【保守砲ドカドカ2016年】内ゲバまつり➀

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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余命三年時事日記との抗争67-1 内ゲバまつり

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【余命真理教内部者リーク】左翼集団、遂に粛清開始か?

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/0e1353c7a40de0195141df8ec09163ec

私は余命の内部の人間です。

余命が犯罪者であることをここに告発します。

余命は、伏見関係の告発を行う際、豆腐おかかの個人情報を使用しました。

告訴状に豆腐おかかの氏名、住所、電話番号。

豆腐おかか氏の三文判までわざわざ作りました。

有印文書を偽造し、警察署に告発状を郵送しました。

事務所に三文判があるので、言い逃れはできません。

なお、行政書士に告発状を書かせたので、弁護士はいません。

行政書士は告発状を書いた時点で仕事がおしまいです。警察をつつくことはありません。

私が余命内部の人間であることは、

豆腐おかかのパスワードが「made22」であることを知っている、

これで証明できると思います。

余命は豆腐おかかに全てを押し付けようとしている、犯罪者です。

以上

 

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内ゲバでしょうか。

潜水艦が水面下で撃ったミサイルが当ったみたいなインパクトがありますね。

 

内ゲバとは、、

内ゲバ – Wikipedia

内ゲバ(うちゲバ)とは、内部ゲバルト(ないぶゲバルト)の略。ゲバルトは「ドイツ語: Gewalt、威力・暴力」の事で、同一党派または同一陣営などの内部での暴力を使用した抗争のこと。

一般的には、左翼党派内または左翼党派間、特に日本の学生運動や日本の新左翼党派間での暴力を使用した党派闘争を指す場合が多い。逆に機動隊などの国家権力(公権力)に対する暴力を用いた抗争は外ゲバとも呼ばれたが、「内ゲバ」ほど知られた表現ではない。

1950年

日本共産党が所感派と国際派に分裂し、両派のテロリンチが繰り返される。学生運動での初めての内ゲバとなっていく。

特急「つばめ」が開通。

 

1951年

美空ひばりの「花売り娘」が大ヒット

内ゲバ

東京大学で、国際派の学生らが国際派内部の反対派学生らをリンチ。

これは当事者が後に有名人になったため安東仁兵衛『日本共産党私記』、高沢寅男『寅さんの生いたち』などにも書かれているが、記録に残らないリンチも多かったと推定される。

 

1952年

映画「源氏物語」が大ヒット

主演は長谷川一夫

内ゲバ 

6月 全学連五回大会で、所感派系の学生が国際派の反戦学生同盟メンバーをリンチ。立命館事件。

 

1961年

横浜マリンタワー開業

内ゲバ 

7月  全学連第17回大会で、革共同系学生(マル学同)と、ブント・解放派らつるや連合の間で乱闘衝突。学生運動史上初めての角材を使用した内ゲバであり、セクト間の武装部隊による本格的内ゲバの初めとなった。

 

1963年

「鉄腕アトム」放送開始

内ゲバ 

9月11日 清水谷公園で、中核派、解放派ら連合4派250名の集会に革マル派150名が押し掛け、角材で乱闘。清水谷公園乱闘事件。

 

1964年

カルビーがカッパえびせんを発売

第9回冬季オリンピック・インスブルック大会(オーストリア)開幕。

内ゲバ 

7月2日 革マル派の拠点早大に、中核派・解放派・構改派の3派が殴りこみ。7・2早大事件

 

1967年

映画「黒部の太陽」がヒット。

内ゲバ

10月7日 法政大学で、中核派が解放派の高橋幸吉などへリンチ。[8]

10月8日 羽田闘争において中核派、解放派は内ゲバに備えて角材とヘルメットで武装する。この武装は現場で対機動隊に転化され、初めて機動隊を打ち破った。

 

1968年

メキシコ五輪開催

日本は金メダル11個、銀メダル・銅メダル各7個獲得。体操男子団体競技などで金メダル、バレーボールで男女ともに銀メダル、男子サッカーで銅メダル獲得。

内ゲバ

2月12日

九大教養部学館で中核派と社青同解放派が乱闘、1人重傷

6月24日

法大で、革マルと中核派学生が乱闘。

7月20日 –

反帝全学連大会でブントと、解放派・ML派の両派が乱闘。

9月9日~11日

法政大で中核派と民育系が乱闘。

11月11日

静岡大法経短大学部で、民青系(代々木系)と反代々木系学生が乱闘、40人が負傷。

11月12日

東大図書館前で全共闘と民青系(代々木系)学生が角材で乱闘、約70人が負傷。

11月14日

東大教養学部で代々木系と反代々木系の学生の衝突を教官が阻止。

11月26日

東京教育大で反代々木と代々木系学生が乱闘。

11月29日

東大図書館前(本郷)で全共闘と日共系が衝突を繰り返す。

下旬 – 早大で、革マル派が解放派にテロ、早大を追われた解放派は東大駒場へ移動し革マル派と武装対峙する。

後に戦争状態となる解放派と革マル派の内ゲバの始まり。

12月4日

早大で解放派と革マル派が乱闘。

12月5日

東大駒場寮で解放派と革マル派がお互いの拠点を襲撃しあう。

12月6日

東大駒場で解放派と革マル派が内ゲバ。

12月10日

東大教養学部(駒場)て革マル派と解放派の対立が激化、駒場寮前で約200人が衝突、45人が負傷。

12月11日

警視庁が東大学側に警告書

12月13日

東大教養学部で全共闘と代々木系学生・有志学生が衝突乱闘。

12月14日

上智大で代々木系学生と反代々木系学生が乱闘。

12月16日

東大駒場で、及び駒場東大駅ホームで革マル派と解放派が衝突。
法政大で反代々木系と代々木系の学生それぞれ200人が乱闘。

12月17日

東大駒場で反代々木系学生間でリンチ。

12月24日

東大で全共闘と民青系(代々木系)の学生が乱闘

 

1969年

石原裕次郎主演「栄光への5000キロ」がヒット

 

1968年

サッポロビールが日本初の低アルコールビールを発売。

内ゲバ

発生件数208件、死者数2人、負傷数1143人(警視庁 1974)。

1月9日

東大闘争勝利総決起集会後、民青系と全共闘が乱闘、重軽傷100人余。東大闘争での内ゲバで火炎瓶が初めて使用される[29]。

10日

東大駒場で全共闘と民青が乱闘[30]。また、東大本郷でも安田講堂を占拠する全共闘と民青の間で乱闘。

9月17日

中核派が埼玉大の反戦連合を襲撃[32]。

18日

芝浦工大で反戦連合の学生が中核派を襲撃し、埼玉大中核派学生が死亡。内ゲバでの初めての死者となった。

11月28日

日比谷野外音楽堂の集会で、中核派、解放派ら八派と革マル派が衝突[34]。

12月14日

日比谷野外音楽堂、糟谷君虐殺人民葬で中核派、解放派ら八派に対し革マル派が襲撃。

 

1970年

大阪万博開催

内ゲバ

発生件数175件、死者数2人、負傷数525人。

6月

豊島公会堂でのブント政治集会で各派が内ゲバ。

8月

中核派による東京教育大学生リンチ殺人事件

 

1971年

内ゲバ 

発生件数272件、死者数4人、負傷数521人。

4月28日

日比谷公会堂前でブント各派が乱闘。

6月19日

沖縄人民党・民青による革マル派町田宗秀リンチ殺害事件

8月

京浜安保共闘による印旛沼事件

12月

革マル派による関西大学構内内ゲバ殺人事件

 

1972年

札幌五輪開催

内ゲバ

発生件数183件、死者数2人、負者傷数338人。
11月

革マル派による早稲田大中核派シンパと疑われた学生内ゲバ殺人事件(川口大三郎事件)

 

1973年

内ゲバ

発生件数238件、死者数2人、負傷者数573人。

9月15日

革マル派が革労協(社青同解放派)を襲撃するも、革労協が反撃し革マル派東大生と革マル派国際基督教大生を殺害。神奈川大学内ゲバ殺人事件

17日

革マル派と中核派が東京鶯谷駅で集団戦。国電鶯谷駅内ゲバ事件

10月20日

革マル派が中核派のアジトを襲撃。中核派アジト襲撃事件

 

1974年

内ゲバ 

発生件数286件、死者数11人、負者傷数607人。

1月24日

東京で中核派が引っ越し作業中の革マル派活動家とその友人の東大生4人を襲撃、友人2人(22歳、21歳)を殺害。

殺された2人は革マル派とは無関係だった。

この事件後に出た中核派声明を立花隆は「暴力論の一つの極点として、歴史に残る文書になるだろう」としている。

1月24日

中核派が革マル派神奈川大生(24歳)を満員の学生食堂内で殺害。横浜国大内ゲバ殺人事件

2月8日

中核派が革マル派だとして琉球大生(21歳)を講義中の教室内で殺害。琉球大学内ゲバ誤認殺人事件

5月13日

革マル派が中核派東京都特別区男性職員(37歳)を、東京都千代田区の法政大学から出て国鉄市ヶ谷駅に向かう外濠土手下の路上で襲い殺害。

殺されたのは中核派東京東部地区委員長。

6月7日

革マル派大阪産業大生(20歳)が大阪で殺害。

26日4時30分、

法政大学に泊まり込んでいた中核派20名と学外から合流した50名の計70名を、法政大学内に潜んでいた革マル派50名が襲った。内ゲバ史上最大の激戦といわれ、2時間半にわたる大激突となったが、死者は出ていない。

9月10日

革マル派が中核派郵便局員(25歳)を東京で殺害。

24日

革マル派が中核派大阪市立大生(25歳)を大阪で殺害。

10月3日

中核派が革マル派郵便局員(30歳)を東京で殺害。

15日

革マル派が中核派工員を東京で殺害。

12月1日

中核派が革マル派元高校教諭(30歳)を大阪で殺害。[58]

 

1975年

「およげたいやきくん」

内ゲバ

発生件数91件、死者数16人、負傷者数192人。
3月6日

東京の路上で、中核派が革マル派幹部(33歳)を殺害。革マル派機関紙発行責任者内ゲバ殺人事件。

14日

埼玉のアパートで、革マル派が中核派の最高指導者(41歳)を殺害。

中核派書記長内ゲバ殺人事件(本多延嘉氏)。

20日

東京のマンションで、中核派が、革マル派郵便局員2名を(25歳、28歳)を殺害。

27日

神奈川の路上で、中核派が革マル派川崎市役所職員(26歳)を殺害。川崎市女子職員内ゲバ殺人事件。

4月1日

東京の喫茶店で、中核派が革マル派元全学連中央執行委員(27歳)を殺害。

26日

東京の喫茶店で、中核派が革マル派政治局員ら(32歳、23歳)を殺害。

5月7日

鹿児島のアパートで、中核派が革マル派高校教諭(41歳)を殺害。

25日

岡山大で、マル青同がノンセクトの岡山大生(18歳)を殺害。

6月4日

大阪市立大で、革マル派30数人と中核派約40人が衝突、革マル派の大阪経済大生3名(21歳、24歳、25歳)が死亡[68]。

19日

東京の路上で、中核派が革マル派郵便局員(22歳)を殺害。。

24日

静岡で、革マル派が革労協数10人を襲撃、革労協の元九州大生(26歳)を殺害

10月27日

革労協が革マル派東大生(22歳)を東京で殺害。

長いのでわけます。つづきます。

続きます。

 

※余命との長い長い抗争の記録です。

※一条の会との抗争の記録です

※イザー=BB覚醒日記=トドコ、ふぶきの部屋、カナダの我儘親父たちとの抗争の記録です

 

 

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