※人気ブログランキングに参加しています

秩父宮雍仁親王①

Sponsored Link

本日もお越しいただきありがとうございます。

貞明皇后の次男・秩父宮雍仁親王。170センチほどの長身でラグビーなどのスポーツも得意としており、頭脳は明晰、陸軍ではも人望が高かった宮さま。

子供のころ親王同士の兄弟同士の喧嘩があると、いつも、昭和天皇は次弟殿下に負けていたそうです。

 

鬼塚史観によると、長州藩山口県田布施の奇兵隊力士部隊の一員だった大室寅之助が、明治天皇にすり替わり皇統を簒奪しましたが、大正天皇は御子ができない体質で、貞明皇后に種馬をあてがいつくったのが、裕仁天皇をはじめ、親王たちだったと推測されています。

鬼塚氏は、昭和天皇の父が西園寺八郎という一般人であり、秩父宮の実父は、東久邇宮だったと推測しており、事実なら秩父宮は正当な皇位継承者といえますね。

日本の本当の黒幕 鬼塚英昭

P138

東久邇宮はパリで愛人との生活に耽溺していた。明治天皇の第9皇女聡子内親王を捨てたままだった。その彼は、たびたびの帰国命令を拒み続けていた。

結局、大正天皇の崩御と大葬を契機に、ロンドンに留学中だった秩父宮がパリに乗り込んで直談判し、ようやく帰国する。

私はこの秩父宮の行動に、父親への愛情を見る。

転載以上

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17103

 

226事件は、正統な皇統である秩父宮を天皇にするための「壬申の乱」だったという見方もあり、当時の関係者の記録や証言をつないでいくと、たしかに秩父宮が、このクーデターに積極的に参加していた可能性が高そうなんですね。

後で取り上げますが、秩父宮が、反乱軍に語ったところによると、クーデターを完遂した後は「天皇制を廃し自分は一時的に大統領のようなものになる。そのあとは、選挙で選ばれた人間が治めたらいい」というような発言をしていたとか。

鬼塚史観の真偽は別として、貞明皇后は長男の裕仁天皇とはそりがあわず、最も鍾愛した息子が、秩父宮雍仁親王だったのは確かだったようです。

秩父宮さまを取り上げる前に、ちょっと話題がそれますが、前世期がおわるころ、識者による「20世紀最大の事件」のランキングを統計した記事がおおくでました。

20世紀最大の事件のトップ2が、

1位 原爆投下

 

2位 ロシア革命、共産国家の誕生、

を、(1位と2位が逆転しているかたもいましたが)1位、2位に挙げる方が多かったように記憶しています。

 

Sponsored Link



 

社会主義と共産主義のちがいについて

ヤフー知恵袋より(一部抜粋)

質問Q

二つ質問があります。
一つ目
国家社会主義と共産主義はやっていることが同じなんじゃないのかと思っているのですが違いはあるのでしょうか?
私の主観ですが、
国家社会主義・・・生産手段が国有化で政治体制が独裁体制
共産主義・・・生産手段が国有化にすることによって富の平等を目指す。そのために共産党の独裁をする。
だと思うのですがどうでしょうか?
これだとすると共産党か他の政党かというだけで、共産主義は国家社会主義に含まれることになると思います。
そうすると国家社会主義ドイツ労働者党が反共を行っていたのは何なのか?という気がしてくるのですが?

 

アンサー①

マルクス主義の究極の目的は、国家の廃棄です。

社会主義段階は、共産主義社会を作るために、国家の力を利用して、社会と人間を改造します。したがって、社会主義段階のマルクス主義国家と、国家社会主義の国家は極めて似ています。

ナチスとドイツ共産党は、社会民主党政権に対抗するために、地方レベルでは共闘しています。

独裁政治ですが、プラトンに始まる哲人政治の理想と、ドイツ観念論に於ける、その継承を考える必要があります。マルクス主義の別名である、科学的社会主義とは、科学信仰によって絶対化された、哲人政治です。

マルクス主義者は、唯物論を基礎とする科学的真理だという信仰があるから、大量虐殺ができるのです。

 

アンサー②

社会主義と共産主義はまるっきり違う概念です。

本当はくらべることすら意味がないかもしれません。

【社会主義】

そもそも社会主義ということばには、似て非なる二つの概念があります。
一つは、マルクス主義でいう共産主義への過渡期としての社会主義です。

以前のソビエトや今の中国が自称する社会主義というのはこの意味においてです。

しかし、ヨーロッパ諸国(恒常的に約半数の国が労働党や社民党系)の社会主義というのは、ちょっと違います。

別に共産主義国家を目指しているわけではないからです。少なくとも短期的にはどの党も目指してはいません。

社会主義を簡単な別のことばに言い換えることが可能です。それは「大きな政府」による政治、ということです。一方、本来の自由資本主義というのは「小さな政府」による政治ということになります。
要は、政府が社会に大きく関与するかどうかなのです。
(ちなみに日本は、明治維新以来、戦中も戦後もずっと大きめな政府であり、その意味では社会主義的な傾向の強い資本主義国ということができます)

中略

【共産主義】

共産主義は、生産手段の国有化を目指す思想ではありません。基本的には、宗教を頼りとせず、国境がなく、平等で平和な世界という理想を求める思想です

(個人的には理想はすばらしいと思いますが、それが実現するとは永久に思えません)。

国有化や政府により計画経済などというのは一つの手段です。もちろん、いきなり国境をなくします!、宗教は廃止!、なんて宣言したところで何も意味がありません。当面の間は政府の強力な関与が必要なわけです。この関与の部分が大きな政府と似ているところであり、社会主義と似ているところなのです。
同じ小麦粉を練っていても、できるものが肉まんとカルボナーラくらい違うのです。

転載以上

 

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)

反ユダヤ主義と、労働者および中産階級の救済を掲げたナチス党

ナチスドイツは、戦争がおわってから、人体実験をしていたとされるアウシュビッツなる施設の存在が広まり問題視されましたが、ナチス党の結党からヒットラーがカリスマになり政権をとってから戦前のある時期までは、結果をだしていた社会主義的な政権として認識されていたようです。

 

政権をとったナチス党は、水晶の夜などの問題や極端な反ユダヤ的政策が問題を引き起こしまし、最終的にドイツを焦土にしまいたが、その反面、我が国の民主党政権を彷彿させる愚昧なワイマール共和国を解体し、その弊害を取り除いて労働者のための政治をバリバリ実行していました。過度なユダヤ人排斥や人種差別は問題があるにせよ、第二次世界大戦がなければ、あるいは、戦争前にヒトラーが死んでいたら、ヒトラーは「北ヨーロッパにありがちな白人至上主義的差別主義者で、病的な潔癖症な政治家」でありつつも、実績をのこした政治家として名前が残っただろうと指摘する方も多いですね。

 

秩父宮が、ドイツを訪問した動画が残っています。1937年ニュルンベルグでの式典。ヒトラーの招待によるものだとか。

さらに、アメリカに端を発する大恐慌がおこりましたが、

社会主義体制に移行していたソビエトには影響せず、戦前までは、社会主義国家の情報統制が徹底しており、全体主義のおかげもあって、社会主義の矛盾や問題がそれほど世界に露見し拡散していない時期が続いていました。

 

一方、日本では維新後、格差が広がり二極化し、大多数の国民の間には「いつ、絶対的な貧困におちてもおかしくない」時代が続いていました。

『日本のいちばん醜い日』 鬼塚英昭

秘の章 天皇ヒロヒトは南進策をとった

P454

笠原和夫らの『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』の一部を紹介した。この本の中に書かれていることに注目したい。

笠原

そう。つまり絶対的な貧困なんですよ。努力して何とかすれば、もう少しいい生活が送れるというものじゃないんですよ、上に天皇制がある以上は!

天皇制があって軍部があって、軍隊に徴兵されちゃいえば何もかも全部パアになっちゃう。そういうものが頭にズシーンとのしかかっている中での貧乏というのは、そう呼んでいいのかわからないけれども絶対的貧乏なんですよ。それが今の人にはわからない。

その「絶対」というものが、おそらく天皇制の絶対制とどこか通じるんだと思うんですよ。

笠原

そうです。通じるんです。で、もうどうにもならないというね。

 

私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていた過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。

以上

※詳細はこちらから

 

明治維新は、士農工商の廃止による平等社会の実現をうたっていまいたが、士農工商は廃止されたものの、戸籍は華族、士族、平民、新平民と分類されて意味がなく、新しい強固な階級ができあがりました。幕末に「尊王志士」とは名ばかりの被差別民が、偽天皇をかついでクーデターを起こして成り上がり、日本国民に対する、「かつての被差別民の復讐心まるだし」な無慈悲な圧制が敷くかまえをみせ、一握りの支配層と、それを支える圧倒的多数の家畜としての国民という構造が出来上がってしまいました。社会構造が、技術は近代化したものの、構造は中世以前の荘園時代以前に退化したとも言えます。

華族や三井などのブルジョワは、ろくに税金も払わず舶来ものに囲まれて贅沢三昧で暮らしている一方で、重税に押しつぶされて貧困に落ちる人々が多く生まれ、その多くが、華族の屋敷や士官学校の残飯を小銭で買いもとめる貧民となりました。華族や財閥は、一晩の快楽や贅沢な買い物のために気軽に100円をつかうが、貧しい家では娘の青春を泣く泣く100円で売らなくてはならない、そんな時代でした。

維新後、江戸時代より格差が広がり、徴兵制が敷かれて国民は苦役ばかりが増え「絶対的貧困」が広がる社会ができあがります。「国を思う純粋な若者によってなされた革命、日本の夜明け・明治維新」なんてのは詐欺といえるでしょう。

戦前、日本のブルジョワや支配層にも、小作人などへの同情心や罪悪感、社会制度に対する疑問から、社会主義に対して(程度の重軽はそれぞれとしてあるにせよ)傾倒する人も多かったようです。

本題に入りますが、秩父宮さま。

Embed from Getty Images

この方、共産主義者でもマルクス主義でもなかったと思いますが、筋金入りの無神論者で社会主義者だったかも、と思うところがありますね。

そう考えると、秩父宮殿下の不可思議だった行動が理解できるところが多いです。

続きます。

 

脱出をこころみるも、、、

turtle almost got away

 

◆人気ブログランキングに参加しています


人気ブログランキング
Sponsored Link
Sponsored Link

お願い

コメント欄にいただいたコメントは、記事に転載させていただくこともありますので、ご了承ください。非公開、転載不可の場合はあらかじめ、その旨お伝えください。

※メールアドレス欄は無記入でもコメントができる設定になっております。

13 件のコメント

  • こんにちは、戦前の貧しさの大きな要因は日韓併合(台湾も含む)による血税の投入です。
    教育から医療、インフラ設備に莫大な日本国民の税金が使われました。
    鬼塚氏はやたら明治維新を批判していますが、それ以前の江戸時代だって貧困はあったし飢饉ともなれば
    娘の身売りが行われました。今の平成の時代と比べること自体がナンセンスで当時の武士階級よりも
    今の一般庶民の方がいい暮らししているんです>(大名クラスは別ですが、それでも医療に関しては・・)
    維新の前と後で大きな違いがあるとすれば日韓併合です。
    国防上仕方なかったとはいえ、併合さえなければ日本はもっと豊かだったのは確実です。
    そういう意味では江戸時代の方が良かったかもしれませんが、当時のアジア諸国の中ではダントツに豊かで
    先進的な国家でした。
    パヨクは絶対認めませんが戦後の日本の繁栄は朝鮮と縁が切れたことです。完全ではないですが
    そんな客観的時代背景も考慮せず、天皇制に全ての責任を押し付ける氏の主張はどうかと思います。
    あまり知られてないことですが江戸時代の被差別階級の中には固定された職業の中で豊かな生活をしていた
    者もいました。全部が全部ではありませんが
    維新で特権をうしなったものは何も武士階級だけでなく専売特許のような職業に従事していたエタ非人も同じなんです。皮革の仕事をしていたのが安い高品質の外国産の革製品に押され失業したんて言っていますが
    彼らの恨み節を聞くに付けエタがエタを搾取し、朝鮮人が朝鮮人を虐げている現実から目を反らしているように思うです。
    被差別階級だからと惨めな生活を送っているわけではなく同じエタを搾取して私腹を肥やしている連中だっているのです。北朝鮮の金一族やミテコの正田家なんてその代表です。
    氏の天皇すりかえ説に関しては一考はありますがそれ以外の階級闘争史観的考え方には同調できません。
    田布施なるものが本当に存在するかどうかわかりませんが、あの地位や権力、名声に対する異常なまでの執着は一代限りのものではなく子々孫々にわたって連綿と受け継がれてきたものが感じられます。
    同じ朝敵でも将門は神になりましたが田布施はどうなんでしょうね?
    興味深いのは家康が将門の怨霊を江戸の守護神にしたのに対し明治政府は封じ込めようとしました。
    よほど、皇位簒奪者たる大室にとって都合の悪い存在であったのかこのあたりは調べてみようと思っています。それでは

    • いろいろな考え方がありますね。
      >戦前の貧しさの大きな要因は日韓併合(台湾も含む)による血税の投入です。
      たしかに、日韓併合は赤字でしたし、戦後、植民地を手放したことで、面倒をみなくてすむようになったとはいえ、やはり莫大な額の経済援助を旧植民地に対してしているので、やはり面倒を見ていることには変わらないと思います。
      先に植民地になった温暖な台湾の経営は黒字でしたが、あのまま統治が続いていれば、日本化が進み、朝鮮半島でも回収はできたと思いますけどね。
      半島にはいろいろと思うところがありますが、なんでもかんでも、朝鮮のせいにするのもちょっとどうかな、という気がします。
      重要な事項から目をそらせるためによくつかう、在特会系の論法ににているのがきになります。

      >パヨクは絶対認めませんが戦後の日本の繁栄は朝鮮と縁が切れたことです
      大きな要因の一つではありますが、もっと大きな要因は、なんだかんだで、日米安保と「平和憲法」をまんまと利用して、軍事大国から経済大国へチェンジできたことでしょう。
      さらには、華族制度の廃止、そして、ある程度公平な税率など、社会階級と構造が大きく変わったことでしょう。
      戦前の格差と国民の貧困の拡大の理由は、搾り取られた血税が植民地経営にまわり、かつ、皇族華族をはじめとする、特権階級が税金を払わなくていいという特権があったため、国民への負担が巨大だったことが大きかったと思います。
      スイス銀行の天皇名義になって保管されいたはずの日清戦争の賠償金をはじめ、麻生太郎の先祖の牧野伯爵も吉田茂も生前に相続したり築き上げた莫大な財産は亡くなった時には、なぜか、消えてしまっています。
      吉田茂の相続にも今の天皇さんも、相続人は、それにみあった相続税らしきものを払っていません。
      平成になって、パナマ文書などに見られるように、税制の公平性が失われることで、二極化がすすみ格差社会が激しかった戦前に逆戻りをしているのが憂慮されます。

      >天皇制に全ての責任を押し付ける氏の主張はどうかと思います。
      受ける印象は人それぞれですが、鬼塚氏の一連の著書を読むに、そういう論調には感じられませんね。
      多少、氏の著書をよむと、氏が社会改修制度にたいして、なにか恨みがあるな、という匂いがありますが、基本的に、氏の著書は史実と事実を並べて線をつなぎ、絵を描いているだけだと理解しています。

      >当時のアジア諸国の中ではダントツに豊かで先進的な国家でした。
      維新以前から日本は世界一の国でした。だからこそ、平安文化や武家と朝廷の2権分立の幕府制度や、戦国時代では兵器を輸出していた輸出大国だったし、江戸時代は資本主義が栄えてました。
      西洋化したから世界第一の国になったのではなく、もともと世界第一等の国であり文明だったからだとおもいます。
      大国になったのは、日本国民が文化と文明の蓄積があってのことであり、国民のレベルの高さによるものです。
      我が国が、豊かだったのは今も昔も変わらないですね。

      >田布施なるものが本当に存在するかどうかわかりませんが、
      実際に地名があり、存在しており、グーグルマップで拝見できますし、そこから多くの支配層が出ているのは無視できない現実なんですけどね。
      岸さんも安倍ちゃんも、戸籍は田布施にありますしね。

  • でれでれ様、こんにちは。

    江戸時代までの日本が色々な分野で大変優れており、ヨーロッパ諸国と比べましても先進国と言える社会を実現していたにも関わらず、西洋に比べ遅れていたというような風潮や刷り込みに我々は騙されて来たと思います。西洋より遅れていたのではなく、西洋とは異質なだけ、異質な物を受け入れられないのは一つの神様しか認めない一神教的発想によると思います。日本はその辺は日本語の特質とも関係する(カタカナ表記の外来語)と思うのですが、異質な物を取り入れ消化しまた新たな物に変化させるという柔軟性があると思います。一神教には無い良さを世界に向け発信して行けたらと常々考えております。

    さて、話は変わりますが今朝のTBSの番組は皇室を取り上げていました。まとめると女性皇族の洋服は着回しであるとか、ミテコの皿帽子は相手への思いやりの表れであるとか、ミテコが蚕の世話をしている映像の紹介とか、皇室は質素倹約を心掛け養蚕等伝統の継承に励んでおりますアピールでした。思わず笑ったのが着回し最多がなんとマタコのあのオランダしわしわカーテンドレスで計8回だそうですが、あれはジジンの借金返済が大変で衣装代も出なかったからではないのかと、、。最近、皇室の税金の無駄遣い(ミテコの毎回新調皿マント服への批判とか)に国民からの批判が多く寄せられているのかなと想像してしまいました。ミテコは一々テレビに言い訳させるので分かりやすいですね。まぁ、本当の貴人なら国民の雑音に一々神経質にならず馬耳東風というか
    泰然自若を決め込むでしょうから、うわべをいくら取り繕ったところでお里が知れるというものですね。テレビが最近、頻繁に皇室ネタを入れるところを見ると、国民はどっちらけで生前退位もナル即位もキムコム偽眞子にも反応が無いんでしょうねぇ。見て見てミテコの目立ちたがり病には国民の無視が一番こたえるのではないかしらね(笑)。

    • マスコミは、肝心なことは報道しませんからね。
      着回ししなくていい場で、ボロボロのドレスを、しかも、指定されたドレスコードでないものを着てくる雅子は、やはりおかしいのでしょうね。
      >本当の貴人なら国民の雑音に一々神経質にならず馬耳東風というか泰然自若を決め込むでしょうから
      これなんですよね。
      取り繕えば取り繕うほど、正体がばれてしまいますね。

  • 丁寧なご指摘をくださりありがとうございます。
    ちょっと説明が足らなかった点はご容赦ください。とにかく戦前、白人至上主義の植民地支配が当たり前でアボリジニ狩りが平然と行われるような世相で日本が独立を守り、唯一非白人国家で欧米と対峙して行こうとしたら国民に大変な負担を強いることになります。
    (真っ先に植民地になったという説もありますが、民度が高く話が通じやすいという点では最初は扱いやすかったかもしれませんが段々思い通りにいかなくなったというのが真相ではないでしょうか、日清日露での勝利など)
    華族制度もつまるところ幕府時代の不良債権で、実際に不平士族の不満が爆発して西南戦争を引き起こしているし、決して差別を正当化するわけではありませんが完全なる平等なんて行き着く先は内戦による殺し合いなんです。
    それでも、1929年の世界大恐慌で株主だった華族は相当酷い目にあったみたいです。
    うちの父方の曽祖父は私財を投げ打って銀行の倒産を防いだと聞いています。(十五銀行ではありません)
    その後太平洋戦争で敗戦をきし、華族制度が廃止されでれでれ様の言う公平な税制の実施はGHQの民生局の主導でした。この民生局はアカの巣窟でアメリカ国内でできない社会主義的改革を次々に日本で行いました。ちなみに宮本 顕治や徳田 球一の釈放をしたのもこいつらです。
    財閥解体、組合や労働者の権利をかかげ同じGHQの参謀部と激しく対立しています。
    もう単純な反米や国粋主義、愛国心では語りきれないものがあるんですわ
    一部感情的になってしまいましたが(反省)この後に来る東西の冷戦がまた日本を利し、いろんあ偶然と必然が絡み合って今日の繁栄を築き上げて来たことを思うとご先祖さまにありがとうがいいたいです。
    *田布施、調べてみましたが確かに地名として存在しますね、本当にそんなすごい陰謀が渦巻く
    所なんでしょうか特に山口、友達もいて何回か遊びに行ったことあるんですがサファリと萩しかない
    ような田舎なんですが、まあ、安倍氏が田布施出身でも現時点では彼が一番総理に相応しいと思っています

  • 管理人さま

    初めまして、いつも興味深い記事を読ませていただき、ありがとうございます。
    以前は多くのかたがたと同じように、愛子さまの影武者?とか聞いても、なんのこと〜??とさして気にもしておらず、皇室の話題にも特段の興味もなかったのですが、いつだったか、ガールズチャンネルのトピで投稿されていた写真をまじまじと見たら、どう見ても別人が複数いることに驚愕&深く納得し、当然のように?こちらのブログを訪問するようにはなりました。呆れる程の新参者です。
    コメントを投稿される読者の皆さまの知識の深さや慧眼ぶりもすごくて、参考までに。と紹介されているブログを覗きに行くこともあります。
    最近は更新されていない状態のものも多く、書いてる方の事情は多々あるでしょうが、単純なアタマで考えると、世に言うところの陰謀論に近いものを取り上げると、人知れず嫌がらせや誹謗中傷コメントや増えるからかな…と。
    上記のガルちゃんも、眞子さまがブータンから帰国された頃には、顔が変わった?髪質が違う?小室と海の王子は別人だよね?などと話が出来たのですが、今となっては…惨憺たるものです・笑

    以前こちらで、陰謀論とは元々はロックフェラー家が行ってきた悪事に対する糾弾・告発でもあった、というのを読んだ時、確かにトンデモ論も多いでしょうが、必要以上に否定されるのは逆に…と思うようにもなりました。
    何故あそこまで頑なに否定&中傷するのか?と不思議な時がありますからね。

    先ほどもバラエティ番組の穴埋めクイズだというのに、いきなり!森友の文書改ざんがアピールされていて、さすがテレビ朝日ですね。
    これだって、TV局が意見誘導したいが為の小細工の1つでしょう。しょぼいですが、まんまインプットされる人もいる筈。

    とりとめなくなってしまいました、下手
    な文章でお目汚しして、申し訳ありません。
    これからも読ませていただきますね。

    • マスコミも、リベラル派の議員も、もう決着がついているはずの森友しかネタがないのが哀れですね。

  • 鬼塚史観にも間違いはあるでしょうが、ざっくりと明治政府の陰謀および明治天皇偽者説に賛成します。
    私なりの理由は以下です。
    1明治天皇は父である孝明天皇を祭らなかった。
    孝明天皇を玉鉾神社に祭ったのは 旭形亀太郎氏で、それも伊藤博文が生存中は許可されなかった。(明治32年)昭和15年になって皇紀2600年の故か、平安神宮に桓武天皇と共に祭神。
    父の社をつくらないのに明治2年には湊川神社(楠木正成)や鎌倉宮(護良親王)を祀る神社の造営を命じています。
    これ、おかしいでしょ!です。ニセ!だからできることです。
    さらに、さもさも南朝だアピールもあざとい。

    2東京遷都
     偽者は顔を知っている人の多数いる京都にはおられないでしょう。江戸城に入るとは、外様藩積年の恨みを晴らすと言うことでもあるか。そもそも、武士は公家から見たら「下々」のはずなのに、なんでその住まいに入るのか、これはおかしいです。

    私は、この2つだけで偽者だよね、と思います。

    ★伊勢神宮と一神教
    国家神道とは、いわゆる一神教的発想です。キリスト像を拝むように天皇のご真影を拝む。何故伊勢か。伊勢はお伊勢参りとか、おかげ参りとかで庶民に浸透していたこと、縁起をたどると天皇制や国家神道に一番利用しやすいとということでははないかと思います。おかげ参りは裏仕掛け人がいたと思うのですが、意外とイエズス会の兵士がそれを仕掛けたか、とか妄想します。来たるべき明治のために。そもそも伊勢への天皇参拝は江戸期までは無かったはずです。明治以降。
     伊勢は江戸期はまさに庶民の参拝の場で農耕と深い関係があります。よい種籾(品種改良されたものとか)の交換や交流の場であったということを読んだことがあります。伊勢に奉納される米(種籾)でしょうかね。
     伊勢は伊勢大神という地の神様がおられるはずです。古代からパワースポットとして「イヤシロチ」であったと思います。明治政府に利用されたんですよね、きっと。毎年、崇敬会員として御垣内参拝にてお伊勢参りをしますが、「皇室」の臭いはしません。特に内宮は優しく気持ちのよい場所でイヤシロチだと実感します。ちなみに、先日来た崇敬会便りは、平成皇室の誰もが掲載されていなくて、すっきりというか何だか晴れ晴れ感あります。あれ…平成皇室、伊勢と縁切れか?と思いました。
    平成皇室の悲惨さは露骨に私利私欲のみ、だからでしょうね。
    明治から昭和まではひどい時代であったとは言え「私利私欲のみ」→のみって事はなかった。「志」のようなものが偽者なりに多少なりともあったから持ちこたえた気がします。
    それとだまされていた日本列島民の気の良さでしょうか(苦笑)

    鬼塚史観というヒントをいただいて、歴史を見直す機会をいただきました、感謝。
    この視点で見るとさまざまな事象が陰影と重層を帯びて見えます。

    • 隠れ南朝をかたり、皇居まえに南朝の英雄である楠公の銅像をたててますが、明治天皇となった大室寅之助は、南朝でですらない身の上ですからね。
      太平記を聞きかじっているうちに、自分たちがそうだという妄想から発しているのでしょうが、半島の茶道、華道、剣道のように、やはり襤褸が出てきます。

  • 連投をお許し下さい。
    少し、忙中閑ありの時間ができたので・・・ぼんやり思っていたことをまとめてみました。
    ・・・・・・・・・・・・・・
    江戸期は公式的には鎖国だけれど・・・実はけっこう開かれていたように思います。

    タイのアユタヤ日本人町、ベトナムのホイアンでは日本人の墓だの日本人がつくった橋だのは今も残っています。台湾の鄭成功の母は日本人です。
    北海道の礼文の資料館で知ったのは「ラナルド・マクドナルド」で、英国人とアメリカインディアン(原住民)の混血で、親族から日本人は私たちのルーツだと教えられてあこがれて船員として日本近くまで来て密入国。北海道の焼尻について利尻まで移動。やがて長崎通詞達に英語を教えたとか。

    これらは旅先で見聞したことですが、日本の「南」は鎖国期も公式的にも非公式的にも外に向かって開いていたように思います。
    そもそも、あのイエズス会がそう簡単にあきらめるはずがないのです。アメーバのように密かに訪れ、または外に「志」のあるもの(自分たちの駒となるもの)連れだしていた気がします。
    WIKIで「明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧」を見ると、鎖国中でもそれなりの数です。氏名が判明しているだけでこれだけってことは、姓名不詳の人はこの何倍もいるでしょう。きっと。
    また鎖国前後から以降のアジアの動きを見ると、ポルトガル・スペインやオランダ、英国が、インドからこちらに要塞というか基地をつぎつぎつくっています。
    キリスト教の布教と植民地支配の狼煙を両手に掲げて。鎖国をしていようと、日本がこの大きな波をかぶらなかったわけがないのです。
    バルセロナのサグラダ・ファミリアを見ればわかるように、何世紀にも渡るプランを平気で持つ(持てる)人たちです、カトリックは。
    だとすると日本のキリスト教化というか、イエズス会の侵略は数百年の年月をかけて入念にしつこく、まさに蛇の道は蛇で進められて明治維新に至ったと考えられます。
     江戸幕府は、外様大名の配置を間違えましたね。
    彼ら、外様もそれこそ数百年にわたってチャンスがあれば幕府をひっくり返すという執念は持っていたはずです。
    それはイエズス会と結びつくものに、エネルギーになります。
     薩摩、長崎、土佐、長州、あたりは絶対に非公式に外に人を出していたはず。
     南方地域には台湾・フィリピン(ルソン)・ベトナム(越南国)・タイ(シャム)と既に日本人が出て行って街や拠点をつくっていますから出ていきやすいです。
    これが幕末へつながる動きになり、明治維新になった、やはり革命ですよね。
     ヨーロッパの革命はいわゆるブルジョワ革命。絶対王政の元では得られなかった自由を得て自分らの富を増やす、欲望の追求のためのお墨付きを得た市民革命ってヤツ。だとすると、欲望追求の寄せてくる波は鎖国をもろともせずに日本に来港(密貿易)ありだったと思います。記録に残っていないだけです。
     知り合いの知り合いに、沖縄の離島出身者がいますが、戦後のどさくさ時期に台湾と行き来して密貿易で膨大にもうけたって言う話がけっこうあったと聞きました。もちろん、記録なんか残っていませんが。
     こういうことが、では鎖国期の江戸になかったか、あったと思うのです。こういった記録に残らない歴史の中で「明治の偉人達」(下層階級の武士?)はつくられた。まさに市民階級の台頭、なのかな。世界史用語で言えば。

    結論・・・・鎖国していても、南方で西欧文化やキリスト教徒の交流はあった、それが明治の源ではないか。昔話の「見るの花屋敷」のように、見るな、来るな、といわれると見たくなる、来たくなる。出るな、他に行くな、といわれたら出たくなる、逃げたくなるは永遠の人間の本能・性です。

    なんてことを思いました。
    でれでれ草さまのブログでいただいた情報や思考で、旅に出ても遺跡の見方や妄想の仕方が複眼系になりました。
    ありがとうございます。

    ところで安倍政権、大丈夫なんでしょうか?
    がんがれーーーと応援していますが。
    自衛隊の隠してあった日報は、稲田さんに見られたくないこと「賄賂使って情報収集」とかの記載があったようですね。
    しかし、あのあたりでは部族長に賄賂おくって情報得るとかいうの当たり前だし、それが自衛隊員の命を守ることになるのだから、隠さないで説明したらよかったのにと思います。
    40年近く前、インドをぶらぶら旅したときに、インドの街の旅行社で飛行機チケット予約や鉄道切符をとるとき、賄賂品(紫色とか緑色ボールペンとか)は必須でした。ないといわれても彼らの持ってない色のボールペンをさしげると(笑)チケットが出てくるんです。
    隊員の命守る賄賂はあり、が私の意見です。

    長々と失礼しました。
    ありがとうございました。

    • >そもそも、あのイエズス会がそう簡単にあきらめるはずがないのです。
      あきらめずに、江戸時代も活動してたんでしょうね。
      それに、故国が滅んだオランダ人が加わった感じでしょうか。
      普通に、伊勢などに済州等の海女さんが出稼ぎに来てましたから、とくに日本海側はゆるかったんでしょう。
      どこかの藩で、藩主のすり替えのリハーサル、プレ明治維新があったと思います。

    • >1793年にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)がフランス革命軍に占領されて滅亡してから1815年にオランダ(ネーデルラント王国)が建国するに至るまでの22年間、オランダの領土はこの地球上に存在していない。そのため、1797年にオランダ東インド会社と傭船契約を結んだアメリカの船が出島に入港するようになり、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、アメリカの船は1809年まで出島に入港して貿易を行った。

      WIKIより借りてきましたが・・・
      出島の商館のみ上記の国滅亡22年間、オランダ国旗を掲揚しつづけたって、長崎出島の見学のおりに説明にはありましたし、ビデオでも流して老いましたよ、さもさもいい話ふうに。
      なんだかなあ・・フーン。
      と思ってみていましたけど。

      そうか・・・どこかの藩でリハーサルですか。
      どこだろ?
      伊達騒動ですか?あれ、沢山、裏がありそうです。

  • こんにちは、お返事を頂いたのにお返事出来ず申し訳ないです。

    最近、他のブログのかたと明治維新の話をしました。
    明治維新に何があって、今何が繋がって問題になってるのか
    を、打開して行けたらと思い話をしました。
    hitomi様、ブログの読者様にもいろいろと教えて頂いてます。何時も感謝しております。

    寒暖のさがありますね、風邪など引かぬよう、ご自愛ください。
    hitomi様の更新楽しみにしてるので、頼みます。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。