信子妃・吉田茂・麻生家・白洲家の謎と疑惑の維新①三笠宮妃信子さまの謎
寛仁親王妃信子さま
本日もお越しいただきありがとうございます。
吉田茂、麻生財閥、牧野伯爵、大久保利通、、、、三笠宮妃信子さまの華麗な家系を見ていると、明治維新の真相ににつながります。
「信子さまは、15歳から三笠宮の若宮にストーキングされ、寛仁殿下から逃れるために英国の花嫁学校へ留学した。帰国後、嫌々、親王妃になった」
市民の素朴な疑問として
・当時、皇族との縁組を嫌がる家があっただろうか。
・当時、あるいは今もそうだと思うけど、財閥や名門の令嬢って、親御さんの言う通りの縁組を受け入れるのが普通ではないのでしょうか。
・ これは美智子や雅子にも言えることですが、本当に三笠宮寛仁殿下がお嫌なら、一時的にでもほかのお家の御曹司とご婚約すればいいだけの話。
「親王に求婚されたが断った、それでもどうしてもお妃にというので、しかたなく結婚してあげた」
美智子も、雅子も同じストーリーを使ってますね。気になりますね。
そして、信子さまと、美智子や雅子との共通点の一つが、異教徒であること
コメント欄より
東京四ツ谷のイグナチオ教会のクリスマスミサにいらしていました。カトリック信者です。
(以上)
ありがとうございました。
もし本当なら、というか信子さまのご実家の麻生家はもとより、先祖の牧野伯爵、吉田茂など家系図をみるとキリスト教徒だらけなのでカトリック教徒であったことは本当だと思うのですが、気になるのは、親王妃たちが異教徒というのはどうしたものでしょうか。
信子さまと美智子はカトリック、雅子は創価学会、いずれも他宗教を認めない排他的な宗教です。
これらの親王妃の共通点は、排他的な宗教に属していることと、工作員の家系であること。
そして、新平民の血が入っている可能性が高いことも、共通点があります。
①吉田・麻生家は工作員の家系
※浮世風呂さまよりお借りしてます
日本の中のCIAエージェント -浮世風呂
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/31b8776d983469bad82ffec40288122b
★吉田茂
幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。
天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁=麻生太郎の祖父。
★麻生太郎
第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に置き、日本を暗黙の「監視下」 に置いた。
その任務を担ったのが、初代CIA日本支局長ポール・ブルームであった。
ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持ち、その近所には2008年現在の麻生太郎元首相の生家があった。当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父であり、麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田首相は、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合った。
やがてブルームは麻生太郎を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。
(以上)
②吉田・麻生家は同和の家系
※伏見氏のブログより
http://fushimi.hatenablog.com/entry/2017/04/02/123000
「当時は、社会党や左翼全盛時代でしたから、戦後日米同盟の基盤を作った吉田茂の「再評価」は新鮮でしたね。
しかし、大学生だった1980年代に、アメリカ人のMITの政治学者、ジョン・ダワーの「吉田茂とその時代」を読むとまた印象が変わりました。
「反軍」で「リベラルで自由主義者」の吉田茂像を否定して「帝国主義者」の本性を暴いたのは圧巻でしたね。ダワーの著書は、日本人でも知らないような
吉田のパーソナルデータを駆使してよくここまで調べ上げたなと感心しました。ただ従来と違い「予定調和」の吉田礼賛ではなかったですね。
この本で、今思えば収穫だと思ったのは、吉田の生母の「情報」が全く不明だという事実ですね。
公式発表では、実父は土佐の民権活動家の竹内綱の庶子(非嫡出子)だということはわかっています。しかし、この竹内綱自身も全く無名な男で当然、日本史の教科書には載らないし、「売り」は板垣退助の子分だったという話です。
生母の氏名、出自が全く不明な総理大臣と言うのは、「憲政史上」吉田ただ一人です。
加えて、私が感ずるのは、実父とされる竹内綱自身が、無名の人物で、養子に出した五男坊が、偶々総理大臣になったから、「著名人」になったのではないか?と言う疑惑です。
今、竹内のWikiを見ると、「これでもか!」と言うぐらいに、業績「てんこ盛り」です。恐らく竹内の生地の高知県の宿毛の人達が「地元お越し」でやっているのでしょうが、以前、正田美智子の実母の正田富美(旧姓、副島を自称)の佐賀の実家について調べてみたことが有りましたが、多久市には「副島家文書」と言う記念館のようなものが有ると地元の人が豪語していましたが、後で佐賀県の他地区のかたが、教えてくれましたが、正田富美は、美智子入内後に多久市に来て、副島家に「戸籍を売ってくれ」と頼み断られたそうです。
富美は顔立ちとスタイルですぐわかりますが、生まれも育ちも戦前の「魔都」上海の英国租界地区。解体された旧正田邸は英国のチューダー朝風の様式で清水組(現;清水建設)が建築したものですから実父は高い確率で、租界のイギリス人、母親は日本人以外のアジア人で間違いないと思います。極端な色白、同年代の日本女性と比べれば異様に高すぎる身長。おまけに実母の名前は戸籍上「空欄」です。
これは吉田にも言えることで、いくら実父が外に作った子供にしても、産ませた女性の名前ぐらいは覚えているはずです。吉田は生後すぐ、竹内の友人で豪商の吉田健三に養子に出されますがこの養父も茂の生母の名前を知らない。結局めんどくさいので、周囲の大人は聞かれたら「生母は芸者だよ」と口をそろえるようになった。
★名前の無い「芸者」っているでしょうか?
明治の元勲、長州の木戸孝允の妻は「松子」、志士時代からの恋人で、当時は有名芸者の幾松(いくまつ)です。初代総理大臣、伊藤博文の正妻の梅子も元芸者です。
★ここまで来ると、吉田の生母は、芸者ではなく、世間に言えない階層、部落民の女性ではなかったかと思わざるを得ません。
恐らく実父の竹内も、養父の吉田健三も生母の名前を知っていたはずだが敢えて、本人に教えなかったのだと思います。
★そう考えると、吉田茂が皇太子妃に「正田美智子」に拘った理由も、「同族的親和性」とすれば納得できます。
美智子の実父の堤康次郎も、半島系部落民ですから、符合が合います。
以上
③吉田・麻生家は異教徒の家系
なんせ、麻生太郎さんも、吉田茂も妻も子も、みんな親族はカトリックらしいですね。
吉田も小泉も、美智子を入内させた主犯はすべてクリスチャンでした。
吉田は、部落民だった正田美智子の祖父を勅撰で貴族議員にしたり、皇太子妃候補に旧華族にこだわらないという意味の記事をかかせたり、綿密にカトリックとGHQと連携しながら、皇太子妃を正田美智子一択にするため、何年もの年月をかけて動いていました。
信子さまに話を戻しますが、信子さまも洗礼は普通に受けてるんじゃないんですか。
神道のベースは多神教です。気になるのは、一神教から一神教に改宗できますが、一神教として育った人は多神教にはなれないと思いますね。
親王妃とはいっても、末端宮家だから寛容だったんでしょうか。
無題 Name 名無し 17/04/03(月)23:43 id:NYtVaUII No.1955953
イギリスの花嫁学校ですと?
寛仁さまからの求婚を断るための留学だというのに、何でまたそんな学校へ。
もしかして、ミテコさんよろしく、ホントは皇室入りを狙っていた?
(以上)
信子さまの謎
管理人は、親戚演者キリスト教だらけ、工作員だらけ、という信子さまが英国の花嫁学校に留学した理由は、麻生家もご本人も、あわよくば英国貴族と縁組を、と考えてたのかなとか想像してます。できたら王室とつながりのある貴族を狙ってたのかなーとか。あるいは、工作員として英国諜報部から訓練を受けてたのかな。
伏見氏の推定通りなら、信子さまは祖父は首相で財閥令嬢でも、吉田茂のお血筋が不明瞭で平民以下の可能性が高そうです。そのあたりの事情が、英国諜報部に知れていたので英国貴族夫人はかなわず、あるいは人種の問題もあり英国貴族夫人はかなわず。その後、帰国して、滑り止めの親王妃に収まったのかな、とか。
寛仁親王は、学生時代から飲酒喫煙をし、朝鮮学生としばきあいをするくらいロックな親王だった方。なので、信子様のおじいさまの不明瞭なお血筋は気にしなかったんでしょう。麻生家の財政援助は魅力的だし、麻生家がらみの英国利権も欲しかったでしょうし。
もうひとつ英国留学の目的でありえるのは、麻生さんが仕込まれたように、妹君も「皇室用工作としての研修と仕込み」のためというのもありえるなーとか。
あくまで想像ですけど。
続きます。