奇皇后と美智子さま(中)最下層から皇后へ

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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奇皇后と美智子さま(中)最下層から皇后へ

続きです。

奇皇后

奇皇后の人生

1 高麗の最下層に生まれ、貢女=女奴隷の一人としてモンゴル皇帝に献上される、

2 皇帝に見初められて、奴隷からモンゴル皇帝の正式な妃・妻になり男子を生み準皇后に昇格。

3 皇后がなくなったため、準皇后から皇后へ昇格。

4 産んだ息子が皇太子となり皇帝となって皇太后に。

5 帝国が滅亡、奇氏の最後は不明

 

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奇皇后  

よく見れば、顔もミッチーに似ているのかも(笑)

 

 

奇皇后 – Wikipedia

高麗貢女
もともと高麗人・奇子敖の娘で、高麗貢女として元廷に献上された女性である。

宮女として順帝トゴン・テムル(在位1333年~1368年)の食膳の給仕などをしていたが、次第に順帝の寵愛を得たものである。

順帝には最初キプチャク族出身のダナシリ皇后がいて、奇氏は嫉妬にかられたダナシリからたびたび嫌がらせを受けたが、うまい具合に1335年ダナシリの兄が謀反罪で捕らえられ、ダナシリも謀反に加担したとして殺された。

 

嫉妬にかられたダナシリからたびたび嫌がらせを受けたとされていますが、美智子の「エア苛め」と同じで、あまりの下品さや勝手さを注意されただったのはないでしょうか。

最下層の国の最下層の女性で、しかも我の強い女性が後宮で皇帝の寵を得て我儘放題に振るまえたのですから、美智子のように暴走して秩序と風紀を乱してていた可能性があったと思いますね。見かねて注意されても、それを苛めととらえた可能性はあります。

 

wiki

その後1337年順帝には武宗カイシャンの皇后であった真哥皇后の姪で毓徳王ボロト・テムル(孛羅帖木兒)の娘であったコンギラト部出身のバヤン・クトゥク(伯顔忽都)皇后が冊立され、奇氏は次皇后となった。

 

さらに、タイミングよく、皇后が兄の不祥事が原因で失脚しています。偶然ではないように思います。何代にもわたって根を張った半島の出身官僚や宦官のネットワークが働いたのではないでしょうか。

大陸では、朝鮮女性が王妃になると国が亡びるのは常識だったようです。

「あってはならないこと」「ありえないこと」を止める人間がいないこと、自浄作用が失せている状態だったと思うのですが、何代にもわたって皇帝の宮廷内、後宮内にて、国士を排し、朝鮮宦官や官吏たちが根を張り「ありえないこと」を実現させるための下地が準備されてきたからではないかと思われます。

 

美智子の入内は、戦後はGHQの威を借りて宮内庁にカトリック系工作員が跋扈し、異教徒が皇太子妃になるという異常事態をつくる下地があったからこそ成立した結婚でした。

 

次皇后 wiki

バヤン・クトゥク皇后は皇子を1人生んだが、2歳で夭折している。

バヤン・クトゥク皇后はよくできた人物で、次皇后・奇氏が順帝の寵愛を得ても嫉妬ひとつせず、慎ましく暮らしていたという。

奇氏も暇をみては女孝経や史書を紐解く賢女で、飢饉で多数の死者が出たときには私財を投じて餓死者の埋葬や供養に当たったとされる。

奇氏はやがて待望の皇子アユルシリダラを生み、皇子は1353年皇太子に冊立された。

これ以後、奇氏は元朝皇太子生母として権勢を恣にする。

 

美智子の権勢は天皇をしのいでいますね。秋篠宮家、高円宮家へ産児制限を強制し、必要もないのに貴重な御所の雑木林を伐採させ動物たちを死滅させ、56億円をかけ宮殿を作らせました。マスコミを使って、反対した宇野首相を女性スキャンダルで失脚させています。下賤な美智子が、皇室を支配しているのがわかります。

即位式の報道でさえ、美智子が中心。まるで美智子の即位式のよう。

奇皇后は皇后、皇太后でおわりましたが、美智子の最終目的は、皇族の血統を根絶やしにしたあとは、「皇太子も愛子様もだめだ」「すばらしい美智子様しかいない」という世論をつくり誘導して自らが天皇になることでしょう。

それなら、秋篠宮家のみならず高円宮家に産児制限をしいて子供を作ることを禁止したこと、美智子様聖女伝説をマスコミを使って配布していること、一方では、莫迦の皇太子夫妻をやりたい放題させながらも、一方では悪評もまた広めていること、皇太子非難を制御するつもりも、皇太子のダメぶりを隠すつもりもないことなど、今までの行動が理解できます。

美智子は、皇族でない女性が日本史上初めて天皇に即位するという究極のジェンダーの実現を目指しているのでしょう。

 

wiki

このアユルシリダラも高麗の福安府院君・権謙如の娘を娶ることになる。

 

美智子が選んだ嫁は自分と同じ朝鮮系の小和田雅子。

美智子と同じ、日本社会の最下層に位置した同和地区にルーツを持つ江頭家と、なりすまし朝鮮人の小和田家の子孫のハイブリットでした。

 

維新後、かつての被差別民が解放されました。犬養(首相)、石橋(ブリジストン)、小林(阪急)、など、部落出身で大成した事業家や政治家も多く、活躍する朝鮮系の人も多いです。それは問題ないと思うのですが、中には日本社会への怨恨に駆られ反日、国賊となり工作員になる人間がおり、それが問題です。

美智子や雅子の入内の問題は、反日部落、反日朝鮮の出自であり、あきらかに皇室、日本破壊を目的として皇室に入ったことだということです。

 

 

高麗の動き wiki

一方、高麗では奇氏はもともと貧寒の家柄であったが、その娘が高麗王よりも高位である元朝次皇后・皇太子生母になったと大騒ぎになり、奇氏一門が権勢を振るうようになった。そして彼女の家が民を搾取した。

1351年反元の志を抱いて高麗王に即位した恭愍王はこれを快く思わず、1356年に奇氏一門を誅殺した。

これを恨んだ奇后は恭愍王の廃位を順帝に働きかけ、皇太子にも「祖父の仇を取れ」と吹き込んでいた。

1363年、順帝はついに恭愍王を廃位し、当時元の都、大都に滞在していた高麗王族を高麗王とする勅書を発し、兵1万を付けて高麗に向かわせた。

『元史』によるとこの時、倭人(日本人)も招かれて軍に参加したという。当時中国沿岸をうろついていた倭寇が元の傭兵となったものだろう。

しかし、鴨緑江を超えた元軍は高麗の伏兵にさんざんに打ち破られて逃げ帰り、奇后の面目は丸潰れとなった。

 

遺伝上の実家が没落したのも共通してますね。

TOKYO, JAPAN: (FILES) This file photo dated 13 October 2004 shows Yoshiaki Tsutsumi, Japanese billionaire and owner of Seibu property, bowing as he resigns as chief of all of his group companies over a false declaration on stockholdings in Tokyo. Tsutsumi, who was reputed to be the world’s richest man at the end of Japan’s “bubble economy”, will be indicted for allegedly lying in financial reports and insider trading when he headed the Seibu property, retail and railway empire, reports said 02 March 2005. AFP PHOTO/JIJI PRESS/FILES (Photo credit should read AFP/AFP/Getty Images)

美智子たちの真の実家である堤家の没落により西武グループは解体しました。

堤康次郎のころから義明まで、ほとんど治外法権にいる状態が続いていました。

初代の堤康次郎は、空襲で焼け野原になった土地を勝手に「堤家所有の土地」という立札をたてて横領してます。地主を集めて饗宴をはり、泥酔させ正体を無くさせてから書類に拇印をおさせて土地を強奪したりとやりたい放題です。

官とヤクザと同時に連携してなければできないことです。

二代目も酷かったですね。

 

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堤義明のヘリコプターを着地させるため、陸上自衛隊を使って雪のつもったスキー場を地ならしさせるとか、公私のけじめのない人でした。

なのに、突然、何の暴力装置も動かず救済措置も取られた気配がありません。堤はアメリカCIAから見捨てられたような気配があります。

「2015年ごろ日本は中国の一部になっている」「次の覇権国家は中国」という中国&キッシンジャー&ロックさんたちの計画をまるまる真に受けた結果、アメリカを裏切り中国と通じたからでしょうか。

そのあたりの事情はよくわかりませんが、闘わずして城を明け渡したかのように、あっけなく解体しましたね。

時列にしてみると、いかに堤家が美智子に力を与え、皇室に影響を与えていたかがわかります。

 

堤家の没落解体と皇室

まず、秋篠宮家に第二子が誕生した後、美智子が「雅子が傷つくから」という理由で、前代未聞の産児制限「子供を作るな」を強いていました。

写真は佳子様誕生後、泣きはらした顔で人前にでてくる雅子。

 

また、高円宮家も「男の子が欲しかったのだけど」、宮内庁より「今後子供を作らないように」といわれていたので、第三子の絢子女王が最後の子供になりました。

秩父宮妃は、「遠慮なさらず、どんどんお生みになったらいいのよ」と秋篠宮家に行ってたそうですが、粛清された首相や宮内庁職員も少なくなく、美智子の暴政と、それをささえる堤家の金と暴力に屈するしかありませんでした。

その堤家が突然没落します。

 

4月

 

【堤義明】辞職。

西武鉄道が総会屋に利益供与をしていたことが発覚(西武鉄道総会屋利益供与事件)し、経営の総責任者の座を降りた。

但し辞職したのは西武鉄道の会長職のみで、ライオンズのオーナー、コクド(2006年にプリンスホテルと合併し消滅)会長には留まった。

 

5月

東宮家】皇太子が雅子の人格否定を非難

10月

【堤義明】すべての会社の役員から辞職。上場廃止処分。

有価証券取引書への虚偽記載の責任を取り、コクドおよび西武鉄道をはじめとする、すべてのグループ会社の役員職から辞任する事を発表した。

これは後に拙部鉄道証券取引違反事件へと発展し、株式上場をしていた西武鉄道・伊豆箱根鉄道は東京証券取引所から上場廃止処分が下される。

 

【秋篠宮家】東宮へ反論。

秋篠宮様インタビューで(雅子の人格否定発言)逆襲。

 

2005年

3月

【堤義明】3日。逮捕

西武鉄道株式に関する証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、インサイダー取引)の疑いで東京地検特捜部に逮捕。

【堤義明】23日、東京地裁に起訴

10月

【堤義明】27日 有罪確定・執行猶予4年

一審の東京地裁にて懲役2年6月、罰金500万円、執行猶予4年(求刑懲役3年、罰金500万円)の判決。義明側・検察側とも控訴せず、判決どおり有罪が確定。

【秋篠宮家】受診。

週刊文春2006年2月23日号

紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「次の子を考えています」と内々にご相談があったのが秋頃でした。
ただ、ご相談があったからといって何か特別なことをしたわけではありません。
大事にしましょう。自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。

転載以上

※2006年の2月に、秋篠宮さま「東宮家に遠慮していたが、子供を作るお許しを得たので」という発言を掲載、御許しを得たのは堤が有罪判決をうけた後と思われ。

 

 

2006年

【堤義明】執行猶予中

9月

【秋篠宮家】悠仁親王誕生 各地で瑞祥が現れる。

黄金のナマズ、蘭「プリンセス・キコ」の開花、龍の雲、愛子さん誕生年から失敗続きだった神事が成功したなど、、、

www.youtube.com

愛子さん御誕生のおりには吉兆はありませんでした。

皇室掲示板で指摘されていましたが、堤康次郎が亡くなった後、第二子である文仁親王が誕生し、清子内親王が誕生しています。

文仁親王の処遇が酷い所を見ると、文仁親王と清子内親王の生母はミッチーズではなさそうです。堤康次郎が生きている間は、ミッチーズ以外の女性から明仁皇太子の御子がうまれることは許されたなかったのかもしれません。

重いので別けます。

続きます。

 

ニセモノが天皇に即位?