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貞明皇后の次男・秩父宮雍仁親王。170センチほどの長身でラグビーなどのスポーツも得意としており、頭脳は明晰、陸軍ではも人望が高かった宮さま。
子供のころ親王同士の兄弟同士の喧嘩があると、いつも、昭和天皇は次弟殿下に負けていたそうです。
鬼塚史観によると、長州藩山口県田布施の奇兵隊力士部隊の一員だった大室寅之助が、明治天皇にすり替わり皇統を簒奪しましたが、大正天皇は御子ができない体質で、貞明皇后に種馬をあてがいつくったのが、裕仁天皇をはじめ、親王たちだったと推測されています。
鬼塚氏は、昭和天皇の父が西園寺八郎という一般人であり、秩父宮の実父は、東久邇宮だったと推測しており、事実なら秩父宮は正当な皇位継承者といえますね。
日本の本当の黒幕 鬼塚英昭
P138
東久邇宮はパリで愛人との生活に耽溺していた。明治天皇の第9皇女聡子内親王を捨てたままだった。その彼は、たびたびの帰国命令を拒み続けていた。
結局、大正天皇の崩御と大葬を契機に、ロンドンに留学中だった秩父宮がパリに乗り込んで直談判し、ようやく帰国する。
私はこの秩父宮の行動に、父親への愛情を見る。
転載以上
226事件は、正統な皇統である秩父宮を天皇にするための「壬申の乱」だったという見方もあり、当時の関係者の記録や証言をつないでいくと、たしかに秩父宮が、このクーデターに積極的に参加していた可能性が高そうなんですね。
後で取り上げますが、秩父宮が、反乱軍に語ったところによると、クーデターを完遂した後は「天皇制を廃し自分は一時的に大統領のようなものになる。そのあとは、選挙で選ばれた人間が治めたらいい」というような発言をしていたとか。
鬼塚史観の真偽は別として、貞明皇后は長男の裕仁天皇とはそりがあわず、最も鍾愛した息子が、秩父宮雍仁親王だったのは確かだったようです。
秩父宮さまを取り上げる前に、ちょっと話題がそれますが、前世期がおわるころ、識者による「20世紀最大の事件」のランキングを統計した記事がおおくでました。
20世紀最大の事件のトップ2が、
1位 原爆投下
2位 ロシア革命、共産国家の誕生、
を、(1位と2位が逆転しているかたもいましたが)1位、2位に挙げる方が多かったように記憶しています。
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社会主義と共産主義のちがいについて
ヤフー知恵袋より(一部抜粋)
質問Q
二つ質問があります。
一つ目
国家社会主義と共産主義はやっていることが同じなんじゃないのかと思っているのですが違いはあるのでしょうか?
私の主観ですが、
国家社会主義・・・生産手段が国有化で政治体制が独裁体制
共産主義・・・生産手段が国有化にすることによって富の平等を目指す。そのために共産党の独裁をする。
だと思うのですがどうでしょうか?
これだとすると共産党か他の政党かというだけで、共産主義は国家社会主義に含まれることになると思います。
そうすると国家社会主義ドイツ労働者党が反共を行っていたのは何なのか?という気がしてくるのですが?
アンサー①
マルクス主義の究極の目的は、国家の廃棄です。
社会主義段階は、共産主義社会を作るために、国家の力を利用して、社会と人間を改造します。したがって、社会主義段階のマルクス主義国家と、国家社会主義の国家は極めて似ています。
ナチスとドイツ共産党は、社会民主党政権に対抗するために、地方レベルでは共闘しています。
独裁政治ですが、プラトンに始まる哲人政治の理想と、ドイツ観念論に於ける、その継承を考える必要があります。マルクス主義の別名である、科学的社会主義とは、科学信仰によって絶対化された、哲人政治です。
マルクス主義者は、唯物論を基礎とする科学的真理だという信仰があるから、大量虐殺ができるのです。
アンサー②
社会主義と共産主義はまるっきり違う概念です。
本当はくらべることすら意味がないかもしれません。
【社会主義】
そもそも社会主義ということばには、似て非なる二つの概念があります。
一つは、マルクス主義でいう共産主義への過渡期としての社会主義です。以前のソビエトや今の中国が自称する社会主義というのはこの意味においてです。
しかし、ヨーロッパ諸国(恒常的に約半数の国が労働党や社民党系)の社会主義というのは、ちょっと違います。
別に共産主義国家を目指しているわけではないからです。少なくとも短期的にはどの党も目指してはいません。
社会主義を簡単な別のことばに言い換えることが可能です。それは「大きな政府」による政治、ということです。一方、本来の自由資本主義というのは「小さな政府」による政治ということになります。
要は、政府が社会に大きく関与するかどうかなのです。
(ちなみに日本は、明治維新以来、戦中も戦後もずっと大きめな政府であり、その意味では社会主義的な傾向の強い資本主義国ということができます)中略
【共産主義】
共産主義は、生産手段の国有化を目指す思想ではありません。基本的には、宗教を頼りとせず、国境がなく、平等で平和な世界という理想を求める思想です
(個人的には理想はすばらしいと思いますが、それが実現するとは永久に思えません)。
国有化や政府により計画経済などというのは一つの手段です。もちろん、いきなり国境をなくします!、宗教は廃止!、なんて宣言したところで何も意味がありません。当面の間は政府の強力な関与が必要なわけです。この関与の部分が大きな政府と似ているところであり、社会主義と似ているところなのです。
同じ小麦粉を練っていても、できるものが肉まんとカルボナーラくらい違うのです。転載以上
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)
反ユダヤ主義と、労働者および中産階級の救済を掲げたナチス党
ナチスドイツは、戦争がおわってから、人体実験をしていたとされるアウシュビッツなる施設の存在が広まり問題視されましたが、ナチス党の結党からヒットラーがカリスマになり政権をとってから戦前のある時期までは、結果をだしていた社会主義的な政権として認識されていたようです。
政権をとったナチス党は、水晶の夜などの問題や極端な反ユダヤ的政策が問題を引き起こしまし、最終的にドイツを焦土にしまいたが、その反面、我が国の民主党政権を彷彿させる愚昧なワイマール共和国を解体し、その弊害を取り除いて労働者のための政治をバリバリ実行していました。過度なユダヤ人排斥や人種差別は問題があるにせよ、第二次世界大戦がなければ、あるいは、戦争前にヒトラーが死んでいたら、ヒトラーは「北ヨーロッパにありがちな白人至上主義的差別主義者で、病的な潔癖症な政治家」でありつつも、実績をのこした政治家として名前が残っただろうと指摘する方も多いですね。
秩父宮が、ドイツを訪問した動画が残っています。1937年ニュルンベルグでの式典。ヒトラーの招待によるものだとか。
さらに、アメリカに端を発する大恐慌がおこりましたが、
社会主義体制に移行していたソビエトには影響せず、戦前までは、社会主義国家の情報統制が徹底しており、全体主義のおかげもあって、社会主義の矛盾や問題がそれほど世界に露見し拡散していない時期が続いていました。
一方、日本では維新後、格差が広がり二極化し、大多数の国民の間には「いつ、絶対的な貧困におちてもおかしくない」時代が続いていました。
『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英昭
秘の章 天皇ヒロヒトは南進策をとった
P454
笠原和夫らの『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』の一部を紹介した。この本の中に書かれていることに注目したい。
笠原
そう。つまり絶対的な貧困なんですよ。努力して何とかすれば、もう少しいい生活が送れるというものじゃないんですよ、上に天皇制がある以上は!
天皇制があって軍部があって、軍隊に徴兵されちゃいえば何もかも全部パアになっちゃう。そういうものが頭にズシーンとのしかかっている中での貧乏というのは、そう呼んでいいのかわからないけれども絶対的貧乏なんですよ。それが今の人にはわからない。
絓
その「絶対」というものが、おそらく天皇制の絶対制とどこか通じるんだと思うんですよ。
笠原
そうです。通じるんです。で、もうどうにもならないというね。
私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていた過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。
以上
明治維新は、士農工商の廃止による平等社会の実現をうたっていまいたが、士農工商は廃止されたものの、戸籍は華族、士族、平民、新平民と分類されて意味がなく、新しい強固な階級ができあがりました。幕末に「尊王志士」とは名ばかりの被差別民が、偽天皇をかついでクーデターを起こして成り上がり、日本国民に対する、「かつての被差別民の復讐心まるだし」な無慈悲な圧制が敷くかまえをみせ、一握りの支配層と、それを支える圧倒的多数の家畜としての国民という構造が出来上がってしまいました。社会構造が、技術は近代化したものの、構造は中世以前の荘園時代以前に退化したとも言えます。
華族や三井などのブルジョワは、ろくに税金も払わず舶来ものに囲まれて贅沢三昧で暮らしている一方で、重税に押しつぶされて貧困に落ちる人々が多く生まれ、その多くが、華族の屋敷や士官学校の残飯を小銭で買いもとめる貧民となりました。華族や財閥は、一晩の快楽や贅沢な買い物のために気軽に100円をつかうが、貧しい家では娘の青春を泣く泣く100円で売らなくてはならない、そんな時代でした。
維新後、江戸時代より格差が広がり、徴兵制が敷かれて国民は苦役ばかりが増え「絶対的貧困」が広がる社会ができあがります。「国を思う純粋な若者によってなされた革命、日本の夜明け・明治維新」なんてのは詐欺といえるでしょう。
戦前、日本のブルジョワや支配層にも、小作人などへの同情心や罪悪感、社会制度に対する疑問から、社会主義に対して(程度の重軽はそれぞれとしてあるにせよ)傾倒する人も多かったようです。
本題に入りますが、秩父宮さま。
この方、共産主義者でもマルクス主義でもなかったと思いますが、筋金入りの無神論者で社会主義者だったかも、と思うところがありますね。
そう考えると、秩父宮殿下の不可思議だった行動が理解できるところが多いです。
続きます。