時的に住まうにせよ、「穢れ」の薄く、社会階級に属さない寺院仏閣が選ばれるのが普通じゃないでしょうか。

とくに、合戦戦闘などで「穢れ」敗者の怨恨が染みついている江戸城に、なぜ、躊躇することなく入ったのか。

そして、明治天皇が千代田遊郭なる遊興施設を作り、天皇が、家臣である西郷などの志士たちとともに「遊ぶ」とういのも変ですね。位の低い人間たちと同じ場所に立ち、同じ女性をまわし合い、、、本物の帝王なら「恥」と考えるでしょう。

また、江戸城ではなく、一時は大阪城が「皇居」の候補として真剣に協議されたこともありました。

大阪城なんてのは、昔から栄えた都会でもあり、京都にも大阪湾にもちかく都会として栄えた便利な土地でしたが、徳川家から派遣されてくる徳川の部下の居住地であり、江戸城よりさらに格がさがります。過去には豊臣家の滅亡の件もあり、その前は、過激な宗教団体の本拠地でもあり、この信徒は信長に大量虐殺されています。

こうした土地、城を「御所」として考慮していることで、「穢れ」の認識の欠落がわかります。

 

大室・田布施は南朝なのか

鬼塚氏の検証の一つに、大室やタブセ部落の人々が南朝かどうか、という件について、

・平家の残党が、被差別になったケースはある。その場合は漁業を営んでいる。

・田布施部落も、大室にもその痕跡がない。

などから、違うだろうと結論付けています。

管理人も、鬼塚氏と同じく、明治天皇=大室を含めた田布施部落の人々は、南朝の末どころか日本人ですらなかったと思います。

おそらくは、朝鮮系部落民の集落の住民が、聞きかじりした南北朝の講談などを耳にして、

「南朝の末だったらいいなあ」「南朝の末なのではないのか」「南朝の末かもしれない」「南朝の末だ」

と、いつものように、檀君神話からはじまる4000年の歴史、慰安婦、軍艦島などの妄想歴史と同じく、朝鮮的飛躍をしながら、妄想から「史実」へ飛躍させたのだと思いますね。

・田布施に戸籍のある安倍ちゃんのお父さんがなくなり火葬にしたあと、のこった骨の骨格が朝鮮人特有のものだった。

・岸信介、佐藤兄弟は、典型的な白人とアジア人の混血の顔といわれている。

田布施は、もともとの朝鮮部落に、朝鮮妓生と西洋人の混血が合流したのだと思います。

 

コメント欄より

全く関係なくてすみません。
羽毛田長官のお写真を眺めてましたら、
誰かに似ているなぁ‥‥と思い、、
「そうだ、相撲の魁皇関に似ている」、
四股名にも“皇”の字が入っているし、、で
何となくの検索結果です。

魁皇関の“皇”は、出身地の福岡県直方市が、南北朝時代
後醍醐天皇の尊良(たかよしorたかなが)親王を迎えた事から、
この地がかつて“皇方(のおがた)”と呼ばれていた事から
四股名に使ったそうです。

(ここまで)

 

気になるのは、「南朝の末」を受け入れたとされる土地、「南朝の末」が住み着いたとされる土地、「南朝の末」と称する人たちが、朝鮮とかかわりの深い土地だったり、朝鮮系とおもわれる人が多いなのが気になりますね。南北朝の舞台は近畿が中心だったと思うのですが、広大な中国地方を飛び越えて、いきなり遠く離れた本州の西の果ての山口県や、さらにとおく鹿児島などに伝承がのこっていたり、天皇を称する人がすんでいるのは不思議です。

 

熊沢・長浜・大室・・・・・・「ニセ天皇」かく語りき(『新潮45』2005年10月号)

http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/664.html

※熊沢天皇 顔が蒋介石に似てますね。皇統の顔ではなさそう。

『三浦天皇こと三浦芳聖(1904~1971)は「南朝第5代」大宝天皇の直系を称していた(ちなみに三浦天皇の系図には分家として熊沢家も出てくる)。
彼は昭和32年『皇居遷都提唱理由書』を衆議院・参議院の全議員に送りつけて以来、宮内庁をはじめとする関係各方面やマスコミに遷都の必要性を訴え続けた。
その根拠となるのは、彼が南朝秘伝に基づいて創始したという「神風串呂(しんぷうかんろ)」だ。

特定の人物や家系にゆかりの場所を直線で結び、その間にある地名を読み解くことでその人物や家系の未来や隠された過去を探る、という早い話が占いである。

三浦によると、京都(旧皇居)と東京(現皇居)の間の神風串呂には皇位を否定したり、物欲を刺激したりする因縁の地名がならんでおり、それが敗戦の原因ともなった。したがって皇室と日本民族のためには遷都こそ憲法改正以上の急務だというのだ。

また、三浦は孝明天皇まで北朝系だった皇室が明治天皇で南朝系に移ったことを神風串呂で知ったという(これは後の大室天皇の主張に通じる)。

以上

 

戦後、自分こそは正当な天皇である、とGHQに名乗りでた人物が19人いたそうです。

もちろん、この中には、北朝宮家、皇別摂家の方はいません。公卿や天皇に近い血筋の女性と婚姻していた元大名もいません。

ずっと地方にすみつづけ、皇統譜に名前がない人たちです。

その多くが、南朝の末を名乗り、皇位継承権があると主張していたのが不思議です。

 

http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/664.html

昭和20年代~30年代初め、「ニセ天皇」は雨後の筍の如く現れ、マスコミを賑わわせた。保阪正康著『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001)にはこの時期の「ニセ天皇」19人の表が掲載されているが、その内訳は次の通りだ。
南朝系・・・・・・13人
安徳天皇の末裔・・・・・・3人
高倉天皇の末裔・・・・・・1人
順徳天皇の末裔・・・・・・1人
霊元天皇の末裔・・・・・・1人
大室天皇など、その表に入っていない「ニセ天皇」もいるが、これだけでも南朝系の圧倒的人気がうかがえる。

 

大室天皇in山口県

山口県に大室天皇を名乗る人物がおり、例の大室寅之助の兄の子孫らしいのですが。

熊沢・長浜・大室・・・・・・「ニセ天皇」かく語りき(『新潮45』2005年10月号)

http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/664.html

『新潮45』2005年10月号から、
「総力特集 明治・大正・昭和 皇室10大事件簿」のうちの一部より引用(引用ページp.56~p.60)

-引用開始-
総力特集 明治・大正・昭和 皇室10大事件簿
熊沢・長浜・大室・・・・・・「ニセ天皇」かく語りき
少なくとも20人以上はいた「自称天皇」たち。彼らはいったい何者だったのか。その主張には幾許かの正当性があったのか。

 

ある「拝謁」

平成元年(1989)11月7日、私は静岡県在住の南朝史研究家に同行して、山口県のとある駅に降り立った。目的地は地元の有名人の家だ。私たちはハイヤーに乗ると、さっそく目的地を告げた。「大室近祐さんのお宅までお願いします」しかし、運転手は首を傾げるばかりだ。その時、私は気づいた。

「すみません、大室天皇の家まで――」かくしてハイヤーは走り出した。
大室天皇の存在が、一部の歴史研究者の間に噂されるようになったのは1980年代初め頃である。いわゆる「ニセ天皇」としてはごく新しいデビュー(?)といえよう。

大室家は南朝の末裔という。大室天皇こと大室近祐(1904~1996)によると、慶応3年(1867)に北朝系の孝明天皇の皇子・睦仁親王が近祐の祖父の兄にあたる大室寅之祐とすりかえられたという。それは長州藩と岩倉具視ら公卿の画策によるものであった。
それが本当なら、明治天皇とは大室寅之祐に他ならず、近祐は明治天皇の弟の孫ということになる。

ハイヤーを下りて、表札を確かめ、玄関に立つ。庭先には「史跡 大室遺跡(弥生時代)」という表示杭が立っていた。
家族の方の取次ぎがあり、やがてがっちりとした体格の老人が私たちを出迎えに現れた。「明治天皇のことですか。まあ、こっちに来てください」
家の離れに建てられたプレハブの倉庫、その中には大量の巻紙が積み上げられていた。

大室天皇はその巻紙の一つを抜くと代の上に広げ、私たちに指し示した。紙面に踊るは「瀬戸内海―エジプトの神セト」「聖母マリア」「十字架の地」といった書き込みだ。彼は上機嫌で語った。
その内容は、大室遺跡は宇宙の中心、あらゆる宗教の発祥地であり、大室家はそれを守る家である、といったものである。いつまでたっても、南朝なり、明治維新の裏面なり、のことは出てこない。

 そこで明治天皇すりかえ説のことに水を向けようとしても、大室天皇曰く、明治天皇がこの家で生まれたことなど、宇宙全体からすれば、ささいなことにすぎないから、というわけで、またも新たな巻紙を広げ、大室家は世界の中枢、といった内容の話を始める。

大室天皇の語り口からは、その純朴さと熱意とが伝わってはきたが、とても歴史の参考にはなりそうもない。
私たちが赴いた頃には、大室天皇「伝承」は、その原形を留めぬまでに大きく成長していたようである。
大室天皇ご逝去の際、膨大な御親筆の巻紙などの遺品はご家族により処分されたという。だが、インターネットの普及とともに明治天皇すりかえ説はウェブ上に広まった。さらにここ数年、大室天皇親族を自称する人物が2ちゃんねる上で天皇宣言をくりかえしており、いまや大室天皇は、ネットの世界でもっとも有名な「ニセ天皇」となっている。

以上

 

こうした「山口の大室天皇」のようなわかりやすい偽物を表に出すことで、知られたくない大室寅之助の史実を煙に巻いているのかもしれませんが。

おもうに、大室天皇を称する方の真実は、大室寅之助の兄の子孫という部分だけではないでしょうか。

そのほかの、充実した偽遺跡づくり「マリア」「十字架の地」「宇宙の中心」など、「慰安婦像」をはじめ、ウリナラファンタジーに通じるものがありそうです。

妄想を史実現実だと周囲に思わせるために、必死でつくられるアリバイ。

慰安婦像の少女はもともとは、米軍の車両にひき殺された中学生のものでした。椅子が二つあり、片方が空席なのは予算の関係で一体しか作れたかったからです。

 

これが、慰安婦像としてつかわれてアイコンになり、拡散されて韓国の国教の一つになりました。

 

話はすこしそれますが、先日、街中で、街宣右翼の街宣カーが走ってました。

ああした街宣右翼の更生員は、朝鮮系の方が多いと聞いています。ネット右翼を車に乗せたような感じの主張を大音声で叫びながら、韓国の文大統領のことを、「ムーン大統領」と発音していました。日本の報道では「文=ムン」と表記し、そう発音します。「ムーン」と正確に発音していたところをみると、生粋の朝鮮の方だったようです。

車のセンスも酷いですね。たいてい街宣車に菊の紋がデザインとしてかかれていますが、日本人の感覚ではありません。

たいてい、街宣右翼は車の上に立ちなにか演説しますが、その場合、車体にかかれた菊の紋が平民の土足の下に位置することになります。反日組織ならわかりますが、右翼を称している場合は不敬になるでしょう。そうなることを想定できる想像力がないというのも非日本的です。

それに、車は追突などの事故の可能性もあり、いずれは廃車になる消耗品です。菊の紋も一緒に消耗され破棄されることになります。車体は傷がつきやすく雨風にさらされて「菊の紋」が「穢れ」ます。なので、普通は車体に描くなどはありえません。

一見、日本人右翼に化けてはいるものの、「ああ、日本人でないんだな」と、見る人が見ればわかるわけです。

日本人に成り済ましている人たちは、こうした言葉にしないけど、みんな知っている共通認識のの中の「穢れ」「恥」が、欠けているのですぐにばれますね。

 

話を偽天皇にもどしますが、日本も歴史が長いし、天皇も120人余いますから、本物の天皇家の落胤とその子孫は結構いると思いますね。普通に、家系図に残っている場合もあるでしょう。

そうした社会的に皇統として認知されないけれど、実際の天皇の子孫の家の方は、敗戦時にどさくさにまぎれて名乗り出し、「皇位継承権を要求」し、「皇籍に復帰させろ」と主張するなどしませんけどね。日本人なら、本物の子孫なら恥ずかしくてできないでしょ。せいぜい、家系の伝承を子孫に伝えるところで、とどめておきますけどね。

戦後、名乗りでた19人の偽天皇はみな非日本人であり、かつ偽物だとおもいます。

 

皇室系の記事を書き始めようと思いますが、そのまえに、伏見砲が炸裂した「保守砲ドカドカ・余命三年時事日記編」を移しきってしまおうと思います。

2016年03月から長く続いたネット間の抗争なので、結構な量になるので数日かかりますが、お楽しみに。

今読みかえすと、余命派も、キャラがたっていて笑えます。

なつかしいなあ。

 

ニセモノが天皇に即位?