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皇室|薩長土肥、肥前=佐賀の「タブセ町」⑤樟脳の謎

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続きです。

さらに恐ろしいことが書いています

吉田健三

wiki

宿毛山内家の軍事費、すなわち外国船打ち払いの費用を確保するために、領内特産のクスノキから当時極めて高価に輸出されていた樟脳を製造して高利潤を上げる。

 

 

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大正天皇の「脳病」の真相

大正天皇は2人いると書かせていただきましたが、公務を担当していた英明だった大正天皇は、一方的に「脳病」「ご羸弱」とマスコミや宮内庁からレッテルを貼られ、強制的に「ご養生」させられクーデターを起こされました。

①②➂大隈顔の「英明」大正天皇、➃大室顔の「脳病」大正天皇、⑤肖像画

※再掲載させていただきます。

コメント欄より(一部抜粋)

もう一点。

その他の戦前でも早世された宮様、或いは“気の病”とされた宮様、が結構たくさんいらっしゃいました。

大蔵省を調べてましたら、戦前の専売局は大蔵省の管轄で、要するに、税収以外に自分達で富を生み出してました。

台湾統治運営や、日本本土にもたらした富のひとつに、防虫剤でも使われる『樟脳』の専売がありました。

樟脳は、プラスチックが発明されるまで、セルロイドの主原料のひとつとして、世界中に輸出されてたようです。

この『樟脳』ですが、、

wiki
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%9F%E8%84%B3
(参照)

《樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがある。

しかし、飲み込んだ場合には有毒であり、発作・精神錯乱・炎症および神経と筋肉の障害の原因になりうる。

有毒物質を飲み込んでしまった際の応急処置として、消化器保護のため牛乳を飲ませる事があるが、樟脳は脂溶性であり、牛乳に含まれる乳脂肪分との作用で体内に吸収され易くなってしまうため、樟脳誤飲に対して牛乳を飲ませることは禁忌である。》

 

突然亡くなられた方達や、気の病になられた方達の症状によく似てる‥‥気がします。

また、樟脳は心臓のカンフル剤でもあったようです。

と言う事は、量を間違えれば、心臓発作をおこせるのでは?と思います。

アヘンのルートを探っていたら、違うモノに、「あれっ?」て感じです。

以上

 

ありがとうございます。

樟脳の投与による症状が、「脳の病にかかられた」大正天皇の「御病状」炎症および神経と筋肉の障害とにているのが気になりますね。公務を担当していた大正天皇は、聡明で健康な方でした。

大正天皇と、当時の独裁者だった山県有朋との対立をにおわせています。

『日本の本当の黒幕』鬼塚英昭

 

私は「オレンジ計画」について後述するが、大隈内閣は「英米協調主義」をとった。一方、山県有朋は「オレンジ計画」をアメリカに推進させるような、黄色人種連合を中心とする範英米協調外交を撮った。大正天皇はこの外交に日本の危険きわまる未来を意識し、山県有朋を政治の中枢から遠ざけようとした。

大隈重信は山県有朋の辞任要求を受け、加藤高明を首相にし、自分は引退すると、山県有朋に言った。

日本人は知らなければならない。伊藤博文が死んだあと、最終的な首相任命権は山県有朋が持っていたことを。明治大帝といわれた男はマリオネットであったということを。日本は、政党政治の国家ではなく、山県有朋の独裁政治の国家であった。

山県有朋は、元老松方正義、大山巌、西園寺公望の同意を得て、

後継首相に寺内正毅を任命する。

大山巌はこの後、大正5年(1916)12月10日死亡している。このときから、日本は中国という国家に深くかかわっていくのである。それはまた、玄洋社=黒竜会の右翼団体が政治の中枢と複雑にからみあって飛躍していくのだった。

私は大正天皇は英断力をもった天皇だったと思っている。鈴木壮一の『アメリカのオレンジ計画と大正天皇』(2012年)から引用する。

山県有朋が「元老主権」の圧倒的な腕力をみせて寺内正毅を後継者首相に据えると、大正天皇は「天皇主権」を侵犯した山県有朋を嫌悪。大正5年12月以降、3回にわたり、山県有朋に、

「ところで、枢密議長の辞表は、いつ提出するのか?」と枢密院議長辞任を勧告。逆襲に出た。

その後、対しょつ延納は首相寺内に対して、「山県有朋は人望を欠くのではないのか」と尋ねている。

転載以上

 

何らかの理由で「話すことができない」状態になりましたが、死ぬまで脳は正常だったことがわかります。

 

『日本の本当の黒幕』鬼塚英昭

P153

10月05日

聖上陛下は海軍御通常礼服にて右覆奏を聞し召され、また午後平沼大審院長、鈴木健二総長の信認に臨御あらせらる。

是等の儀式新聞に発表ありたるを以て、昨日世人をして恐縮措く能わざらしめたる御容態発表の件も、大に其の危惧を解きえたるものの如し。宮中には天機奉伺者陸続参内せり。

 右の文章を読んで読者は牧野伸顕宮内大臣をどのように思うであろうか。間違いなく大正天皇は正常だった。

しかし、牧野伸顕は内閣総理大臣・子爵高橋是清とともに、大正天皇を追い込み、11月25日、「朕恒紀に亘るの疾患により大政を親らすこと能わざるを以て、皇室会日および枢密顧問の儀を得て、皇太子裕仁親王摂政に任ず」とするのである。これに対し、四竃考輔は次のように『日記』(11月25日)に記している。

 嗚呼、なんたる発表ぞ。昨日までは叡慮文武の聖上と其の御聖徳を頌しつつ、今日俄然比の発表あり。宮内省の言う所、信を措くに由なしと世の攻撃ある場合、宮内大臣はいかなる釈明をなして世に謝するを得るべきか。

 

「しかし、牧野伸顕は内閣総理大臣・子爵高橋是清とともに、大正天皇を追い込み、11月25日、「朕恒紀に亘るの疾患により大政を親らすこと能わざるを以て、皇室会日および枢密顧問の儀を得て、皇太子裕仁親王摂政に任ず」とするのである。」

大久保利通の息子が、宮内相になった牧野伸顕。その娘が、吉田茂と結婚しました。

そして、吉田茂の娘の和子が産んだ子供が、麻生太郎、三笠宮信子さんです。

牧野を父のように慕っていたのが昭和天皇で、辞職する旨を伝えたとき、昭和天皇は泣いたそうです。

 

幕末皇族たちの疾患の理由

大正天皇の病状、本物の睦仁親王の歩行困難、和宮の小児麻痺とおもわれる足の患い、、、これらは、代々塗りたくっていた白粉などんにふくまれる物質による脳の炎症ということになっていますが、、、。

それなら、お武家さんのみならず、豪商や裕福な町民たちにも現れて脚気にならぶ問題になるはずですが、必ずしもそうでもはないんですね。幕末までは天皇家の宗家に特化しての、何らかの遅効性の毒物投与を疑ってしまいます。

明治、大正、昭和、とお仕えした職員によると、大正天皇が一番頭脳明晰だったとか。漢詩をたくみにした大正天皇の「御病状」は微量の樟脳の長期投与による可能性もありますね。

幕末より、樟脳を御所や皇族に盛るための、ルートがあったのかもしれません。

続きます。

 

ネコパンチ炸裂

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2 件のコメント

  • でれでれ草 さま

    たまたまこんなサイトを見つけました。
    ttps://toyokeizai.net/articles/amp/129161?display=b

    江戸時代には、長崎の出島以外に対馬と薩摩、そして松前が海外に開かれていたんですね。
    そう、薩摩。
    幕府はカトリックを嫌っていたのですね。理由はやはりイエズス会が江戸以前にやらかしたことではないでしょうか。

    自分の住むど田舎でも、江戸時代には寺子屋をやっていた家が少なくとも二軒あります。そして筆子塚も。明治の世から東京帝大に進んで地元経済に貢献した偉人もいます。いきなり西洋化して、一般人がついていくのは本当は大変だったはずです。
    幕府はカトリックは侵入を防ぐとともに、天文学や医学や土木建築技術など実利に伴うものは積極的に取り入れていたのではないでしょうか。そしてそれは田舎でも学がある人は知りうることができた。
    そして、江戸時代は本当はカトリックが暗躍していたのではないかと思います。

    • >そして、江戸時代は本当はカトリックが暗躍していたのではないかと思います。
      管理人も同感です。イルミちゃん系と同時進行だったと思ってます。
      普通に、朝鮮の済州島の海女さんが出稼ぎに来てましたからね。
      どうにもならなくなったら、藩公を連れて朝鮮に亡命だといってた、長州藩士もいたそうですし、結構、行き来があったと思います。
      外様の地方だと、独立性が高かったですから、鎖国といっても、名ばかりだったのではないでしょうか。

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