【皇室】(8)岩崎弥太郎にしかみえない明治天皇の肖像画
続きです。 昭和天皇のお后は、久邇宮家の長女、良子女王でした。実母は島津家の七女です。 明治40年(1907)年、三菱の岩崎小弥太(29歳)は、島津孝子(20歳)と結婚しています。 孝子の父は、旧薩摩藩主島津家の分家の出…
続きです。 昭和天皇のお后は、久邇宮家の長女、良子女王でした。実母は島津家の七女です。 明治40年(1907)年、三菱の岩崎小弥太(29歳)は、島津孝子(20歳)と結婚しています。 孝子の父は、旧薩摩藩主島津家の分家の出…
続きです。 前回にも書かせていただきましたが、ユダヤ系ゴールドスミスの実子・ダイアナ妃と、ウィンザー王家のチャールズ皇太子と同じく、久邇宮家の良子女王と田布施の難波太郎のご縁談も、表と裏の「血の契り」だったのではないでし…
本日もお越しいただきありがとうございます。 続きです。 虎ノ門事件 ※素朴な疑問として、なんで皇太子暗殺未遂の碑なんかが、堂々とあるんでしょうね。 1923年(大正12年)12月27日 日本の東京市麹町区虎ノ門外において…
続きです。 『日本の本当の黒幕』 鬼塚英昭 P202~ ここで、難波大助について描くことにしよう。私は前章の「貞明皇后の子供たち」の中で、木戸幸一の「日記」の中に、 「1,難波大助の死霊——許嫁の…
続きです。 戦前生まれのかたの回想をよむに、大正から戦前までは、格差はあれども、階級の上下を問わず風紀はゆるやかだったようにみえますね。 貧しい朝鮮の家に生まれ、16歳で日本へ渡り苦学して東大へ入学したあと…
続きです なんとなく、明治から戦前の雰囲気がわかりますね。 皇室、宮家、財閥、「志士」「元老」といわれた孝明天皇と睦仁親王を暗殺して維新で成り上がった旧被差別民からでた支配層、ヤクザ、右翼、秘密結社、、、犯罪者も、国際金…
続きです。 明仁さんたちの肖像画を白黒にしたら、御真影の出来上がりですね。戦前の皇族の肖像写真は、リアリズムのきいた画風の肖像画を写真におさめて大量生産し配布されました。 これらは、写真ではなく上の明仁夫妻…
本日もお越しいただきありがとうございます。 5月21日【産経】両陛下の肖像画完成 ご即位後は初めて 宮内庁は21日、天皇、皇后両陛下の肖像画が完成したと発表した。ご即位後の姿を描いた両陛下の肖像画は初めて。画家で広島市立…
本日もお越しいただきありがとうございます。 大正天皇も複数いたのかな、という感じですが、、 A)大室顔の大正天皇、 B)AとCを合わせた肖像画(向って右半分がC、左半分がA) C)大隈重信顔の大正天皇 大正天皇の「脳病」…
本日もお越しいただきありがとうございます。 拙ブログでは、眞子様騒動以後、鬼塚史観を取り上げています。 鬼塚氏は、基本的に文献や当時の日記、当事者やそれにかかわる人への直接の取材、などをもとに検証されていま…
本日もお越しいただきありがとうございます。 「日本の本当の黒幕』 鬼塚英昭 P258 伊藤博文は盟友の元老井上馨を宮相にしようとした。井上馨は結局蔵相となり、山県有朋系の田中光顕が宮相に就任した。 この宮相…
本日もお越しいただきありがとうございます。 大正天皇、明仁皇太子、徳仁皇太子の妃を選ぶときの法則があるようです。 皇太子妃の選定の法則 1 お妃候補に宮家をはじめ複数の良家の子女が候補に挙がる。 ・大正天皇:伏見宮禎子、…