なんだか数年前から『火垂るの墓』は反戦映画じゃないと言う人が結構いる
なんだか数年前から『火垂るの墓』は反戦映画じゃないと言う人が結構いるのですが、これは正確には高畑勲が、
「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。そう言うと大抵は驚かれますが」
という神奈川新聞のインタビューがひとり歩きしたもの。
高畑勲がどういう意図でこの発言をしたかというと、
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
ということ。
つまり「飢えたくない、死にたくない、悲惨な目にあいたくなかったら戦え」と国にこういう映画が利用されかねない、と言っているのですが、一部分だけが変な解釈をされて広まっている。
戦争そのものを否定し、どう戦争を回避するかを徹底的に考えず、「戦争に負けなければ悲惨な目には遭わない。だから軍拡だ!」という、戦争大好きな頭がお花畑の平和ボケを批判しているわけです。
そして高畑勲は憲法9条があったから、そういう政権の手足を縛ってきた、とまで言っています。それは宮崎駿、鈴木敏夫も同様の発言をしています。
高畑勲も宮崎駿も鈴木敏夫も、戦争そのもの、そして9条を改正しようと考える政府をガッツリ批判しています。
※敬称略
以上
佐々木秀吾 曹洞宗喜雲寺住職@shugo_s
私は、心中物と解釈しています。
死の醜さ、美しさを描いた映画だと思います。
分かります。そういう側面もある作品だと思います。ただ、戦争がなければ、兄妹があのような状況に追い込まれることはなかったのも事実だと思います。
物語はいろいろな見方ができるので、人それぞれ、どこが心に響くか、鏡のような存在なのかもしれませんね。
佐々木秀吾 曹洞宗喜雲寺住職@shugo_s
もちろん、戦中という時代背景がありますので、反戦映画として観てしまうのは当然だと思います。
特にあの映像美です。
私も反戦映画だと感じました。
作者の意図とは別に、「反戦映画」としてのメッセージが強く世の中に流布した(してしまった?)映画だと思います。
戦争の悲惨さって、戦場で殺し殺されだけではないですよね。
生活が破壊される、経済が破壊される、文化が破壊される、差別される、などなどいくらでも悲惨な面があります。
以上