≪読者様へ≫

※連絡用ブログとツイッターのブックマークをお願いします。

※連絡用ブログ

※公式Twitter

※拙ブログの画像を使用して制作した動画が、youtubeで公開されていますが、管理人とは無関係です。皇室政治関係の動画は、作成も公開も行っておりません。


「御所千度参り」と「輪になって回り続ける動物たち」

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。
①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


※影武者制度、タブーなど、皇室記事一覧

※最近の皇室記事一覧


Sponsored Link

Sponsored Link

「御所千度参り」と「輪になって回り続ける動物たち」

輪になってぐるぐる回る動物たち

 

 

 

何週間も

 

電磁波が原因なのかあるいは・・・・・・

 

こういう動物たちの行動って、これを思い出すんですよね。

 

神殿・京都御所と御所千度参り

神殿・京都御所

何度も書いてますが、京都御所ってのは、代々、祭祀王の天皇の住まいであると同時に神殿なんですね。今の皇居は元徳川将軍の住まいをリフォームしただけの仮御所みたいな立ち位置です。

京都朝廷の常識として、本来なら、天皇であれ公家であれ、格下のものが使ったものは、衣類であれ、宝飾品であれ、住まいであれ、絶対に使わないんですけどね。例えば、ご懐妊した天皇のお妃が実家に宿下がりしてお子様を出産される時も、御実家の庭に新しい井戸を掘り、誰も使用したことのない井戸から組まれた水を産湯として使うきまりでした。

天皇と朝廷が新しい都へ遷都する場合、本来なら風水をみて、誰も使用したことのない土地、ケガレのない土地に新しい御所を作らないといけません。御所はすなわち祭祀王が祈りこむための神殿なんですから。

南北朝時代に、大覚寺が仮御所になった時期はありますが、あくまで仮御所であり、仮御所にしても、世俗から超越してる寺院を選んでいます。格下の武家の住まいで合戦という穢れのあった江戸城を、広いから、便利だから、という理由で皇居にしてしまう。明治新政府と明治天皇の正体は御察しです。間違いなく非日本人でしょう。

話は少しそれますが、男女間の因縁はいつから発生するのか、お付き合いを始めたときからか、あるいは、関係を持った時からか、入籍したときからか・・・・答えは入籍した時から、お互いの家や個人の因縁の影響を受けるそうです。いちおう、明治以後、首都は東京と認知されていますが、遷都令はだされていません。なので、今も真の首都は京都です。

平成、令和と、京都御所の高御座をヘリコプターで運んで即位式をやってますが、京都御所で即位しないと意味ないんですよね。つまり、平成、令和は天皇不在の時代であり、まだ昭和が続いてるんですね。

戦後、二代にわたって、異教徒の異国の工作員が天皇、皇太子の妻になってしまいました。

GHQ=CIAのエージェントでありカトリックである正田美智子

 

創価学会で北朝鮮系の小和田雅子

 

 

東京での即位式の世俗的な理由は、正田美智子が命じたから、令和は前例に従ったから、だと思うのですが、大きな何かが動いていて、神が2人の天皇とその妻の即位を認めないという事だと思ってるのよね。

ホロスコープでは改元の相が出ているのが再来年の2024年なんですが、この年が昭和99年なんですね。劇的でしょ。文仁天皇以降の即位式は、必ず、京都御所で挙行していただきたいと思う。そして、やっと昭和が終わるのだと思う。

で、ぐるぐる回る動物たちに話を戻しますが・・・これを思い出しました。

 

御所千度参り 天明の飢饉の時代、多くの人々があつまり京都御所の周りをぐるぐる回った事件

江戸城ではなく、京都御所、というのがポイントだと思う。

wikiより

御所千度参り(ごしょせんどまいり)は、天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件。

この御所千度参りは、天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、大坂などから来た者もいたという。

京都は人であふれ、後桜町上皇からは3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた。他にも、有栖川宮や一条家などでは茶が、九条家や鷹司家からは握り飯が配られた。

光格天皇がこの事態を憂慮し、京都所司代を通じて、江戸幕府に飢饉に苦しむ民衆救済を要求する。これは、禁中並公家諸法度に対する明白な違反行為であった。そのため、天皇の叔父でもある関白鷹司輔平も厳罰を覚悟して、同様の申し入れを行った。これに対して、幕府は米1,500俵を京都市民へ放出することを決定、法度違反に関しては事態の深刻さから、天皇や関白が行動を起こしたのももっともな事であるとして不問とした。

この背景には、天明の大飢饉や、同年4月に徳川家斉が将軍に就任した事から徳政を求める意味もあったと思われる。また、朝廷の行動が実際の救済行動に結びついたことで、尊王論の興隆の一因となった。

以上

 

幕末の「ええじゃないか」や、欧州の「集団乱舞」も、現代の「常態化しているダンスブームやイベントや商業施設」も、同じところがから来てると思うのね。

 

いずれも、生き物の集団本能から来てるんだろうなと思ったりする。

「ヤバい何か」の予兆なんだろうな、と。