※人気ブログランキングに参加しています

【皇室】田布施と閨閥:愛媛・大分・田布施「トライアングル」

Sponsored Link

本日もお越しいただきありがとうございます。

一国をひそかに乗っ取り、国民をだましながら、国の財を盗み続ける。そんな、巨大な陰謀の源流である田布施に触れてみたいと思います。

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

P391

大室寅之佑は田布施町の生まれ。私は2006年10月、この田布施を訪れた。

光町と柳井市に挟まれた寒村の風景がそこにあった。

伊藤博文(林怪我伊藤の本家)

と、「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。

また、宮本顕治(共産党)も一族。

そして、木戸幸一も系図に入ってくる。

京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えてた河上肇も一族である。

そして、大室寅之佑の生家の近くに岸信介一族の生家もある。

この地から代議士の国光吾郎、

※(管理人)このひと、元首相の福田家の人びとに似ていませんか。

難波作之助が出ている。

※難波邸

 

また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。

 

あの終戦内閣の最後の内務大臣安倍源基も大室寅之佑の生家の近くである。

これは偶然でない何かがあるだろう。

以上

 

 

鹿児島にも田布施があった 小泉首相のルーツ

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

P394

鹿児島にも田布施村があった。現在は加世田市金峯町というけれど、ここは昔は田布施村といった。

小泉純一郎の父、小泉純也はこの地の出身である。彼は上京して小泉又二郎の一人娘・芳江と結婚して小泉家の婿養子となって小泉姓を名乗り、義父の地盤を土江代議士となった。小泉純也は朝鮮の姓をもつが、この結婚により日本国籍を得た。

長州の田布施と薩摩の田布施、直近2代の首相が同じ田伏一族の末裔なのだが、これは偶然ではないだろう。

以上

 

 

Sponsored Link



 

 

大室家は南朝の末裔ではない、北朝鮮系の被差別部落民

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

P392

大室家が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りでは何一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。

「週刊朝日」(2006年10月6日号)に「家政婦は見た——-安倍晋三研究」がでた。

”家政婦”として40年あまりを安倍家に仕えた1人の女性・久保ウメさん(80歳)が安倍一族の真実を語った。

その中で安倍晋三の父・晋太郎について次のように語っている。

お棺に入れるときにあの人の骨格、あれはやっぱり日本人のものじゃないと思ったの。肩の幅から下までまっすぐに定規を引いたみたいな。これは完全に韓国の体形。自分で「僕は朝鮮だ、朝鮮だ」といってたけれども、なるほどこれは朝鮮だなと思った。だから、あっちですごくモテてたってよ。彼が元気で、もうちょっと本気で働ける時間があったら「北」の問題もとうに解決していたと思うの。晋太郎さんの死はつくづく国の損だった。

(略)

p397

安倍源基は明治27年2月14日、山口県ク熊毛軍曽根地方に安倍半次郎、美津子の長男として生まれた。

曽根村は前述した田布路木から上の関の方向に進んだところで、人口3000人程度の村落である。

現在は町村合併により、大野村、佐賀村とともに平生町に合併され平生町曽根となっている。

岸、佐藤兄弟の出身地として知られ、また天照皇大神官教(踊る宗教)の中心地としても知られる田布施村(現田布施町)は隣村の一つにあたる。

 

 

 

 

田布施発「天照皇大神官教(踊る宗教)」合同結婚式・人と神が合一するために無我の舞を踊る

田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の開祖「北村サヨ」とは

北村サヨは、1900年の1月1日に当時の山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)の農家の娘に生まれ、北村清之進と結婚して田布施町に嫁いできました。

ある時、田布施の自宅の納屋などが放火に遭ったことがきっかけで、犯人を捜す目的で地元の祈祷師のところへ通ったりするうちに、丑の刻参りやと水行の修行などを実践し、後にその祈祷師から、彼女自身が「生き神になる」と告げられています。

その後、憑依現象を体験し、天照皇大神が自身に降臨したと周囲に話し、田布施で「天照皇大神宮教」を開教しました。

1945年に同じ田布施町出身の岸信介が、A級戦犯被疑者として逮捕され巣鴨プリズンに拘置されたとき、「10年以内に必ず内閣総理大臣になる」と予言し、岸が首相に就任した後、その予言について二人が言葉を交わしています。

昭和43年に北村サヨは孫娘の清和(姫神様)を後継者に定め、死去しています

 

田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」とは

「天照皇大神宮教」の教え(教義)によれば、

宇宙の絶対神は3000年に一度だけ地球に降臨すると説明され、
・一度目は仏教の釈迦、
・二度目はキリスト教のキリスト、そして
・三度目が北村サヨである、と説かれています。

また、天照皇大神宮教では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、人と神が合一する」と説明し、無我の舞を踊るのが特徴となっています。

この無我の舞の踊りから、戦後社会に於いて「踊る宗教」や「踊る神様」として、一定の認識を得て注目され、人々の間に浸透し布教されていきます。

また、天照皇大神宮教では、面識がない男女の間での結婚(天照皇大神宮教の内部では「結魂」という)をすることがあり、一時、社会を賑わせた「統一協会」の合同結婚式との類似性を指摘されることがあります。

※統一教会の合同結婚式

以上

 

踊る神さまって何ですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412089694

正式名を「天照皇大神宮教」

山口県田布施町の農家の主婦、北村サヨさん(1900~1967)が開祖です。
近くに住む。稲荷行者の平井憲竜から教えを受け修行をしました。

1944年
腹中に何かが入ったと自覚し、腹中の神と問答するようになりました。
その神は、「とうびょう(動物霊)」、口の番頭、天照皇大神と次々と入れ替わった。

北村さんは敗戦直後から、神の独り子、救世主であるとして、神国実現を呼びかけました。

1946年
神の国開元の「紀元元年」として、既成の権威、天皇陛下までを罵倒?したそうです。

教義
稲荷信仰、生長の家、日蓮教学の影響があり、強烈な終末観を特徴としているそうです。

人間は堕落して利己主義のウジ虫になっており、このウジ虫の世の中を救い、神の国を建設するために、「天照皇大神」が教祖に天下ったそうです。

北村さんは、
「ウジ虫の乞食よ、目を覚ませ。・・・・お目々さめたら神の国、居眠りしておりょ乞食の世界」
と歌説法をし、ウジ虫も天使に生まれ変わると主張したそうです。

「踊る宗教」と有名になったのは、
1948年東京に進出し、信者さんたちが眼を閉じて、神に救われた喜びをあらわす無我の舞を演じたからです。

現在は、北村サヨさんの孫娘、北村清和さんが教主です。

「日本宗教辞典 講談社学術文庫 村上重良著」
項目「踊る宗教」より、要約しました。

以上

 

確実に件の教団の方が踊っていると断定できる画像や映像が拾えなかったで、どんな舞踊をするのかは不明です。

関係ないですが、こちらは韓国の舞踊。リッパート中韓米国大使が暴漢に襲われ、顔をきりつけられたとき、大使の入院している病院前での、回復祈願の舞の様子。

大変、盛り上がっているのですが、アメリカ側は、こういうことを望んではいなかったと思うんですね。

田布施とは関係ないですが、ギャグでしたね。

・暴漢が会合でリッパート大使に刃物で切りつける。

・救急車がくるも、なぜか、救急車は、暴漢をつれていってしまう。

・リッパートさん、自力で車を呼び病院へ。

・リッパートさんが入院中、病院前で市民が押しかけパフォーマンス。

・韓国側の対応は、謝罪もなく、責任もとらず、今後の対策も提示できず、おどって騒いで忘れてしまう。

・同じころ、駐日大使のキャロライン・ケネディさんは、「ハッピー♡雛祭り♡」と、笑顔で雛祭りのためのツイートをしていました。

話を田布施に戻しますが、、

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

安倍源基と大室寅之佑の生家は田布施川をはさんで、すぐ傍にある。安倍基雄はその事実を隠している。

この関係があればこそ、最後の内務大臣に天皇は最も審理できる安倍源基を任命した。

そして憲兵たちは操られ、8月14日~15日の「日本のいちばん醜い日」の演出が安倍源基の闇の力添えを得てなされたのである。

安倍源基と安倍慎太郎を結びつける系図を私は発見できていない。しかし、大室家と安倍家は確実に結びついているとみている。

安倍源基は微妙な言い回しで出自に触れている。

以上

 

「安倍源基は微妙な言い回しで出自に触れている。」

ザックリまとめると、、、

・安倍晋太郎、安倍能成とは親戚ではない。

・しかし家紋が同じ”立梶の葉”である。

・我が家の言い伝えはともかく、安倍の姓は愛媛、大分に多い。

・毛利に従って山口に来たというよりは、それ以前から根を生やしていた一族で、それが毛利に従ったというのが事実ではないか。

 

 

敗戦直前の内閣人事:昭和天皇は日本人より朝鮮人を信用

外相 東郷茂徳

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

P395

イギリスの外交官ア―ネスト・サトウは幕末に活躍した。

アーネスト・サトウは天皇になる前の大室寅之佑とあっていた可能性が大である。彼は上司のハリー・パークス公使から日本の政情を調べるようにいわれ、鹿児島の苗代川に行く。

ここは、慶長3年(1598年)朝鮮から虜囚として連れてこられた43人の男女が、島平の浜辺に遺棄されたように、維新後、苗代川の住民は、創世記の近代日本のただなかに遺棄された。『東郷茂徳伝記』と同書の「解説」(萩原延とし)に、この間の歴史の闇が詳述されている。

 

いわば270余年のサイクルが回って、この村の人々は、再び島平の浜辺三達、今度はあのとき他郷に連れ去られた同朋と同じように、母国の姓名を捨て、その言語を忘れ、その風俗を改めて、新しく移住してきた土地にどうかしようとする(略)

東郷茂徳は明治15年(1882)12月10日、朴茂徳としてこの苗代川で生まれた。(略)

なお、東郷という姓は鹿児島では特に珍しいものではナウ、朴家が「入籍」した東郷家と、提督東郷平八郎の家とは関係ない。

こうして、5歳7の時から、朴茂徳は東郷茂徳を名乗るようになった。

 

私はどうして終戦時の外相、東郷茂徳をここに登場させたのか。その理由は3つある。

その一つは、あの明治10年(西南戦争があった)のあわただしさの中で、アーネスト・サトウがパークスの命令とハイエ、朝鮮人の被差別部落の調査報告書を作成しているというというところである。サトウは日本の国土の中に朝鮮系の人々が多数いて、差別されているのを見た。

西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。

 

もう一つは、終戦内閣にどうして東郷茂徳が外相として迎えられたのか、というのが2つ目の理由である。

それは、終戦にあたり、昭和天皇が最も信頼できる人物を内閣にいれたことにある。

東郷茂徳は、明治天皇=大室寅之佑と同じ出自をもつと考えられたのではなかったのか。

さらにもう一つ、東郷茂徳を起用した理由がある。それは天皇の財宝を隠蔽する役を東郷茂徳に命じた点にある。

天皇は一番大事なことをするのにおいて、日本人より朝鮮人を信用したといえる。この財宝隠蔽工作は後述する。

以上

 

アーネスト・サトウが、タブセを調べてていたのは、英国流というより国際記入同盟(イルミちゃんや石屋産を含む)の、支配体形にあるのかもしれません。

占領の対象となる国の一番最下層の被差別民(欧米ではユダヤ人)を使い、資金や武器を援助し、プランを与えて内部からの革命を起こしたあとは代理人として権力を握らせる。そして脅迫しながら支配する。

最下層にいる被差別民だと、その国や国民に対する慈愛もなにもないですから、裏切ることも、どんな残虐な指令をうけても実行できます。

アーネスト・サトウは、最下層にいる人間がだれかを調べ、工作員として使う人選に入ってたんでしょうね。

管理人は、人選にかなった人物たちが、鎖国中の日本を抜け出し、ひそかに渡英し英国王や国際金融同盟(イルミちゃんや石屋さんを含む)たちと会談し、忠誠を誓い、契約を交わしたこともあり得ると思っています。

 

「西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。」

朝鮮系被差別民が、ニセ天皇を戴き、皇室の権威と新国家の軍隊をつかって、復讐したという見方ができますね。

 

愛媛・山口・大分 瀬戸内海「田布施」トライアングル

p398

私はこの一文を読んではっとした、どうしてか、を書いてみよう。

「日本のいちばん長い日」、すなわち8月14日~15日までの内閣を見るとき、大分県出身の大臣や軍人の多さである。

列記する。

陸軍大臣 阿南惟幾

大分県竹田市出身

 

陸軍参謀総長 梅津美治郎

大分県中津市出身

 

海軍軍令部総長 豊田副武

大分県杵築市出身

阿部が語るまでもなく、大分県の国東半島の沿岸部と田布施や曽根は昔から盛んに交流していた。

私は安倍源基の一族も大室寅之佑も、その「家船」の興隆の中から結婚の相手を求めていたのではなかったかと思ったのである。

 

重光葵(東久邇宮内閣外相)

同じ国東半島の安岐町出身。

 

南次郎元帥

同じ国東半島ん日出町出身。

これも単なる偶然ではない気がする。

中略

内閣総合計画局長官 明永月三

大分県中津市出身(梅津と同じ)

秋永の後任の池田純久は宇佐市出身。

宇佐市も中津市も、瀬戸内海に面している。

 

この大分閥の存在を近衛文麿元首相は危惧していたのである。

この面からも、タブセに生まれた明治天皇の姿を見ることができるだろう。

上記のトライアングルに、西武・堤家や、白洲次郎の白洲家などのルーツである北朝鮮、長崎などの長崎の出島や、上海、香港などの白人工作員が拠点としてた港も入れたいですね。こういう土地で白人と中国人、あるいは、朝鮮系との混血児が多く生まれたんでしょう。

地図で見ると、西側の瀬戸内海は、本当に朝鮮と近いですね。

管理人は、安保法案を自らの首をかけて通した岸信介さんは国士だと思っています。孫の安倍ちゃんもそうだと思いたい。

岸信介、佐藤栄作兄弟の顔は、典型的なアジア人と白人の混血児の顔だとの指摘もあります。鼻の形からみてユダヤ系ではないかという方もいます。

たしかに安倍ちゃんの家系は、背も高いですし、顔立ちも濃いですね。

大室寅之佑=偽明治天皇も大柄でしたし、もしかしたら、大室も混血児の可能性があると思います。だからこそ、「天皇」に選ばれたんじゃないでしょうか。

 

追記

コメント欄より

管理人様、大変興味深い記事ありがとうございます。
そう言えば、成田空港で死体で見つかったグリーンのワンピースの女性も愛媛出身の女性と報道されていました。
このトライアングルは深堀すれば何かありますね。

以上

 

白人の血が入っていると思われる工作員

白洲次郎、

この次郎さん(ですよね?)、もろ外人なんですけど(笑)

苗字の白洲の「白」は朝鮮由来であるとか、、、。

 

そして正田富美、別名上海夫人、大陸夫人。

皮膚の白さ、ハーフっぽい顔立ちに加え、日本男性の平均身長が160センチほどだったころに、170センチ近い長身の富美。富美が生んだ3人の実子(長男、次男、次女)もまたいずれも長身です。低身長なのは堤康次郎の落胤である長女だけ。ほかにも、さがせばボロボロ出てきそうです。

 

正田富美、美智子は昭和天皇と、激しく対立していました。

昭和天皇に毒物を盛り、暗殺したのは美智子ではないのかとも言われているくらいです。

今までは、敗戦にまぎれて皇室に乗り込んできた工作員美智子と、伝統と皇室を守らんとする昭和天皇との死闘として捉えていましたが、もしかしたら、同じような立ち位置の同じような場所から来た同じような種類の人間同士の、派閥争いのようなものだったのかもしれません。

富美は旧姓副島といい、佐賀県の出身とされていますが、今一つ不明です。佐賀の士族の副島家に「戸籍を売ってくれ」と交渉にきたというエピソードが、伏見氏のブログのコメ欄にリークされていました。

ただ、佐賀藩士の副島という名前を知っていたということは、戸籍上の父親か、あるいは富美自身が佐賀県に居住していた可能性があります。

しかし、旧藩主の姫に向かって、「あちら」呼ばわりして罵倒する富美、皇室に対する不敬、土足での上海疎開風の生活、など、その言動から見て日本人では無さげです。あれだけの美人で名家の女性なのに、女学生の頃の写真が一切出てきません。

 

【皇室】正田富美の美容院、美智子の美容院

一時期富美が通っていた美容院の関係で、上海にいたのは間違いなさげなのですが、例えば金髪に染めて、現地では高級コールガールか、女優か、歌手か、そういう仕事をしていたのではないでしょうか。

実父とされる副島も、上海の主だった要人の中に名前がないのが気になります。実在したのでしょうか。

 

明治天皇の生母の中山慶子の墓に詣でない皇族たち

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英明

P402

明治天皇の生母・中山慶子の墓が豊島ヶ岡墓所(東京・文京区)にある。ここには、彼女の父の中山忠能の墓もある。現在の中山一族の長は中山重啓である。

私はあるルートを通じて、中山重啓の情報を入手した。明治天皇の母の墓を、明治天皇はじめ、現在にいたる皇族たちの一人としてお参りしていない事実を知った。

中山重啓は高齢だといわれている。彼の執事は「御生母にかんしては箝口令がしかれていますので、一切お答えできません」の一点張りであった、と私の知人は私に伝えてくれた。

私は明治天皇が、生母といわれる中山慶子と会っていたのかを調べた。しかし、外国人の書いた本の中に一回あっているらしい場面をみつけたが、どうも疑わしい。

私は確信した。明治天皇は孝明天皇の息子ではなく、間違いなく、山口県熊毛軍田布施村麻豪郷の出身であった、と。

この人間関係の冷たさが——–たて生母でなくてもいいではないか。会えばいいではないか——日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へ突き進ませたと思えてならないのである。

 昭和天皇も今上天皇も、そのほか皇族たちも、自分たちが孝明天皇の子の睦仁の血統につながらない、山口県熊毛郡田布施村麻郷での特殊被差別部落出身者・大室寅之佑の一族であることをはっきり認識していることの証にならないのか。

もし、孝明天皇の子孫と認識するなら、明治天皇の生母の中山慶子の墓を粗末にすることはないだろう。

以上

 

いろいろと見たくないものが暴かれてきますね。

 

我を、なでるべし

Funny animal gifs - part 254, best animal gif, funniest animal gif

 

◆人気ブログランキングに参加しています


人気ブログランキング
Sponsored Link

新着エントリー

お願い

コメント欄にいただいたコメントは、記事に転載させていただくこともありますので、ご了承ください。非公開、転載不可の場合はあらかじめ、その旨お伝えください。

※メールアドレス欄は無記入でもコメントができる設定になっております。

16 件のコメント

  • 新しい記事の投稿ありがとうございます。
    記事中の、「管理人は、人選にかなった人物たちが、鎖国中の日本を抜け出し、ひそかに渡英し英国王や国際金融同盟(イルミちゃんや石屋さんを含む)たちと会談し、忠誠を誓い、契約を交わしたこともあり得ると思っています。」に関連するものを以前、幕末ー明治維新を調べていた時に、ヤフーの知恵袋にあったもので恐縮ですが転載させてください。

    『明治維新は英国が計画、立案、実行したものである。 東インド会社の日本代理人グラバーは武器を諸藩に売るために自由港の開設を幕府に求めた。 その意図を見抜いた幕府は貿易港の設置を諸藩に禁じた。  グラバーは薩長土肥の若者を英国に密航、留学させ議会制民主主義に基ずく中央集権国家の設立に洗脳した。 表では尊王攘夷を詠いながら裏では開国、文明開化にかじ取りを切っていた。  幕府も仏、蘭に留学生を送っており彼らはパリで密会して英国の力を使っての討幕を討議している。 龍馬は土佐の脱藩郷士で土佐藩の江戸スパイであった。  長崎でグラバーの知己を得て亀山社中を作り武器商人となる。  彼の船中8策はアーネスト・サトウの英国策論と同一である。 武器貿易で薩長と親密になった龍馬は犬猿の中の薩長に盟約を結ばせる。 勝海舟とも親しい龍馬は幕府との無血革命に努力する。 著者は武力革命派がこの無血革命に激怒して龍馬を切ったと推論する。  グラバーには龍馬は都合が悪くなればいつでも切れる使い捨ての駒、英国諜報部員だったのである。』

    ということはやはり尊王攘夷 佐幕派で箱館戦争で賊軍となった旧幕府軍が日本人として正しかったのだろうと思うと悔しさで一杯になりました。

    しかし、なぜ支配層はそこまでして日本を陥したいのでしょうか。
    ここまで綿密に時間をかけた計画でも、その当時の支配層の人間だって病気や寿命で亡くなっていきますよね。
    自分たちの家系が富と名誉で安泰であるためなのですか?
    世界統一のために、賢く道徳観の高い日本人が邪魔だという事?
    それとも、日本は本当の神の国、だからですか。

    本物の天皇が1日も早く即位される日が来ますように。
    毎日祈っています。

    • >本物の天皇が1日も早く即位される日が来ますように。

      全く同感です。
      そもそも、革命なんて、歴史も社会も更地にしたいと思っている人しかやらないことですね。
      明治維新は、最下層から来た人によるテロ、革命でしたが、そのほとんどが、因果法則をもって、時間がたてば元の階層に戻る気がします。
      そうあってほしいです。

  • お疲れ様です。

    今の日本の成り立ちが明らかになるにつれ、嘆息ばかりです。
    政治・国体・軍事をついつい感情移入して考えがちになりますが、
    冷静に一歩引いて全体を観る癖をつけないと疲れますね。
    私は、日本は科学分野以外は、古来日本を固持し続けていきたいなーと。
    それだけでいいのになー。と思う次第です。

  • 管理人様、大変興味深い記事ありがとうございます。
    そう言えば、成田空港で死体で見つかったグリーンのワンピースの女性も愛媛出身の女性と報道されていました。
    このトライアングルは深堀すれば何かありますね。

    • ありがとうございます。追記で転載させていただきました。
      愛媛出身の女性は、長年、眞子様のダブルを務めていたアヒル口の方かもしれませんね。
      年齢もあいますし、推測どおりなら恐ろしいことです。

  • こんばんは、いつもブログ拝見させていただいてます。
    明日は2.26ですね。この青年将校達のクーデターに昭和天皇が激怒した、というのがよくわからなくて、いろいろググっていましたら、あるコメントに
    「昭和天皇の生母が秩父宮を即位させようとしたができず、青年将校達が秩父宮擁立を企てたことに激怒した」とあり、なんだか納得してしまいました。
    コメントの続きには「昭和天皇はこの一件で身の危険を感じ、米軍に御身をお守りする役割を頼み、また2.26のような反乱再発を防ぐために宮家を廃止した」とあって、数年前の自分だったら到底信じなかったことですが、今はでれでれ草様のブログのおかげもあってストンと腑に落ちました。
    でも虚しさが溢れてくるというか、溜息が出ます。

    • >「昭和天皇の生母が秩父宮を即位させようとしたができず、青年将校達が秩父宮擁立を企てたことに激怒した」

      これが真相みたいですね。
      秩父宮の実父は宮家の人らしく、宮なりに皇統を戻すつもりだったのかといえば、どうもそうでもなく、秩父宮は、クーデター後は天皇制を廃止し、いったん自分は大統領のようなものになる、つもりだと語っていたとか。
      それも困りますね。
      226も、騙された将校たちが哀れでなりません。恨んでやるといって死んでいった人もいるらしく、、、維新後、怨霊が増えましたね。

  • 26日は麻布のお寺で2.26の法要が有ります。

    まきやすとも政経調査会のサイトに載っています。

    去年は参加したときに遺族の方いました。

    渋谷公会堂とNHKを挟む通りの坂の途中にも2.26事件の墓碑が有りますが、花を手向ける人がいるようですし、2.26事件を忘れてはいけませんね。

  • 鬼塚氏の本、ネット情報ばかりで、実際本は読んでいませんでした。
    大分県出身閥が載っていたのですね。
    確かに、多いなぁ‥とは思ってました。
    しかし、中には所縁や本籍だけで、生まれや出身学校が大分では無い方もいるから、気のせいか、、で済ませてました。

    問題はその親世代なのでしょうが、情報はかなり少ないです。

    かつて、
    徳川家康はこの様な考えで、諸藩を分けたようです。
    http://tadaakifujimaru.com/2016/05/01/post-900/
    (参照。)
    【「戦国時代に英雄を輩出した地域には英雄を輩出する地域性がある」。
    これを厳密に家康がいったかはわかりません。
    しかし、有力な戦国大名の輩出地域には細やかな配置をしています。
    家康は地域を分割統治させることで力が一つになることを防ぎました。
    例として何ヵ国か提示します。

    ・豊後国の場合
    大分県の大部分になる豊後国は戦国大名大友宗麟を輩出しました。
    大友宗麟は全盛期、九州6か国を領有しました。
    有力大名を輩出したということでかなり細分化した分割統治を行っています。
    おおよそ10の藩に分割しました。

    ・織美濃国の場合
    美濃(岐阜南部)は斎藤道三を輩出し織田信長の功業の中心地になりました。
    美濃国だけで17の藩に分割しました。

    ・越後国の場合
    上杉謙信を輩出した越後(新潟)は15の藩に分割しました。

    そして、信長・秀吉を輩出した尾張国(愛知県西部)には一門の尾張徳川家を置きます。】
    (中略)
    【さて、その分割統治政策が今に残る姿を紹介します。
    例えば、大分県は10以上の分割統治が進んだ地域です。
    県民性の本を読むと、隣町と同郷意識がないなど書かれていることがあります。
    これは徳川家康の考えた豊後を一つにさせないという方針の名残でしょうか。
    一方で、大分の町並みの美しさは言葉に表せません。
    杵築・日出・佐伯・臼杵・竹田・日田。
    歩くたびにその風情や落ち着きに日本の素晴らしさを感じます。
    特に杵築の町は格別にそう思える素敵な空間がありました。】
    (参照終わり。)

    大分(豊後国)は小さい城下町が多く、確かに同郷意識もコンパクトで、、平成の大合併からの不協和音は、まだまだ時間がかかる感じがします。
    さて、私の知る限りの範囲だけ、書かせてもらいます。
    豊後国は阿蘇の溶岩大地の上にありますから、山がちで(ところどころは中国の山水画の風景です。)、
    平野部が大分市の周囲と宇佐の周囲くらいと思います。
    徳川家康の政策のせいか、はわかりませんが、
    それぞれが閉鎖的な性質です。
    それは、水利工事をこっそり行い、山間部を開墾して
    幕府には内緒で領地の石高を徐々に上げていたせいであるかもしれません。
    以前、コメント欄に貼らせてもらいましたが、藩主ぐるみで、キリスト教をかくまっていた形跡のある地域もあります。
    また、沿岸部は、豊富な漁場ですが、豊後水道は潮の流れ早く、
    船で漁をするのも、アワビ・サザエなどの潜水漁をするのも、体力がいったと思います。
    これは長崎県対馬で聞いた話ですが、、ウエットスーツができてから男性も潜水漁をしてるけれど、昔は、体脂肪の関係と思いますが、長い時間海に潜れるからと、女性がアワビ漁をさせられていました。
    地元の女性も海女さんしてましたが、朝鮮人女性も雇って海女漁をしていたそうです。
    深く深く潜っては、白眼を向いて水面に上がって来る。
    しかし、雇い主(船主)は、時間が来るまで潜らせ続けるので、大変な仕事だった‥との事でした。
    漁も、網をあげたり、干し物など水産加工で人手がいるので、浜(漁師集落)は、昔から流れ者が住み着きやすかったと思います。
    九州北部沿岸や、この半島に近い側の瀬戸内海沿岸では、
    そう言う形で流れて来て住み着いた半島人・中国人がいました。
    そうですね、、例えば、大分県南部の漁村出身で、
    小泉チルドレンの井脇ノブ子氏。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E8%84%87%E3%83%8E%E3%83%96%E5%AD%90

    学校法人国際海洋学園を静岡県に設立されましたが、
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%B3%95%E4%BA%BA%E5%8D%97%E9%99%B5%E5%AD%A6%E5%9C%92
    ここに、様々なトラブルが列記されてます。
    特に注目は、(以下参照。↓)

    【劣悪な寮生活
    国際開洋第一高等学校は全寮制の高等学校だが、寮では朝食は飯と味噌汁に肉団子2つのみ、昼食は食パンとジャムのみ、といったメニューが続き、「食事の質も最悪」[12]と指摘されている。OBの保護者の証言によると、惨状を見かねた父母らが人数分の食材を定期的に送ったこともあったが、その食材が食卓に上ることはほとんどなかったという[11]。さらに、OBの証言によれば、ボイラーが壊れたまま放置されていたため、生徒は水のシャワーや水風呂を利用していたという[12]。井脇の事務所は「一方的な意見だけで、もっと客観的に冷静にご判断いただけたら幸いに存じます」[11]と反論している。】
    (以上、参照終わり。)
    決して、大分県出身者が皆こんな風なのではありません。
    けれど、井脇氏は、どうも感覚がアチラ風です。

    正直、日教組や公務員組合も強いです。
    「在日問題」は無いのですが、
    徳川家康の政策で、豊後国内で富の集中が為されず、
    小規模経営の藩ばかりでしたから、正直、平等に貧しい地域(苦笑)なので、そこの地域に溶け込んでいったと思っています。
    先に参照させていただいたブログで、魅力的な城下町が残っているのは確かですが、発展しなかったとも言えます。
    他地域に比べて、石橋アーチ橋が多いのも特徴です。
    職人集団がいたらしいのですが、昭和初期を最後に、忽然といなくなりました。(石工集団のメーソンと関係あるのかはわかりません。)
    明治近代化で、洋風建築もたくさん建てられました。
    現在は老朽化で取り壊されたものが多いのですが、
    私の記憶では、神戸他で見るような洒落た木造洋館よりも、
    今思い出すと、重たく暗い雰囲気の洋館が多く、
    言えば“修道院”を連想させる建物が多かった気がします。
    確かに、朝鮮人集落と、カトリックと、ダブルで疑惑はいっぱいあります。

    愛媛県は行った事が無いのですが、
    同じ方のブログから参照させていただくと、
    http://tadaakifujimaru.com/2016/04/24/post-874/
    【過去の某歴史ゲームには、地域により兵隊の強弱を数値化しているものがありました。
    そのゲームでは普通の地域の士気は50、強いと呼ばれる地域の士気は100となっていました。
    参考にその数値を紹介します。(旧分国で紹介します)
    士気 100 ・・・・ 薩摩・大隅
    士気  90 ・・・・ 蝦夷(青森) 北信濃 越後 肥後 土佐 
    ちなみに近畿では丹波と北近江が最も士気が高く70 奈良は60です。
    ゲーム上では、例えば土佐(高知)が士気90で隣の伊予(愛媛)は50なんですね。】
    関ケ原での小早川氏の裏切り、武力よりも陰謀でのし上がった毛利氏、、兵力が団結しない伊予国、
    多分、日和見的だったんだと思います。
    半島人には住みやすかったのかもしれません。

    筑紫哲也氏は、明治の作曲家で大分県に所縁のある、
    滝廉太郎の妹の孫でした。
    滝廉太郎は23歳で早世した悲劇の作曲家ですが、
    父親は大分県日出藩の家老、のちに岡藩(キリシタンを匿っていた藩)の家老、明治になり官僚となり、大久保利通や伊藤博文が内務大臣時代に仕えたそうです。
    滝廉太郎は、21歳の時、キリスト教に改宗しています。
    滝廉太郎は、肺病で日本に戻り、大分市の両親の元で死去します。
    滝家の菩提寺は国東半島付け根の日出町にありますが、
    両親は、その菩提寺に弔わず、
    世話になったから、と(長男を)大分市の知り合いの住職の寺に遺骨を納めました。
    21世紀になって、子孫が日出町の菩提寺に遺骨を納めなおしてました。
    本当は、どこかからの貰い子だったかもしれません。

    別府市には、ずいぶん早い時期から孤児院がありました。

    皇室の側近には、似たもの同士が集っていたかもしれません。
    親和性があったのだと思います。

    明治天皇の大逆事件での和歌、
    『罪あらば われを咎(とが)めよ 天つ神 民はあが身の 生みし子なれば』

    罪あらば われを咎(とが)めよ 天つ神 ‥‥‥
    とてもクリスチャン的発想なお歌に、違和感もってました。

    明治天皇は、和服が嫌いで、軍服や洋服ばかり着ていたとの事です。
    お風呂に入る儀式が面倒で、お風呂嫌いになったそうです。
    今さらですが、、皇統ではないですね。

    もうひとつ、明治からの、天皇家の蓄財上手ですが、
    当たり前ですが、ご指南役はいたはずです。

    先日過去コメントに追記しました、福岡の西日本シティ銀行
    (福岡相互銀行:のちに福岡シティ銀行と、西日本相互銀行:のちに西日本銀行、両社の合併銀行)の
    四島頭取を調べてましたら、、
    いろいろと出てきました。
    相互銀行がかつては「無尽(昔の無尽講)」と言われていた事、創業者一家の四島氏の使命と、四島氏が変えた日本の銀行形態。
    もう、長くなりますので、ここでは書きませんけれど。

    現在の山口県周南市近くに、回天の基地があり、
    大分県宇佐市にも飛行訓練場、回天訓練場跡(こちらは豊後高田市だったかも)、
    鹿児島には特攻基地、
    元勲や、軍閥の方達は、自分の出身地がお嫌いだったかもしれません。

    • ありがとうございます。

      明治天皇の大逆事件での和歌、
      『罪あらば われを咎(とが)めよ 天つ神 民はあが身の 生みし子なれば』

      これ、キリスト教っぽいですね。大室が歌が読めたとは思ってないので、側近が代作したのだとおもってるのですが、キリスト教に改宗した側近が呼んだのかもしれませんね。

      >明治天皇は、和服が嫌いで、軍服や洋服ばかり着ていたとの事です。お風呂に入る儀式が面倒で、お風呂嫌いになったそうです。

      昭和天皇もそうでしたね。おそらくは、クエーカー教徒のみなりでとおしたテイメイもそうだったかもしれません。

      明治帝も、テイメイも、皇統、公卿、大名、士族、はもとより、日本人じゃないですね。

  • 韓国のプロ野球球団が、
    初めてシーズン前の海外キャンプに選んだのは
    大分県沿岸部でした。 
    確か2球団は来ていたと思います。

    それと、検索しても出て来ないので、うろ覚えですが、
    1980年代か、1990年始めくらい、
    別府温泉の杉の井ホテルのお嬢さんが、
    山口県の政治家一家の方と結婚されました。
    お相手が、、、忘れてしまったので検索していたのですが。。
    「あら、あの有名な政治家のお家に‥‥」
    と思った記憶があるので、佐藤家か岸家か安部家か、
    どれかと思います。
    杉の井ホテルは後日、創業者一家から経営は他の方になってますが。
    かつての従業員さんからの話を漏れ聞きますと、
    私の中ではアチラ系と思ってます。

    • ありがとうございます。
      朝鮮系は朝鮮系どうしでないと親が許可しないと聞いています。
      やはり、同族どうしで縁組をするんですね。
      安倍ちゃんの奥さんのアキエちゃんの実家の森永製菓ももしかして、そうかもしれませんね。
      だからといって、別に問題はないのですが。

  • 愛媛と朝鮮系といえば、石原慎太郎が(表では神戸出身ということになっていますが)八幡浜出身の在日朝鮮人とのことです。石原慎太郎と長年、付き合いの深かった朝堂院大覚氏の近年のyoutubeでの話です。

    (ということは石原裕次郎も愛媛の在日ということになりますね。芸能界は在日系が仕切っていると言われますが、裕次郎も例外ではなかったわけです)

    ちなみに朝堂院氏本人はその言行から在日〜部落〜親中親韓の人物なのは明らかなので、内輪からの情報開示として信用できると思います。

    同じく大阪出身の朝堂院氏の話として、安倍昭恵の実家の森永も、ロッテ、カバヤ、グリコもみな大阪の朝鮮部落とのことです。

    • 石原兄弟と、今の小泉家とは親戚みたいですね。
      朝鮮系は朝鮮系同士でしか婚姻しませんので、推測通りだと思います。

      >安倍昭恵の実家の森永も、ロッテ、カバヤ、グリコもみな大阪の朝鮮部落とのことです。

      アキエちゃんの行動を見ていると、そうかもしれませんね。
      だから製菓会社は、グルタミン酸ナトリウム=調味料アミノ酸、みたいな毒物を商品に混入することができるんでしょうかね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。