⑥いつから、3女の絢子さんは平民あつかいなのかという謎
カナダにゆかりありげなイヤリングをつけている「絢子さん」。
今回のご婚約報道をきっかけに、もともと、高円宮家の三女の絢子さんは平民ではないのかという疑問がでていました。
あくまで疑問です。
明治以後は、ああいう皇統ですから、生まれ持っての皇族の場合、普通に宮内庁公認のダブルがいて当たり前なのだとおもいます。
貞明も2人確認されます
天皇夫妻も複数確認されます
小和田雅子は、皇太子の配偶者になるまえから、ダブルが複数いてチームを作ってました。
雅子だけではなく、小和田家の人々も、父、母、妹たち、と複数おり、チーム「小和田家」を構成していたのがわかります。
美智子も、ご成婚前には「ヤンキー顔ミッチー」と、「オカメ顔ミッチ―」と2人おり、正田美智子とは正田家で育った「ヤンキー顔」とはべつの、別の「オカメ顔ミッチ―」がテニスコートに送られ、明仁皇太子とご成婚しました。
正田美智子は、ご成婚して皇太子の妻にはなれましたが、王族の世界では、皇太子の私的な結婚とみなされ、正式の妃としては認められていませんでした。「仲の良い」はずのベルギー王室の葬儀ですら、テロップでは、明仁天皇のツマ、正田美智子とされています。
※転載させていただきます。
フィリピンへ行ったときも、平民扱いされ、レイをかけてもらえず、明仁天皇とならぶことすら許されず、完全に職員扱いでした。
①到着時、美智子にはレイはかけられませんでした。アキノ大統領さすがによくわかってますね(笑)フィリピンでも国際法に則って「妾扱い」でした。
②観閲式の中、執拗に前に出ようとする美智子を、大統領と妹さんが笑いながら上手に阻止していましたね。大統領も安倍総理から、美智子の愚劣さを良く聞いていたのでしょう(笑)
佐伯美智子(次から堤美智子にしようかな(笑))にとって、入内以来、自分の出自の下賤さと素行不良で、宮中で孤立した際の、自分の味方は、
【美智子さまお可哀そう伝説】を垂れ流してくれるテレビジョンと高卒皇太子明仁だけでした。
それが、習性となって、根拠なき権力を持った今でも、自分が何が何でも先頭に立って、TVに映る時間を一番長くするのです。
(中略)
⑥動画にempressと言う表現が有ったので、在日フィリピン大使館に抗議の電話を入れました。
「美智子は国際法上は、皇后でも、皇族でもなく、天皇と同居しているだけの日本の最下層出身の女ですから、Michiko syoudaと呼称を改めてください。」
大使館職員「それは、良く知っています。こちらもわかっていてああしたのです。ご理解ください」との見解でした。フィリピンもちゃんと事実を理解してくれていてよかったです。
読者の方は良くご存知だと思いますが、念の為、佐伯美智子が皇后と名乗るのは僭称(嘘偽りの自己主張)です。日本は法治国家です。
皇室典範上【立后会議の承認】を経ていない、【立后会議さえ開かれていない】ので、皇后を名乗るのは明白な詐欺行為です。唯一言えるのは「元皇太子妃」こんな肩書きありませんよ(怒)
★皇族ですらありません。厳密に言うと住所不定無職の82歳の老婆です。元の穢多・非人に戻ったのです。支持しているのは朝日や毎日の左翼系メディアだけです。
平民より劣る新平民の女が、われわれ日本国民の血税3億2千4百万を、着物道楽や、世論の自分有利な誘導、印象操作、果ては、安倍内閣の倒閣工作資金にも好き放題使用しています。
以上
フィリピンでの待遇に根に持った美智子は、フィリピン大統領来日の晩餐会を台無しにするため、女性皇族はティアラなし、美智子のドレスを喪服のようなグレイに、花はショボイ、サラダのような盛り花、美智子は「アテクシは、気に入らない」をアピール。美智子たちは、公の観念がない国中国の朝鮮族ですから、あたりまえのように、日本と皇室の私物化に励んでいます。
しかしながら、経済大国第3位(実質2位)で世界最古の王朝で、かつ、世界で序列1位の天皇家に対しても、世界のプロトコルは、シビアで情け容赦がないですね。
晩餐会のようすをみるに、ダブルに対しても序列があるらしく、
①自国のサッシュをしている⇒公認されたダブル
➁自国のサッシュすらさせてもらえない⇒公認されてない、職員あつかい
と2種類あるようです。
スウェーデンで王太子と面会した絢子さんは、王太子の服装から見て、②と思われます。
さらに、2015年3月27日、ベルギーデンマーク王太子太子夫妻が来日した時、久子とツグコちゃんが対応していますが、典子さんはご成婚して皇籍から離脱したのでいないのはわかるのですが、、、、あれ、絢子さんがいないんですが??
ちなみに、絢子さんのwikiには、スウェーデンを訪問したことは書いていないんですね。
絢子さんがスウェーデンを訪問したのは、2015年11月、カナダを訪問したのは、2017年7月でしたね。卒業は2013年でした。
どうしたんだろう??
続きます。