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皇室|紀宮(黒田)清子さまの謎

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本日もお越しいただきありがとうございます。

コメント欄より

サーヤさん、子ども時代はへの字口だったと思うのです。

大人になったら突然口角の上がった人になっていて、ずいぶん印象が変わったと感じたのを思い出しました。

皇族だから人前に出るため訓練を受けたのね、と納得していましたが、いま思うとどうなんでしょう。

以上

ありがとうございました。

 

大掛かりに顔をいじったりする方も多いと思いますが、基本的に、人間は、子供のころの顔と成人後の顔に連続性があるのが普通です。

子役と現在

https://matome.naver.jp/odai/2133483822091293401 より

連続性がありますよね。

 

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紀宮清子さまを、おおざっぱに分けてみました。同じ人かもしれませんし、探せばほかにも出てくる可能性があります。そのつど訂正します。

①台形方の輪郭の紀宮清子さま。

こうしてみると、えらの張り方が、皇太子じだいの明仁さんに似ているように見えます。下膨れで、下がり眉、顔のパーツが真ん中に寄ってますね。成人すれば、本物の高円宮絢子さんのように、下膨れのお嬢さんになったと思うんですが、、

輪郭が、口の端に向けて、広がっています。向かて右の頬というか、エラがはってます。

頬骨は張ってませんね。口の端に向かって広がっています。

 

一瞬、伊勢の斎宮になった方とは連続性があるようにも見えましたが、眉毛が違うかな、、、。

 

ご成婚した丸顔のご成婚した方と連続性があるかといえば、、、あれ?

 

加齢したり、肥満しても、面影はやはりあります。

 

同じ人かなあ、、、。

 

②丸顔のご成婚した清子さま

左の伊勢斎宮になったかたはそうではないのですが、右のご成婚した方は、左右で目の高さや大きさが違うんですね。

 

➃眼が細く長い清子さま

③のひととは、たぶん違うんじゃないかな、、と。

明仁さんも複数いるようですが、➃の眼の細い方は、(血縁関係があるかどうかは不明ですが)この、エビス顔の明仁さんに雰囲気がにてますね。普通の人っぽいです。

 

⑤伊勢斎宮になった清子さま

 

ちなみに、1953年の明仁さん、

左右で目の高さが極端に違い、かつ、顔が歪んでいます。こういう人、最近、見かけませんね。

変った耳をしています。

眞子さま、佳子さま、愛子さん、三笠宮家の2人の女王など、究極の公人たる皇族が、成年会見をする前に、別人に替わってますが、オリジナルはどうしたんでしょうね。闇の世界に消えてしまったのでしょうか。

日本国民が見守り続ける聖なる家族が、かなり若いうちに、別の人に替わる理由が知りたいですね。

 

 

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4 件のコメント

  • でれでれ様、連日の更新お疲れ様です。

    清子様を取り上げて下さりありがとうございます。
    実は、伊勢斎宮になられた時と着物を着て出られた清子様を見た時に、清子様じゃないように感じたんです。
    私は清子様と同じ歳なので、確かに一気に老ける歳であるのはわかっていますが、輪郭があまりにも下膨れだし、しかも鼻も目も似てるけど違うし、何よりオーラを感じませんでした。
    でも、まさか清子様にダブルがいるはずないと思っていたので、降嫁されてお歳を取られたからと納得させていたのですが、子供の頃の顔を見て確信しました。
    全然、連続性がない!
    ご指摘の通り、子供時代の清子様は下膨れのへの字口ですよね。
    私は比較的、子供時分から見ると顔が変わった方ではあると思っていますが、口角は変わりません。
    私もへの字口で、それが嫌で色々努力しましたが、まっすぐが限界です。
    口の筋肉が硬いのだと思うます。
    でも、大きくなられた清子様は綺麗に口角が上がっておいでです。
    私感ですが、子供時代とご成婚された清子様は別人の可能性があると思っています。
    そして、ここ数年出てくる、やたらおばさんめいた清子様はまた別の方だと思っています。
    最近、ご成婚された清子様をお見かけしないような?見る機会が少ないからそう思うだけ?
    本物の清子様はどうなさっているんでしょう?
    というか、ご成婚された気品溢れる清子様は誰だったんでしょう。とても下々の者とは思えませんが…

  • 平野神社がコメント欄にありましたので。。
    平野神社は、秋篠氏等の土師氏系ゆかりの神社です。
    また、
    【祭神のうち主神の今木神は、元々は高野新笠(桓武天皇生母=百済系)の祖神として大和国において祀られた神】
    とWikipediaにあるように、百済系の神の説もあります。

    6月くらいでしたか、
    秋篠宮殿下の由来である秋篠寺がかつて密教の寺で、
    秋篠寺にある大元帥明王に関してコメントさせていただきました。
    秋篠寺のWikipediaより参照。
    【木造大元帥明王立像 – 鎌倉時代。本堂西側の大元堂に安置。大元帥明王の彫像として稀有の作。6本の手をもち、体じゅうに蛇が巻き付いた忿怒像で、秋篠寺が真言密教寺院であった時代の作である。秘仏で、5月5日の護摩法要と6月6日の結縁開扉の時に開扉されるが、一般の拝観が可能なのは6月6日のみである。】
    “躰中に蛇”  “6月6日が結縁”  
    大元帥明王にバアル神の香りがして、、のコメントでした。

    元々のインドでは悪鬼でしたが、
    日本では善神になったと解釈されてます。

    「大元帥明王」のWikipediaより
    【大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。 】

    秋篠氏は、土師氏の系列。
    古墳等の葬送儀式、要は穢れ事担当なのに、
    何故その名前の由来を持つ秋篠寺から『秋篠宮』にしたのか??
    そして、密教寺としては、怪しい明王の秘技があるらしい、、
    と疑問に思い、もしかして殿下は皇統ではないのかも‥‥
    と言う主旨のコメントをしてたと思います。
    でれでれ草様にも、お返事を書き辛い内容だったと思います。その節は申し訳ありませんでした。

    密教の本質がミトラか、バアル神信仰に近いような気はまだしておりますが。。。

    「スキタイ」のWikipediaより古代の埋葬文化参照。
    【遺体を墓の中の畳の床に安置し、その両側に槍をつき立てて上に木をわたし、むしろをかぶせる。墓中の広く空いている部分には故王の妾を一人絞殺して陪葬し、酌小姓,料理番、馬丁、侍従、取次役、馬も陪葬し、副葬品として万般の品々から選び出した一部と、黄金の盃を一緒に埋める。その後は全員で巨大な塚を盛り上げるが、なるべく大きな塚にしようとわれがちに懸命になって築く。一年後、今度は故王の最も親しく仕えた者50人、最も優良な馬50頭を絞殺して内臓を取り除き、中にもみ殻を詰めて縫い合わせる。その死体たちを杭で固定して騎乗の状態にさせ、王墓の周りに配置する。以上が王の葬式である。】

    始皇帝陵の兵馬俑から想像するに、
    かつては実際に生きている人や馬を陪葬していたと思われます。
    古代の日本も、、例えば卑弥呼の葬儀の時は陪葬があったとあります。

    土師氏は、この不幸な、生産的でない連鎖を断ち切り、
    「埴輪での陪葬」 を発明しました。

    王が亡くなる度に、無意味な多数の死が伴っていたのを、
    埴輪と言う形代(かたしろ)で霊を慰める事を認めさせた、
    そう考えると、とてもすごい事をされた一族だ‥‥
    と思い直しました。

    もしかすると、殿下は、何がしかの形代(かたしろ)となる事を覚悟されていたか、

    或いは、負のパワーを、何かの形代(かたしろ)に封じ込めるお役目だったのではないかしら‥‥と。

    戦前の皇族方のお写真(絵かもしれませんが)をひとつずつ丁寧に眺めてますと、
    斜視と思われる方が結構いらっしゃるのですね。
    雰囲気がそっくりな山階宮系は元をただせば伏見宮系。
    伏見宮系列の東伏見宮、北白川宮、、にも斜視の方を何人か見つけて、

    斜視の宮様、白髪の宮様は、皇統のお血筋であったのだろうと、、改めて思いました。

    (以前平野神社に引っかかったのは、
     牛頸=うしくび と言う地名だった場所に、古くからあった神社が、平野神社だったので。
    やはり、大陸系の神社なのかな?と )

  • 大元帥明王の秘儀、
    『大元帥法』

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%85%83%E5%B8%A5%E6%B3%95

    大元帥明王を本尊として、怨敵・逆臣の調伏、国家安泰を祈って修される法で、承和6年(839年)常暁が唐から法琳寺に伝えた。(中略)

    必要な備品などは常暁ゆかりの大和国秋篠寺が調達するものとされていた。(中略)

    江戸時代に入ると、再び宮中の小御所での大元帥法が復活して明治維新まで開かれた。明治以降は宮中での大元帥法が断絶する一方で民間においてそれに代わる儀礼の実施が見られるようになり(中略)

    宮中では、国家安泰、敵国調伏の大元帥法を
    明治以降断絶してるようです。

    秋篠宮殿下は、これを復活させたかったのかも‥‥と思います。

  • 土師氏、興味深いですね。
    悠仁さまのお印の高野槇は、高野新笠を意識してる?なんて説をブログで読んだことがありますが、高野新笠の母は土師氏なんですね。
    光仁天皇の時代に土師氏から秋篠になったとか。

    “徳仁”と“秋篠”の意味を色々考えてしまいます。
    徳の字を持つ兄の霊を慰め、弔う役目なのかな〜と最初は思ったんですがね。
    最近はなんとなく、天智系が終わり、天武系になるのかな〜なんて妄想してます。

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