クリエイターの現場
小説家の八木沢里志氏の場合
パワハラ、作品の著作権を奪われ・・・・
初めまして、の方もいるかもしれません。小説家の八木沢里志と申します。
地味な作風のせいか、日本ではあまり知名度も人気もない(と自分で言うのも悲しいけど)けれど、欧米ではけっこう作品が愛されていて、イギリスの本のアカデミー賞と言われるBritishBookAwardsに現在ノミネートされています。
さて、ここ最近、私がポストした一連の内容が少し注目されています。
(こちらは前回投稿した長文ですhttps://twitter.com/satoshiyagisawa/status/1766979251755160011)
ここ一連で私が投稿した内容をまとめると、『森崎書店の日々』という作品で世界でベストセラーとなりイギリスの大きな賞にノミネートされた作家。実はその作家が作品刊行時に担当編集者にパワハラされていたという疑惑。まとめると、そんな感じだと思います。
自分でもこうした話題は、耳目を集めるだろうなと客観的に見て思います。特に表現者の異常ともいえる地位の低さが世間でも問題視される昨今ではなおさらですね。
とはいえ、僕自身は普段、あまりニュースも見ないし社交の場にぐいぐい出ていくタイプでもありません。穴熊みたいに静かに創作活動をしている時が一番幸せで、正直自分のことを書くのも、それで注目してもらうのも、なんというか非常に居心地が悪いです。でも、このアカウントはもう閉鎖する予定なので、最後に自分の気持ちを書いてみたいと思い、こうして筆をとらせてもらいました。
目的は、作家および創作者の地位向上といったところでしょうか。僕のような内気で、作品作りは得意だけれど人間付き合いは苦手、という創作者は多いと思います。そういう人は運が悪いと、相手に完全に屈服させられ、いいように使われ、最悪心を壊すことになってしまいかねません。当時の僕がそうでした。他の創作者の方がそんなことにならないために、少しでもお役に立てればと思っています。
また、僕自身この件をずっとずっと心の中で引きずってきて、いい加減吐き出してしまいたいというのもあります。この出来事は10年以上前のことになります。それでも、もう忘れた、と思って楽しく生活していても、記憶は不意に蘇ってきます。
特に今回のようなBritishBookAwardsにノミネートされたという栄えある知らせが舞い込んで来たりすると、嬉しい反面、「どうしてこんなに評価される作品が当時はあんな扱いを受けねばならなかったのだろう」と突然悲しい気持ちになるのです。傷ついた心というは、そんなに勝手に修復されないのだと思います。
でも僕は、もういい加減前に進みたいのです。自分の作品が世界で愛されることをただ純粋に誇りに思い、喜びたいです。どうしてそんな簡単なことができないのか自分でもわからなかったけれど、当時の出来事をどこかに吐き出して気持ちの整理をしなければ、心はいつまでも燻ったままなのだと気づきました。
『森崎書店の日々』の中でも傷つけられた主人公が、その苦しかった胸の内を吐き出すことで前を向いて歩いていけるようになります。なのに、作者の自分がずっとできていませんでした。
僕にとって、この出来事はそれくらい大きなトラウマで、向き合うのがずっと怖かったのです。
前に進むのは時にこんなに怖いことなんだなと思い知っていますが、でもきっとこの先にはもっともっと明るくて楽しい未来が待っていると信じて書く決意をしました。
もう一度断っておきますが、これは十年以上前のお話であり、現在の出版社さんには責を負うところはありません。当時、担当編集者(面倒なので以後A氏とします)は文芸部門の編集長の役職についており、全てはこの人の独断と偏見での行為だったと予想されます。そしてこのA氏はもうずいぶん前に出版社を去っており、僕とも完全に縁が切れています。出版社さんには当時の扱いについて真摯に謝罪していただき、当時結ばれた不利な契約内容も全て正してもらっています。僕と一緒にお仕事をしてくださる今の出版社の方たちは、みなさん優しい人ばかりで大好きです。ですので、その人たちにご迷惑が及ぶのは避けたいです。
またA氏から謝罪をしてほしいとか吊し上げたいとか、そんな気持ちもありません。二度と目の前に現れないでいてくれたら、それで満足です。
ただ僕は、先にも書いたように気持ちを吐き出して過去の清算をして、新しい日々に邁進していきたいだけです。
このペースで書いていると、本が一冊できてしまいそうです(笑)。
とりあえず今、上に書いたのが僕がこれを書くことにした動機です。長くなりそうなので、ちょっとスピード上げます。要望があれば、また別の機会にじっくりと書かせてもらいたいと思います。それこそ本としてまとめるとか。
とにかく、ここからはざっくりと書きます。
概要はこうです。
某出版社が協賛している某地方文学賞に僕の書いた『森崎書店の日々』という作品が大賞を受賞。さらにその作品が、ある映画監督の目に留まり、とんとん拍子で映画化されることに。
そこで僕の担当となったA氏という男性が登場。高圧的で権威主義、巷でたまに見かけるお店の店員さんに超偉そうな態度をとってしまう残念な人だった。僕にも会った瞬間からタメ口、くん呼びだった。一応こっちはデビューまもないとは言え、作家。でも彼が僕を作家扱いしてくれることは、とうとう一度もなかった。
会った時から、A氏は新人でおまけにいかにも社会活動が苦手そうな僕を完全に見下しにかかってくる。あらゆる侮辱の言葉を投げつけ、「こんなの、映画になっても売れるわけない」と笑い、「このくらいで自分を作家となんて思わない方がいい。賞金200万もあんな作品でもらえて楽でいいね。俺も書こうかな」と揶揄してくる。さらには映画のプロデューサーや関係者の前で「原作は全然大したことなかったけど、映画は素晴らしかったです」と力のある相手には擦り寄り、僕をけなす。
ただでさえ、内気で自分に自信もないただの青年だった僕。もうその頃には心がズタズタで、とにかくこの状況から逃げたいとしか思っていなかった。嬉しいはずの出来事が地獄みたいな日々となり、人間不信になりそうに。
おまけにもっと最悪なことが起きる。本が出版される段階になって、賞の主催側(某地方文学賞)が著作権を寄越せと迫ってくる。その目的はよくわからなったけれど、映画化するにあたり、作品を好きに扱いたいというのと、手柄を自分たちだけのものにしたいという思惑だったらしい。
当然、僕はその要求を突っぱねた。A氏に「著作権は渡さない」と告げると、意外にも彼も「ああ、それは常識的にありえない。今度会ったらそう言ってあげるから大丈夫」と請け負ってくれた。
これで一安心。そう思って次の話し合いに行くと、なぜかA氏は主催者側に完全に寝返り、僕を「心が狭い。いいから著作権くらい寄越せ」となじってきた。
素人に毛が生えただけの僕でも著作権を手放すことの意味することはなんとなくわかった。だからもう、ここだけは譲れないと徹底抗戦することに。それで「そんなことになるくらいなら、映画化もなしでいい。全てなしでいい。二度と連絡しないでください」と通告。
慌てた主催者側は、「とにかく話し合いがしたい」と後日こちらに要求。今度こそ建設的な話し合いができるかと期待して行ってみれば、なぜかA氏まで待ち構えていて、僕を取り囲む。話し合いどころか、ただの吊し上げだった。
関係者に取り囲まれた中でA氏が僕をいかにも軽蔑したように一言。
「君が欲しいのは金か? 名誉か?」
まるで、作家気取りのとんでもない独りよがりのクソガキが駄々を捏ねて周囲の大人を困らせている、とでも言いたげな口調だった。
結局どうなったかと言えば、相手の要求を僕がほぼ飲む形で終わった。弁護士に相談するとかも考えたけれど、映画の公開日は迫っていたし、いろんな人に迷惑を掛けられないと思った。何より、もう疲れてしまって、この人たちに二度と会わないで済むならそれでいいと思うようになっていた。
作品に愛着を持つから、こんなに苦しいんだ。それならもう、作品を大事に思うのはやめよう、と思った。こんなの自分の書いた作品じゃない。家に置いてあった自著も処分した。それぐらいもう、心が折れていた。
そういうわけで、僕は『森崎書店の日々』という作品においては著作権を長年持っていなかった。この辺りから僕の記憶はストレスのせいでかなり断片的になってしまっていて、どういう契約をしたか細かいところは忘れてしまった。
でも、印税は全て向こうに入ることになったことだけは間違いない。(ちょっとややこしいのだけど『森崎書店の日々』は一冊の本の中の半分にあたり、書き下ろしに『桃子さんの帰還』という作品が収録されている。なので、僕は『桃子さんの帰還』の分だけの印税をもらっていた)。
そして映画などの作品の二次利用の際には、©️(著作権マーク)のあとに本来作品名と作者名が入るはずが、映画を観たら僕のクレジットは見事に入っていなかった。公開初日の舞台挨拶にすら僕は呼ばれず、僕の代わりに主催者のお偉い方たちがスターのように最前列に出席。それでも母がどうしても観たいと言うので、席をとって欲しいと関係者に頼むと、さんざん迷惑そうにされてから席を確保したと言われ、チケット代を全額請求される。なので、僕は自分の作品の舞台挨拶を一般客として観ることになった……。
この先もまだ結構いろいろあったのだけど、とにかくハイライトとしてはこんなところです。
僕はこの経験が引き金になって、小説を書くのが怖くなってしまいました。「こんなのつまらない。おまえごときが作家なんて思うな」とA氏に言われた言葉が頭にフラッシュバックして、毎回辛くなってしまうのです。
それでも別の出版社から声をかけていただき、そこで苦しい思いをしながらも3作の作品を書き上げました。今考えれば、あの状態で本当によくがんばったと自分を褒めてやりたいです。しかもそれらも売り上げはイマイチだったけど、作品としては十分読むに値する価値のあるものだと思っています。
でもそこが限界で、その頃から執筆をしようとするとパニックの症状が出るようになってしまいました。ある日、普通に妻とご飯を食べていて「ああ、小説書かないとな」と考えた瞬間に、何かが心の中で決壊して、初めて感じる恐怖に襲われたのです。後日病院に行くと、かなり重いうつ病と診断。薬を飲むと症状は和らいだし、パニックもほぼなくなったが、代わりに今までのように文章を書くセンスを完全に失ってしまいました。
そうして僕はなかば作家を引退して何年も無作為に暮らすことに。それでも書きたいという気持ちはやっぱりどこかにあった。だから数年後には薬を断ち、メンタルにいいことならなんでもやりました。瞑想、ヨガ、コーチング、ジョギング、アファメーション、ヒプノセラピー、藁をも縋る思いで有名なスピリチュアル占い師に鑑定してもらったこともあります。
とにかくもう忘れてしまったけれど、あらゆることを試しまくって、やっと症状なしに執筆作業ができるようになったのが一年ちょっと前。今はもうだいぶ安定して書けるようになったけれど、最初はかなり騙し騙しで、書いては中断して書いては中断して……の繰り返し。大きな揺り返しがくると、何ヶ月もまた書けなくなってしまったりしていました。
そんな中でも、僕の回復に大きな力になってくれたのが、世界で『森崎書店の日々』が評価されているという嬉しいニュースでした。
数年前、この作品を読んだ海外のエージェントが「ぜひこの本を世界で刊行したい!」と言ってくれて、そこからアメリカのハーパーコリンズという超大手出版社のオファーを含む30カ国(正確な数字は未確認です。だいたいそれくらいか、ちょっと上くらい)での翻訳が決定、欧米で出版されると作品は大ヒット。おまけにイギリスの大きな賞にまでノミネート。
嘘みたいな話だけれど、僕のカムバックの努力の後ろでは、そのような旋風が巻き起こっていました。そして、先に書いたように出版当時に結ばれた不利な契約も、新しい編集長が全て是正してくれ、気持ちもだいぶ晴れたのです。
という感じで、今、僕はもう一度デビューするような気持ちで、創作にあたっています。時々トラウマが疼くこともあるけれど、でももう大丈夫。
だってそうでしょう?僕がこの先行くこともないどこかの国の、おそらく会うこともない読者が、僕の作品を好きになり、なんなら聖地巡礼と称して神保町に足を運んだりしてくれているのです。
だからね、「お前の作品なんて全然ダメ。お前には才能がない」と心でA氏の声が囁いても、最近はこう言うようにしているのです。「それは、あなたに見る目がなかっただけでしょ。僕の作品は世界で愛されているんですよ。そんなに言うなら、あなたもそのくらいすごい作品を書いてみたら?0から1を生み出す創作者にあなたもなってみなよ?簡単でしょ、あれだけ豪語してたんだから」
すると、そうしたトラウマも煙のように消えていくのです。
さて、書いたらだいぶスッキリしました。何度か言いましたが、このアカウントは近いうち削除します。それでも、作家活動をやめるわけではないです。と言うより、ここからがスタートだと自分では思っています。
性格上、目立つこともなく、ひっそりと活動を続けていくことになると思いますが、どこかで応援していただけると嬉しいです。皆さんのパワーこそが僕にいい作品を書かせる原動力になります。
だから、うん、どうか応援してください。僕は生きていて、そして創作活動をこれからも続けていいんだと思わせてください。決してA氏の言うような「作家未満の才能もないやつ」なんかじゃないと思わせてください。
長くなってしまいました。もう少し書きたいことがあったら、書くかもしれませんが、とりあえずは以上となります。
ああ、でも自分のことを書くってけっこう楽しいですね!今まで小説しか書いてこなかったけれど、クセになりそうです。エッセイの仕事とかもいいかも、なんてね。でも可能性があるっていいですね。そんなふうに未来を明るく想像できる日が来たことが、とても嬉しいです。
皆さんの人生にも素晴らしい可能性がありますように。時には辛いこともあるけれど、生きるって素晴らしいよね、そう思える人生でありますように。
これを読んでくれた全ての人に溢れるばかりの祝福が舞い降りますように。
それでは。
以上
ほぼ同じ経験をしている
浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る24(2023年2月17日発売)@AsaiLabot2
ほぼ同じ経験をしている。KADOKAWA(当時は角川)からの移籍時に「受賞した作品の著作権は出版社にあるから、ずっとこちらに印税払え」と言われたので、法的に根拠のない主張を切って、逆に賠償金を取った。創作者はおとなしい善人が多いので、舐めて圧迫すれば通ると思う人が出やすいのも事実。
移籍時の訴訟は、毎年言うたびに驚かれる。ただ担当編集者は大失敗の責任を取るのが嫌で、職と家族と家を捨てて失踪している(現在も未発見)当時の社長も「その賠償額を払うと重役会議で突きあげを受ける。一年ネットで謝罪広告を載せるから、賠償金を下げて」としてきたのは今年も言っておきたい。
以上
関係ないはなし
鳩サブレーを均等に割る鍛錬をひそかに続けていた結果、本日ついにパーフェクトスコアを出せたことを報告